ノート:コンラート3世 (神聖ローマ皇帝)
他の項目を見ると、皇帝になっていなくても単独の(対立王や共同統治でない)ドイツ王については (神聖ローマ皇帝) としているようですので、この項目もコンラート3世 (神聖ローマ皇帝) としたいのですが、どうでしょうか?--Uraios 2006年11月4日 (土) 05:59 (UTC)
改名提案[編集]
「コンラート3世 (ドイツ王)」もしくは「コンラート3世 (ローマ王)」への改名を提案します。
同様に、神聖ローマ皇帝として戴冠をしていないローマ王/ドイツ王である「フィリップ (神聖ローマ皇帝)」、「コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)」、「ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)」、「アドルフ (神聖ローマ皇帝)」、「アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)」、「フリードリヒ3世 (ドイツ王)」、「ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)」、「ループレヒト (神聖ローマ皇帝)」、「アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝)」の改名も同時に提案し、このノートページで議論したいと思います。
理由としては、神聖ローマ皇帝として戴冠していないローマ王は(マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)より前においては)生前皇帝と自称せず、死後現在まで皇帝と呼ばれていない点にあります。この事実は各記事本文をご覧になれば明らかかと存じます。神聖ローマ皇帝でない人物の記事名に不正確にも神聖ローマ皇帝と付くことによって、記事名と本文で齟齬が生じており、記事名のみを見た者に誤解を与え、記事内容の正確な理解の妨げとなると考えます。
上掲記事中、唯一「フリードリヒ3世 (ドイツ王)」のみ(神聖ローマ皇帝)と付されておりませんが、その理由は「フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)」が別にいるためです。つまり、前者の記事名は「戴冠していないから(神聖ローマ皇帝)と付けない」、後者は「神聖ローマ皇帝として戴冠したから(神聖ローマ皇帝)と付ける」という方法によって区別しております。それにも関わらず他の各ローマ王/ドイツ王について「神聖ローマ皇帝として戴冠していないが、(神聖ローマ皇帝)と付ける」というのは、一貫しておりません。
よって、「神聖ローマ皇帝」ではなく、これらの人物が生前実際に称した王号である「ローマ王」か、後世そのように称されるようになった王号である「ドイツ王」のいずれかを記事名に付すことで曖昧さ回避とすべきであると考えます。仮に(ドイツ王)と付すことになった場合は、「フリードリヒ3世 (ドイツ王)」の改名の必要はないこととなります。
なお、「ドイツ王」「ローマ王」という名称が日本で一般的でないという点については、(神聖ローマ帝国君主)と付ける方法もございますが、むしろ導入部分で触れるべき内容であるように思われます。--こやまひろ(会話) 2023年10月13日 (金) 10:33 (UTC)
- コメント 詳しく知らないので内容には深入りしませんが、基礎的なことを。告知は広く。改名根拠の文献調査を。
- これだけ広範囲の改名を一括で提案するならば、プロジェクト:歴史・プロジェクト:人物伝・Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/君主の記事名あたり(すべて)で告知することを強くおすすめします。(適切な分野のコミュニティがあって、広い告知をせず、少意見で改名を実施すると、トラブルになりがちです。)
- Wikipediaの記事名の原則は「信頼できる情報源で最も一般的な名称」を採用します。用例主義ということです。また(ホニャララ)は、第一義的には曖昧さ回避のために付与するもので、曖昧さ回避が不要な事物にはそもそも(ホニャララ)が不要です。ただし、世界史分野のヨーロッパ王侯貴族に関しては合意に基づく分野の取り決めがWikipedia:記事名の付け方/君主の記事名#ヨーロッパの王侯・貴族にまとまっています。ここでも原則は「日本語文献における慣例」であり、「慎重な調査と議論を行うことが推奨されます。」
- つまり、「こやまひろさんの考察」を展開するよりは、具体的な文献等での用例を列挙することで、改名合意のための説得力がでることになります。
- 私はこの分野は門外漢なので、一例にとどめます。
コンラート3世の場合(各百科事典の定義部より抜粋) | ||||
出版社 | 書名 | 著者 | 定義部 | |
小学館 | 日本大百科全書(ニッポニカ) | 平城照介 | ドイツ、シュタウフェン朝初代の神聖ローマ皇帝 | |
山川 | 世界史小辞典[1] | ドイツ,ホーエンシュタウフェン朝初代の神聖ローマ皇帝 | ||
ブリタニカ | ブリタニカ国際大百科事典[2] | ホーエンシュタウフェン朝初代のドイツ王 | ||
岩波書店 | 世界人名大辞典 | シュタウフェン朝初代のドイツ王(1138/52) | ||
平凡社 | 世界大百科事典[3] | 山田欣吾 | シュタウフェン朝初代のドイツ国王(1127-35対立国王,1138-94国王) |
- 大して調べてませんのでこれしかありません。もっと調べれば出てくるだろうと思います。
- 『ブリタニカ』では「みずからは神聖ローマ皇帝とはならなかった。」とある。
- 上記5文献だけを材料とする限り、どちらが優勢とは決め難い。(「ドイツ国王」と「ドイツ王」では違いがあるようにも思われる。)
- (きっとたぶん)現行の記事名は、いまほど厳密に用例を精査したうえで決めたものではないかもしれません。--柒月例祭(会話) 2023年10月16日 (月) 04:30 (UTC)
- 報告 ご指摘ありがとうございます。議論のための告知が必要というご意見は的確ですので、プロジェクト‐ノート:歴史、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方/君主の記事名、プロジェクト‐ノート:人物伝において告知をさせていただきました。
- 情報 現時点で調べた文献の状況をご報告いたします。
- 下記の表は、池谷文夫『神聖ローマ帝国』刀水書房、2019年、204-211頁に掲載された「歴代ドイツ王・皇帝一覧」という表において、各ドイツ王・皇帝は「◎:神聖ローマ皇帝,★:戴冠果たせず,*対立王その他」という記号が付されているのですが、「戴冠果たせず」として★を付された人物及び、いずれの記号も付されていない人物(「神聖ローマ皇帝」ではないが「歴代ドイツ王・皇帝」に含まれる、つまり同書がドイツ王として扱っている人物)について、各文献での取り扱いを一覧にしたものです。
Wikipedia記事名 | 池谷文夫『神聖ローマ帝国』2019年、刀水書房 | 木村靖二『ドイツ史』2001年、山川出版社 | 菊池良生『神聖ローマ帝国』2003年、講談社現代新書 | ゲオルク・シュタットミュラー、丹後杏一訳『ハプスブルク帝国史』1989年、刀水書房 |
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コンラート1世 (ドイツ王) | 「コンラート1世」★:戴冠果たせず | 「コンラート1世 ドイツ王」 | 「コンラート1世が東フランク王に選出された」 | |
ハインリヒ1世 (ドイツ王) | 「ハインリヒ1世」★:戴冠果たせず | 「ハインリヒ1世 ドイツ王」 | 「ドイツ王初代ハインリッヒ1世狩猟王」 | |
コンラート (イタリア王) | 「コンラート3世」★:戴冠果たせず | 「コンラート ドイツ王」 | ||
コンラート3世 (神聖ローマ皇帝) | 「コンラート3世」★:戴冠果たせず | 「コンラート3世 ドイツ王」 | 「ドイツ王コンラート3世」 | |
フィリップ (神聖ローマ皇帝) | 「フィリップ・フォン・シュヴァーベン」★:戴冠果たせず | 「フィリップ フォン・シュヴァーベン ドイツ王」 | 「ドイツ王フィリップ」 | |
ハインリヒ7世 (ドイツ王) | 「ハインリヒ7世」★:戴冠果たせず | 「ハインリヒ7世 ドイツ王」 | 「ドイツ王ハインリッヒ」 | |
コンラート4世 (神聖ローマ皇帝) | 「コンラート4世」★:戴冠果たせず | 「コンラート4世 ドイツ王」 | 「ドイツ王コンラート4世」 | |
ウィレム2世 (ホラント伯) | 「ヴィルヘルム」★:戴冠果たせず | 「対立国王ホラント伯ヴィルヘルム」 | 「ホラント伯ウィレム」「ドイツ王」 | |
リチャード (コーンウォール伯) | 「リチャード・オヴ・プランタジネット」★:戴冠果たせず | 「コーンウォール伯リチャードを国王に選出した。」 | 「コーンウォール伯リチャード」「ドイツ王」 | |
アルフォンソ10世 (カスティーリャ王) | 「アルフォンソ10世賢王」※1 | 「アルフォンソ10世を選出する」 | 「ドイツ王」 | |
ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝) | 「ルードルフ1世」★:戴冠果たせず | 「ルードルフ4世(1世) ドイツ王」 | 「ドイツ王ルドルフ」 | 「ドイツ王ルドルフ1世」※3 |
アドルフ (神聖ローマ皇帝) | 「アドルフ」★:戴冠果たせず | 「ナッサウ家のアドルフが国王になる。」 | 「つぎのドイツ王には・・・ナッサウのアドルフが選ばれた。」 | |
アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝) | 「アルブレヒト1」★:戴冠果たせず | 「アルブレヒト1世 ドイツ王」 | 「アルプレヒト1世国王になる。」 | 「アルブレヒト1世」※3 |
フリードリヒ3世 (ドイツ王) | 「フリードリヒ美王」※2 | 「フリードリヒ2世『美王』 ドイツ(対立)国王」 | 「フリードリッヒ美王が国王に立候補。」「美王は敗れ・・・お飾りの共同統治者に甘んじた。」 | 「フリードリヒ美公」※3 |
ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝) | 「ヴェンツェル」★:戴冠果たせず | 「王位を継いだのは子のヴェンツェル」 | 「ヴェンツェルが皇帝即位。」 | 「ヴェンツェルが1378~1400年の間統治した。」 |
ループレヒト (神聖ローマ皇帝) | 「ループレヒト」★:戴冠果たせず | 「ルプレヒト・フォン・プファルツが皇帝即位。」 | 「ファルツのループレヒトがドイツ王にあげられた」 | |
アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝) | 「アルブレヒト2世」★:戴冠果たせず | 「アルブレヒト5世(2世) ドイツ王」 | 「アルプレヒト2世皇帝即位。」「次の皇帝は・・・ハプスブルク家のアルプレヒト2世が選ばれた。・・・久々にハプスブルク家が皇帝位を得た。しかし同家期待のアルプレヒトはアーヘンでのドイツ王の戴冠式も済まさぬうちに・・・急死する。」 | 「アルブレヒト5世」※3 |
- ※1 「親仏派の諸侯と連携を図るが、ドイツに来ず」
- ※2 「1325.9.5 ミュンヘンでの『両家王の契約』で『共治王』となる(~1330年)が、帝国統治に関与できず、オーストリアへ引退した」
- ※3 巻末の「ハプスルブルク家略系図」では「ドイツ王」に数えているが「神聖ローマ皇帝」には数えていない。
- 菊池良生『神聖ローマ帝国』がヴェンツェル、ループレヒト、アルブレヒト2世を「皇帝」とするのは同書年表中「1338|諸侯会議によって『選挙で選ばれたドイツ王は教皇承認がなくても皇帝になる』との宣言が出される。」との記述に関連したものか。--こやまひろ(会話) 2023年10月18日 (水) 16:51 (UTC)
- コメント(どこにぶら下げるか迷いましたがここに。)こやまひろさんはわかっていらっしゃるとおもいますが、他の方のために。いまはあくまで「記事名の()の中をどうするか」の話をしているのであって、「この人物が神聖ローマ皇帝になったかどうか」を決めているわけではないです。
- なので、ある程度材料が出揃ったところで、ササッと決めてしまえばいいと思っています。
- コンラート3世に関しては、今のところ「ドイツ王(国王)」とする情報源と「神聖ローマ皇帝」とする情報源との両方があるようです。これはきっと「事実」の問題というよりは、「解釈」の問題なんだろうと思います。そこらへんは、記事の本文で「A説」「B説」について詳述すればいいのであって、記事名の「()」にどちらを採用したとしても、もう一方を否定するという話ではない。
- あとは、詳しい方のあいだで話し合っていただければよいかと思います。--柒月例祭(会話) 2023年10月22日 (日) 06:09 (UTC)
情報 表に『世界歴史大系 ドイツ史1―先史~1648年―』を追加しました。
Wikipedia記事名 | 池谷文夫『神聖ローマ帝国』2019年、刀水書房 | 木村靖二『ドイツ史』2001年、山川出版社 | 菊池良生『神聖ローマ帝国』2003年、講談社現代新書 | ゲオルク・シュタットミュラー、丹後杏一訳『ハプスブルク帝国史』1989年、刀水書房 | 成瀬治・山田欣吾・木村靖二『世界歴史大系 ドイツ史1―先史~1648年―』1997年、山川出版社 |
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コンラート1世 (ドイツ王) | 「コンラート1世」★:戴冠果たせず | 「コンラート1世 ドイツ王」 | 「コンラート1世が東フランク王に選出された」 | ||
ハインリヒ1世 (ドイツ王) | 「ハインリヒ1世」★:戴冠果たせず | 「ハインリヒ1世 ドイツ王」 | 「ドイツ王初代ハインリッヒ1世狩猟王」 | 「ハインリヒ1世 国王」 | |
コンラート (イタリア王) | 「コンラート3世」★:戴冠果たせず | 「コンラート ドイツ王」 | 「コンラート 国王 イタリア王」 | ||
コンラート3世 (神聖ローマ皇帝) | 「コンラート3世」★:戴冠果たせず | 「コンラート3世 ドイツ王」 | 「ドイツ王コンラート3世」 | 「コンラート3世 対立国王 ドイツ国王」 | |
フィリップ (神聖ローマ皇帝) | 「フィリップ・フォン・シュヴァーベン」★:戴冠果たせず | 「フィリップ フォン・シュヴァーベン ドイツ王」 | 「ドイツ王フィリップ」 | 「フィリップ・フォン・シュヴァーベン シュヴァーベン大公 対立国王」 | |
ハインリヒ7世 (ドイツ王) | 「ハインリヒ7世」★:戴冠果たせず | 「ハインリヒ7世 ドイツ王」 | 「ドイツ王ハインリッヒ」 | 「ハインリヒ(7世) 国王」 | |
コンラート4世 (神聖ローマ皇帝) | 「コンラート4世」★:戴冠果たせず | 「コンラート4世 ドイツ王」 | 「ドイツ王コンラート4世」 | 「コンラート4世 国王 シチリア国王」 | |
ウィレム2世 (ホラント伯) | 「ヴィルヘルム」★:戴冠果たせず | 「対立国王ホラント伯ヴィルヘルム」 | 「ホラント伯ウィレム」「ドイツ王」 | ||
リチャード (コーンウォール伯) | 「リチャード・オヴ・プランタジネット」★:戴冠果たせず | 「コーンウォール伯リチャードを国王に選出した。」 | 「コーンウォール伯リチャード」「ドイツ王」 | ||
アルフォンソ10世 (カスティーリャ王) | 「アルフォンソ10世賢王」※1 | 「アルフォンソ10世を選出する」 | 「ドイツ王」 | ||
ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝) | 「ルードルフ1世」★:戴冠果たせず | 「ルードルフ4世(1世) ドイツ王」 | 「ドイツ王ルドルフ」 | 「ドイツ王ルドルフ1世」※3 | 「ルードルフ1世 ハプスブルク伯 国王」 |
アドルフ (神聖ローマ皇帝) | 「アドルフ」★:戴冠果たせず | 「ナッサウ家のアドルフが国王になる。」 | 「つぎのドイツ王には・・・ナッサウのアドルフが選ばれた。」 | 「選帝侯は・・・アドルフ・フォン・ナッサウを国王に選んだ。」「選挙諸侯・・・は1298年6月にマインツで王を廃位した。」 | |
アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝) | 「アルブレヒト1」★:戴冠果たせず | 「アルブレヒト1世 ドイツ王」 | 「アルプレヒト1世国王になる。」 | 「アルブレヒト1世」※3 | 「アルブレヒト1世 オーストリア大公 国王」 |
フリードリヒ3世 (ドイツ王) | 「フリードリヒ美王」※2 | 「フリードリヒ2世『美王』 ドイツ(対立)国王」 | 「フリードリッヒ美王が国王に立候補。」「美王は敗れ・・・お飾りの共同統治者に甘んじた。」 | 「フリードリヒ美公」※3 | 「フリードリヒ2世美王 オーストリア大公 国王」 |
ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝) | 「ヴェンツェル」★:戴冠果たせず | 「王位を継いだのは子のヴェンツェル」 | 「ヴェンツェルが皇帝即位。」 | 「ヴェンツェルが1378~1400年の間統治した。」 | 「ヴェンツェル ベーメン王 国王」 |
ループレヒト (神聖ローマ皇帝) | 「ループレヒト」★:戴冠果たせず | 「ルプレヒト・フォン・プファルツが皇帝即位。」 | 「ファルツのループレヒトがドイツ王にあげられた」 | ||
アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝) | 「アルブレヒト2世」★:戴冠果たせず | 「アルブレヒト5世(2世) ドイツ王」 | 「アルプレヒト2世皇帝即位。」「次の皇帝は・・・ハプスブルク家のアルプレヒト2世が選ばれた。・・・久々にハプスブルク家が皇帝位を得た。しかし同家期待のアルプレヒトはアーヘンでのドイツ王の戴冠式も済まさぬうちに・・・急死する。」 | 「アルブレヒト5世」※3 | 「アルブレヒト2世 オーストリア大公(5世) ベーメン及びハンガリー王 国王」 |
※1 「親仏派の諸侯と連携を図るが、ドイツに来ず」
※2 「1325.9.5 ミュンヘンでの『両家王の契約』で『共治王』となる(~1330年)が、帝国統治に関与できず、オーストリアへ引退した」
※3 巻末の「ハプスルブルク家略系図」では「ドイツ王」に数えているが「神聖ローマ皇帝」には数えていない。-こやまひろ(会話) 2023年10月20日 (金) 14:18 (UTC)
改名提案(再)[編集]
「コンラート3世 (ドイツ王)」もしくは「コンラート3世 (ローマ王)」への改名を提案します。
同様に、神聖ローマ皇帝として戴冠をしていないローマ王/ドイツ王である「フィリップ (神聖ローマ皇帝)」、「コンラート4世 (神聖ローマ皇帝)」、「ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)」、「アドルフ (神聖ローマ皇帝)」、「アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)」、「フリードリヒ3世 (ドイツ王)」、「ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)」、「ループレヒト (神聖ローマ皇帝)」、「アルブレヒト2世 (神聖ローマ皇帝)」の改名も同時に提案し、このノートページで議論したいと思います。
上記改名提案の再提案となり、内容は同様です。理由は以下の通りです。
- 神聖ローマ皇帝として戴冠していない人物の記事名に(神聖ローマ皇帝)と付すことは読者の理解の妨げになりうる。
- 神聖ローマ皇帝として戴冠していない人物の記事名のうち、フリードリヒ3世 (ドイツ王)だけはフリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)が別に存在するため、(ドイツ王)という王号を付しているが、他の9人の君主たちと1人だけ王号が異なることとなる。これはWP:CRITERIA「首尾一貫している」に反する。「神聖ローマ皇帝として戴冠していない神聖ローマ帝国君主」に対する統一的な君主号を設定すべきである。無論、「神聖ローマ皇帝」は使えない。
先日上梓された山本文彦『神聖ローマ帝国』2024年、中央公論新社においても、「皇帝と国王」という形で項を立てて差異を説明されており、両王号を明確に区別しています。なお、同書ではローマ王/ドイツ王について「多くの概説書では混乱を防ぐために、主にドイツ王を用いている。」という理由でドイツ王を用いています。--こやまひろ(会話) 2024年5月7日 (火) 13:05 (UTC)