ルートヴィヒ1世 (ヘッセン大公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
大公ルートヴィヒ1世

ルートヴィヒ1世Ludwig I., 1753年6月14日 - 1830年4月6日)は、ヘッセン大公国の初代大公(在位:1806年 - 1830年)。初めはヘッセン=ダルムシュタット方伯(ヘッセン=ダルムシュタット方伯としてはルートヴィヒ10世、在位:1790年 - 1806年)。ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ9世とその妃であったプファルツ=ツヴァイブリュッケン公クリスティアン3世の公女ヘンリエッテ・カロリーネ(1721年 - 1774年)の長男。バイエルン王マクシミリアン1世は母方の従弟に当たる。

1753年6月14日、ルートヴィヒ9世の第3子としてプレンツラウブランデンブルク州)で生まれる。

1776年にヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンの長女ゾフィー・ドロテアと婚約する。しかし直後にルートヴィヒの妹でロシア皇太子パーヴェルの妃ナターリア・アレクセーエヴナ(ドイツ名ヴィルヘルミーネ)が亡くなり、後添いとしてゾフィー・ドロテアがパーヴェルと結婚することになったため、婚約は解消された。

1777年に従妹にあたるルイーゼ・ヘンリエッテ・カロリーネ(1761年 - 1829年、ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ8世の次男ゲオルク・ヴィルヘルムの三女)と結婚し、五男一女を儲けた。

1790年、ルートヴィヒ9世の死去によりヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ10世となる。

ルートヴィヒ10世は1803年ケルン大司教領であったヴェストファーレンを併合し、1806年にはライン同盟に参加してヘッセン大公ルートヴィヒ1世となった。1815年ウィーン会議ではヴェストファーレンをプロイセン王国に割譲したが、引き換えにマインツを含むライン川左岸の地域を獲得し、さらに同年成立したドイツ連邦に参加した。

1830年4月6日、ダルムシュタットで死去。長男ルートヴィヒ2世が大公位を嗣いだ。

先代:
ルートヴィヒ9世
ヘッセン=ダルムシュタット方伯
1790年 - 1806年
次代:
(大公へ陞格)
先代:
-
ヘッセン大公
1806年 - 1830年
次代:
ルートヴィヒ2世