ペトロニーユ・ダキテーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ペトロニーユ・ダキテーヌPétronille d’Aquitaine、1125年頃 - 1193年頃)は、アキテーヌ公ギヨーム10世と妃アエノール・シャテルローの娘。アリエノール・ダキテーヌの妹。

彼女はアリックス(Alix)、オック語でエリス(Aelith)と様々な名で呼ばれた。結婚後はアリックスと呼ばれた一方で、ペトロニーユは幼年時代の名称とみられる。

彼女は姉アリエノールに連れられてフランス宮廷へやってきて、ヴェルマンドワ伯ラウル1世と出会った。彼は既に妻がおり、フランス王ルイ7世のいとこにあたった。彼は妻を拒んでペトロニーユと結婚した。ラウル1世とペトロニーユの2人はローマ教皇によって破門された。教皇インノケンティウス3世は破門の取り下げを約束したが、1143年に約束を撤回した。戦闘が起こり、ルイ7世はヴィトリー=ル=フランソワの町を燃やした。最終的に教皇が崩御し、彼の後継者ケレスティヌス2世はランス公会議で破門を解除した。しかし、ペトロニーユとラウルは離婚し、翌年にラウルは再婚した。ペトロニーユはフランス宮廷の一員であり続け、夫ヘンリー2世に幽閉されていた姉アリエノールを定期的に訪問していた。ヘンリー2世が死ぬとアリエノールは解放され、ペトロニーユはフランス帰国を計画した。しかし、1189年以後のペトロニーユの記録が不足する。ペトロニーユはイングランドからフランスへ戻る旅の途上で熱を出し、港に到着する前、1190年代初めに亡くなったと信じられている。

子女[編集]