ラカンドン族

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ラカンドン族
Lacandon
総人口

200(1979年)

居住地域
メキシコチアパス州
言語
ラカンドン語(マヤ語群)
宗教
自然力信仰

ラカンドン族(ラカンドンぞく、Lacandon)は、メキシコに住む少数民族。

居住地[編集]

メキシコに住み、サントドミンゴ川から、サンタクルス川に至る地域に住む集団と、セドロ川ラカンハ川沿いに住む集団とがある。総数200人に満たないうえにまとまりを欠いており、家族単位に分かれて生活を送っている。3~4軒の家で構成される村どうしは、少なくとも数日間旅をしてやっとたどり着けるほど離れている。

毎年植え付けを前にしてトウモロコシ畑の真ん中に新しい家を建てる。家は4本の柱を交差させて骨組みとし、その上に軒が地面すれすれに届く切妻屋根を載せる。屋根はシュロの葉で覆い、しなやかなつる植物で屋根組に結び付けていく。

歴史[編集]

ラカンドン族は、自分たちのことを「マッセワル」と呼んでいる。この言葉は、労働階級、下層階級を意味するナワトル語から来ているといわれている。

1525年 - エルナン・コルテスが彼らの領域を通過している。その12年後、スペイン人宣教師たちがラカンドン族と接触し、カトリックへの改宗を呼びかけ、いくつかの町に集まって暮らすように誘ったが失敗している。

1555年 - 洗礼を受けた多数のインディオと2人の宣教師が殺害された。

1695年 - ラカンドン族を制圧して新しい町に集めようとする試みがあったが、自分たちの生活を守るために逃げ去っている。

性向[編集]

既述のとおり排他的ではあるが、決して不親切ではない。実際に接触したことのある多数のヨーロッパ人が、「ラカンドン族は客を丁重に扱い、細かい心配りを見せる人々であり、出迎えるときや別れるときには実に几帳面に礼節を守る」と報告している。

売春や姦通はまれで、年寄りには敬意を払っており、よその社会の道徳の低さを軽蔑している。泥酔することがあるが、それは何かの宗教儀礼のときに限られる。

もともと一夫多妻の習慣があったが、少人数で暮らす社会の中で廃れていき、今ではようやく各村の首長だけが複数の妻を持つに過ぎない。

食生活[編集]

かつては狩猟採集の生活を営んでいたが、現在は自給農業によって日々を過ごしている。トウモロコシ、豆類、カボチャトマトを主食としている。その他、キャッサバサツマイモコショウハヤトウリなどを栽培している。

漁獲には釣竿釣糸を使うが、マホガニー材の丸木舟から矢で魚を射ることもある。

肉類としては、狩りで得るバク、野ブタ、野鳥、サルがある。一部の人々はニワトリを飼っているが、もともとこの地の産物ではなく、バナナ同様ヨーロッパ人が持ち込んだものである。

衣服[編集]

昔から伝わる頭骨を無理に変形させる習慣は廃れたが、いつも額にまわした紐や帯で重いものを担いでいるので、額の平らな人間は珍しくない。帽子はかぶらない。

衣服にはヨーロッパの影響がまったくなく、下に腰布をつけ、そのうえから膝の下まで届く白木綿のチュニックポンチョを着る。

女たちはビーズや果実で新しい首飾りを作って身につける。男たちは鼻飾りをつけることもある。

宗教[編集]

ラカンドン族は宗教上のしきたりを厳格に守り通す。どの村でも最良の家は神殿とされ、香を焚く鉢や神々の像作り、香にするコパル樹液集めには手間を惜しまない。鉢につけた装飾文様は、古代マヤ文明当時の鉢の文様に似ている。

ウスマシンタ川にのぞむヤシュチランの町に毎年巡礼に出かける。目的地であるヤシュチランは、7世紀マヤ文明の最盛期に栄えた町であり、ラカンドン族はこの地を神々の居場所と考え、毎年訪れては香をたき、祈りの言葉をつぶやく。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『世界の民族 4』《メキシコ・中央アメリカ》平凡社、1979年。