ワニのパラドックス

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ワニのパラドックスは、自己言及のパラドックスのひとつ。人食いワニのジレンマともいわれる。このパラドックスは、古くはルキアノスの著作『人生登攀』22-23にも見え、不思議の国のアリスの作者として知られる数学者ルイス・キャロルが、クロコディルズラテン語: crocodilus)というタイトルで発表した[1][2]

内容[編集]

原文は次の通り。

A Crocodile had stolen a Baby off the banks of the Nile. The Mother implored him to restore her darling. "Well," said the Crocodile, "if you say truly what I shall do I will restore it: if not, I will devour it." "You will devour it!" cried the distracted Mother. "Now," said the wily Crocodile, "I cannot restore your Baby: for if I do, I shall make you speak falsely: and I warned you that, if you spoke falsely, I would devour it." "On the contrary," said the yet wilier Mother, "you cannot devour my Baby: for if you do, you will make me speak truly, and you promised me that, if I spoke truly, you would restore it!" (We assume, of course, that he was a Crocodile of his word; and that his sense of honour outweighed his love of babies.)

— Wilson, Robin[1]

訳文

ナイル川の河畔でワニが赤ん坊をかすめ取った。その母親は赤ん坊を返してくれるようにワニに懇願した。

「うーむ」とワニは答えた。「もしお前が次に俺が何をするかを言い当てたら、赤ん坊を返してやろう。言い当てなかったら赤ん坊は食ってしまうぞ。」

母親は狂わんばかりに叫んだ。「あなたは赤ん坊を食べてしまうでしょう!

「さてと」と賢いワニは答える。「赤ん坊は返すわけにはいかんな。だって返したらお前は言い当てなかったことになるんだからな。言い当てなかったら赤ん坊を食ってしまうと言っただろう!」

もっと賢い母親は言った。「それは逆よ。あなたは私の赤ん坊を食べるわけにはいきませんよ。なぜなら、食べようとするなら、私はあなたがすることを言い当てたことになるのですからね。私が言い当てたら赤ん坊を返すと約束しましたよね!」

(もちろん、ワニは約束を守る奴であるし、赤ん坊を食う欲望より名誉を重んじる奴であると仮定しての話である。)

説明[編集]

選択肢(1):ワニが赤ん坊を食おうとする場合

→母親はワニがしようとすることを言い当てたので、赤ん坊を返さなければならない。つまり赤ん坊を食わない。
→選択肢(2)へ。

選択肢(2):ワニが赤ん坊を食わない場合

→母親は言い当てなかったので、ワニは赤ん坊を食うことになる。
→選択肢(1)へ。

このように、ワニがどちらの選択肢を選ぼうとも、矛盾が起こってしまい、赤ん坊を食うことも、食わないこともできなくなってしまう。 「ワニが赤ん坊を食ってしまう」という最も忌むべき予想を敢えて答えたことが母親の賢さを示している。

野崎昭弘は、選択肢(1)と選択肢(2)が無限に循環する様子と、ワニが赤ん坊を食べようとして口を開ける動作と赤ん坊を食べずに口を閉じる動作を無限に繰り返す様子を、電鈴(ベル)が鳴る原理に例えて説明している[3]

類型[編集]

  • 他にも「死刑判決を下された予言者に対し、国王が予言をさせ、それが成就したか否かによって処刑方法を変えようとする」などのバリエーションがある。
  • ドラマ『古畑任三郎』第13話「笑うカンガルー」では、ライオン冒険家の前に現れ、上記のワニの場合と同様の問を発するという形で、バーでの話のネタとして登場した。名称も「ライオンのパラドックス」と改変されている。
  • スペイン小説ドン・キホーテ』において、サンチョ・パンサの元に次のような相談が舞い込んでくる。「ある橋を渡って向こう側に行くには、その目的を報告しなければならず、それが嘘だった場合には絞首刑に処せられることになっている。ところがある男が『私は絞首刑になるためにやってきたのだ』と言ったため、どうしていいかわからなくなった」。
つまり、もし男の願い通りにすれば、彼は本当の事を言ったにもかかわらず絞首刑になり、一方無事に橋を通してやれば、彼の申告は結果的に嘘になるが、絞首刑に処せられない。
これに対しサンチョ・パンサは、そのまま通行させてやれと答えている。その根拠は「判断に迷ったときは慈悲深くあれ、と私は旦那様(ドン・キホーテ)にいつも言われていた」というもの。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b Google books Robin Wilson, "Lewis Carroll in Numberland: His Fantastical Mathematical Logical Life",2008,pp. 221-222,ISBN 978-0-3930-6027-0
  2. ^ ロビン・ウィルソン著、岩谷宏訳『数の国のルイス・キャロル』(ソフトバンククリエイティブ、2009年)ISBN 978-4-7973-4838-5 p. 232
  3. ^ 野崎昭弘『詭弁論理学』(中央公論新社、1976年)ISBN 978-4-1210-0448-2

関連項目[編集]