モザンビーク民族抵抗運動
| モザンビーク民族抵抗運動 Resistência Nacional Moçambicana |
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党旗
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| 党首 | アフォンソ・ドラカマ |
| 成立年月日 | 1975年 |
| 共和国議会議席数 |
90 / 250
(36%)
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| 公式サイト | RENAMO公式サイト |
モザンビーク民族抵抗運動(モザンビークみんぞくていこううんどう、英: Mozambican National Resistance、MNR、葡: Resistência Nacional Moçambicana、RENAMO)は、モザンビークの政党。設立時はローデシアの白人政権によって設立された反政府武装組織だった。
目次 |
[編集] 概要
1975年6月25日に前年のモザンビーク独立戦争の停戦を受けてモザンビークが独立すると政権党のモザンビーク解放戦線(FRELIMO)は、疲弊しきった経済を立て直すために社会主義を採用した。また1976年3月にFRELIMO政権はローデシアに対する経済封鎖を行った[1]。
ローデシア情報機関は、反社会主義派のモザンビーク人にモザンビーク民族抵抗運動を編成させてFRELIMO政権を攻撃させた[2]。この組織は当初ポルトガル語ではなく英語のMNRを組織名としており、また、独立直後のモザンビーク内に白人の手先になって内戦を起こそうとする人々が少なかったこともあって、組織はモザンビーク内で誘拐された青少年によって構成されており、多くの少年兵を大義ではなく恐怖と暴力によって戦わせていた[3]。ローデシア領内の基地から出撃しては各地の村を焼き払い、学校・病院・道路を破壊してまわった。この組織の中核となったンダウ人は独立戦争の際にポルトガル軍に与していた。
1980年にジンバブエが独立し、ローデシアが消滅すると、隣国に共産主義国ができることを恐れる南アフリカ共和国に支援されるようになり、MNRの組織としての自立化と現地化を図った南アフリカの意向もあって、この頃から組織は英語名称のMNRからポルトガル語名称のRENAMOを用いるようになった[4]。1982年にはマラウイに秘密基地を設置しモザンビーク中部から北部に紛争地帯を広げた。しかし、冷戦が終結し南アフリカでもアパルトヘイトを放棄したため1990年7月以降、イタリアとポルトガルの仲介の下、両者間の和平交渉が開始され、1992年10月モザンビーク包括和平協定が調印され内戦が終結した。
1994年の初の総選挙では「政府による独裁専制支配への戦い」を強調。市場経済を目指すほか、“職住分離”による集団農場化を推進する政府に反発、「農民に居住と生活の自由を保障せよ」と訴え、初の自由選挙での勝利を掴み取ろうとしたがモザンビーク解放戦線に敗れた。モザンビーク民族抵抗運動はこの選挙結果を受け入れた。
[編集] 脚註
- ^ 星、林(1978:262)
- ^ 舩田クラーセン(2008:658)
- ^ 舩田クラーセン(2008:658)
- ^ 舩田クラーセン(2008:659)
[編集] 参考文献
- 舩田クラーセンさやか「紛争後モザンビーク社会の課題──村に戻らない人々」『朝倉世界地理講座──アフリカII』池谷和信、武内進一、佐藤廉也編、朝倉書店、2008年4月。
- 星昭、林晃史 『世界現代史13──アフリカ現代史I 総説・南部アフリカ』 山川出版社、1978年12月。
[編集] 外部リンク
- Official web site
- Special Report on Mozambique 2004 Elections by the Carter Center
- Final Report of the European Union Election Observation Mission
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