パシフィック電鉄600形電車

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パシフィック電鉄600形電車
パシフィック電鉄5050形電車
ロサンゼルス郡都市圏交通局1800形電車
"ハリウッド・カー"
基本情報
運用者 パシフィック電鉄メトロポリタン・コーチ・ラインズ英語版ロサンゼルス郡都市圏交通局
アルゼンチン国鉄英語版、ポートランド・トラクション・カンパニー(譲渡先)
製造所 セントルイス・カー・カンパニーブリル
製造年 1922年 - 1930年
製造数 160両
運用開始 1922年(パシフィック電鉄)
1952年(アルゼンチン国鉄)
1953年(ポートランド・トラクション・カンパニー)
運用終了 1958年(パシフィック電鉄)
1974年(アルゼンチン国鉄)
1958年(ポートランド・トラクション・カンパニー)
主要諸元
編成 単車、両運転台
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
最高速度 45 km/h(28 mph)→72.5 km(45 mph)
車両定員 着席65人
車両重量 28.0 t(61,700 lbs)
全長 15,900 mm(52 ft 2 in)
全幅 2,794 mm(9 ft 2 in)
全高 3,340 mm(10 ft 11.5 in)
台車 St. Louis M72
固定軸距 1,828 mm(6 ft)
台車中心間距離 8,102 mm(26 ft 7 in)
動力伝達方式 直角カルダン駆動方式
主電動機 532AR
主電動機出力 48.5 kw(65 HP)(交換後)
出力 193.9 kw(65 HP)(交換後)
制動装置 SM-3
備考 主要数値は[1][2][3][4]に基づく。
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600形(600 Class)は、かつてアメリカ合衆国ロサンゼルスに存在したインターアーバンパシフィック電鉄(Pacific Electric Railway)に在籍していた電車の1形式。ロサンゼルスを始めとした都市内の短距離輸送向けに製造され、"'ハリウッド・カー(Hollywood Car)"と言う愛称で呼ばれていた。後年に形式名が変更された事も踏まえ、この項目では愛称の"ハリウッド・カー"を用いる[2][3]

概要[編集]

パシフィック電鉄はかつてロサンゼルスとその周辺都市に大規模な路線網を有していた鉄道事業者で、ロサンゼルスを含む各都市を結ぶ長距離列車に加えて都市内を走る路面電車の運行も行っていた。ハリウッド・カーはこれらの系統向けに1922年から製造が開始された車両である[1][2][3]

車体は床材を除き全鋼製で屋根には通風装置集電用のポールが設置されており、側面中央部に両開き、右側に片開きの乗降扉が設置されていた[注釈 1]。車両重量は28 t(61,700 lbs)と重かったが、単距離での高頻度運転を前提とした設計のため製造当初は出力が低めの主電動機が搭載されており、最高速度も45 km/h(28 mph)程に抑えられていた。その一方で加速度は高めに設定され、自動連結器を用いた増結運用も可能であった。これらの設計は、パシフィック電鉄の職員によるアメリカ各地の新型電車に関する視察や調査の成果に基づいたものである[2][3]

運用[編集]

1922年に登場して以降、ハリウッド・カーは4次に渡って製造が行われ、うち1924年製の2次車(50両)以降は通風装置や座席の布張りなど僅かな変更点が生じた他、1925年製の3次車(50両)は他車(セントルイス・カー・カンパニー製)とは異なりブリルが製造を手掛けた。1930年に最終増備車となった4次車(10両)が導入され、合計160両が使用される事となった。これらの電車はハリウッド大通りを通る路面電車系統を中心に導入された事で「ハリウッド・カー」と呼ばれるようになり、残存していた木造電車を全て置き換えた。車両番号および製造企業は以下の通りである[2][3]

番号 発注年 登場年 製造企業 備考
600-649 1921 1922 セントルイス・カー・カンパニー
650-699 1924 1925 通風装置の形状、座席の布張りを変更
700-749 1925 1925 ブリル 構造は650-699と同一
750-759 1928 1930 セントルイス・カー・カンパニー 軸受、側窓のサッシ、座席を変更

その後、1939年に自治体や公営機関からの要望に基づき、ハリウッド・カーは主電動機の変更、座席の交換などの更新工事が実施され、最高速度が72.5 km(45 mph)に向上した事で郊外系統への投入が可能となった。また、導入当初の塗装は濃い赤色(マルーン)1色塗りであったが、更新時に明るい赤色を基調としたものに変更され、前面にはオレンジ色の模様が描かれた。第二次世界大戦後の1949年から大半の車両にワンマン運転への対応工事が施され、完了後の1950年には車両番号が従来の600番台(600形)から5050番台(5050形)へと変更された[2][3]

だが、同年代以降ハリウッド・カーはパシフィック電鉄の路線縮小に伴い運用の離脱が始まり、余剰となった車両の一部は後述の通り各地の鉄道路線への譲渡が実施された。残存した車両は1953年に電鉄の旅客列車運営権がメトロポリタン・コーチ・ラインズ英語版に移管された後も運行を続け、末期にはワッツ英語版地区に残存する系統(ワッツ線英語版)で運行していたが、メトロポリタン・コーチ・ラインズがロサンゼルス郡都市圏交通局に吸収合併された1958年に同系統の旅客営業が廃止された事でハリウッド・カーは全車営業運転を終了した。最後に残された16両については引退直前に車両番号が1800番台(1800形)に変更された[2][3]

廃車後は多くの車両が解体されたが、最後まで使用されていた5両(南カリフォルニア鉄道博物館)を始め一部車両はアメリカ各地の博物館で保存されている[2][3] [5]

譲渡[編集]

1950年代以降、使用路線の廃止に伴い余剰となったハリウッド・カーはアメリカ国内外の鉄道路線への譲渡が実施された[2]

ポートランド・トラクション・カンパニー[編集]

8両については、1953年オレゴン州ポートランドにインターアーバンの路線網を有していたポートランド・トラクション・カンパニー(Portland Traction Company)へと譲渡された。同鉄道では車両番号が変更された他、中央扉が閉鎖され乗降は車体右側面の扉で行われた。1958年にインターアーバン路線が廃止されるまで使用されたが、そのうち4022(旧:680→)については様々な所有者を経て1992年以降はシーショアー路面電車博物館英語版で保存されている[2][4][6]

アルゼンチン国鉄(ウルキサ線)[編集]

28両についてはアルゼンチン首都ブエノスアイレス近郊に電化路線を有するウルキサ線英語版へと譲渡され、1952年から営業運転に投入された[2][7][8]

主に2 - 4両編成を組んで使用されたが、ラッシュ時を始めとした乗客の流動性を向上させるため後年に前面に貫通扉が設置され、運転台も前面右側に移設されたほか、車両番号についても導入当社は1700番台(1732 - 1759)であったが、途中で3700番台(3732 - 3759)へと変更された。また、導入当初はパシフィック電鉄時代と同様にポールを用いた架線集電により運行していたが、使用路線の第三軌条方式への移行が進んだ事により、1955年より同方式に対応した集電装置が台車に搭載されはじめ、最終的にポールは撤去された[9]。ただし1964年事業用車両に改造された2両(3734、3758)については車庫などに残存した架線の修理のためポールが残置されている[7][8]

日本製の電車の導入に伴い1974年までに営業用車両は廃車されたが、事業用車両のうち3758については1990年代まで架線や線路の検査・修理用車両として在籍し、ウルキサ線のターミナル・フェデリコ・ラクロセ駅スペイン語版の架空線の張られた留置線に常駐していた[7][8]

3758は引退後、ウルキサ線のコロネル・リンチ駅スペイン語版の近くにあるフェロクルブ・リンチ(Ferroclub Lynch)に保存された[9]。このフェロクルブ・リンチはアルゼンチン国内各地において、鉄道車両などの保存を行う鉄道趣味の団体組織であるフェロクルブ・アルヘンティーノスペイン語版の一支部で、前面の貫通扉の設置や運転台の移設などを担当した工場の敷地に所在しており、2019年現在、3758はそこで修理の時を待っている[9]

その他[編集]

レッドカー・トロリー(717)
2013年撮影)

ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーのアトラクションであるレッドカー・トロリーで使用されている2両の車両は、ハリウッド・カーを基にデザインが行わている。両車(623、717)共にハリウッド・カーにも存在した車両番号だが、前者はウォルト・ディズニーカリフォルニアを訪れた年(1923年)、後者はディズニーパークが開業した日付(1955年7月17日)に基づいたものであり、実際の車両との関係はない[10]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ハリウッド・カー登場前のパシフィック電鉄の路面電車系統用車両はカリフォルニア・カー英語版と呼ばれる車体の一部に側壁がないものであり、全密閉式車体を用いた車両はハリウッド・カーが初であった。

出典[編集]

  1. ^ a b PACIFIC ELECTRIC”. Southern California Railway Museum. 2020年9月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k PACIFIC ELECTRIC 717”. Southern California Railway Museum. 2020年9月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h LOS ANGELES CENTER ENTRANCE 680”. Seashore Trolley Museum. 2020年9月19日閲覧。
  4. ^ a b Pacific Electric 717”. Shore Line Trolley Museum. 2020年9月19日閲覧。
  5. ^ PACIFIC ELECTRIC 665”. Southern California Railway Museum. 2020年9月19日閲覧。
  6. ^ Portland Traction Company 4001”. Western Railway Museum. 2020年9月19日閲覧。
  7. ^ a b c Juan Carlos Gonzalez. “LA TRACCION ELECTRICA EN EL FERROCARRIL GENERAL URQUIZA (COCHES ELECTRICOS)”. 2002年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月19日閲覧。
  8. ^ a b c Electrical Vehicles of the FC Urquiza in Buenos Aires/Argentina”. 2005年4月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月19日閲覧。
  9. ^ a b c Los tranvías serie 3700 del Urquiza - portal de trenes - 2019年4月3日作成・2020年9月20日閲覧
  10. ^ Guests Roll Back in Time with Bells, Whistles and Nostalgic Spirit”. Disneyland Resort News (2014年1月1日). 2018年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月19日閲覧。

外部リンク[編集]