メルシオール・デ・フィゲイレド

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メルシオール・デ・フィゲイレド(Melchior de Figueiredo、1528年頃 - 1597年7月3日)は、ポルトガルイエズス会宣教師である[1][2]

経歴・人物[編集]

ポルトガル領インドゴアに生まれる[1][2]1564年永禄7年)に来日し[1][2]、以後肥前島原五島列島[1][2]大村豊後[1][2]筑前博多等九州地方の津々浦々を中心に布教活動を行った[1][2]1580年天正8年)にはコレジオの初代院長を務めるが[1]、滞日中病気により1584年(天正12年)に上洛する[2]

この頃にフィゲイレドの診察にあたった曲直瀬正盛(道三)によって治療され[1][2]、その恩恵として同じく正盛によって豊後で診察された当時滞日していた同じイエズス会士でイタリア出身のグネッキ・ソルディ・オルガンティノと共に正盛をキリシタンとして受洗させた[1][2]。病気の影響もあり1586年(天正14年)に布教活動を終了し離日し[注釈 1][2]、出生地のゴアで死去した[1][2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 朝日日本歴史人物事典では翌年の1587年(天正15年)に離日したと表記されている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j フィゲイレド”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k フィゲイレド”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版). 2023年8月18日閲覧。