アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)
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アルブレヒト1世(1255年7月 - 1308年5月1日)は、ハプスブルク家出身のドイツ王(在位:1298年 - 1308年)。ルドルフ1世の子。
父の死後、皇位をめぐってナッサウ家のアドルフと争うが敗れる。しかし1298年、アドルフが廃位されたためにアドルフを討ち取り即位した。
即位後は皇帝権力の強化とハプスブルク家による皇位世襲化を目指してフランスやローマ教皇と通じるが、最終的には不首尾に終わった。また、領土拡大に対しても積極的で、ドイツ中部や南部に勢力を拡大するが、1307年、スイス領を奪われると権力が衰退してしまい、翌年、甥に当たるヨーハン・パリツィーダ(末弟・ルドルフ2世の子、パリツィーダ(parricida)は尊属殺の意味)によって暗殺された[1]。
オーストリアは2人の息子フリードリヒ1世とレオポルト1世が相続したが、帝位はルクセンブルク家のハインリヒ7世が継承、ハプスブルク家は帝位から遠ざかることになった。
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子女 [編集]
ケルンテン公・ゲルツ伯・チロル伯マインハルト2世の娘エリーザベト(1262年頃 - 1312年)と1276年に結婚し、12子をもうけた。
- アンナ(1275年/1280年 - 1328年) - ブランデンブルク辺境伯ヘルマン、次いでヴロツワフ公ヘンリク6世と結婚
- アグネス(1281年 - 1364年) - ハンガリー王アンドラーシュ(エンドレ)3世と結婚
- ルドルフ3世(1281年 - 1307年) - ボヘミア王ルドルフ1世、母方の叔父のケルンテン公ハインリヒ6世と王位を争った
- エリーザベト(1285年頃 - 1352年) - ロレーヌ公フェリー4世と結婚
- フリードリヒ1世(1289年 - 1330年) - ドイツ王(対立王)フリードリヒ3世、「美王」
- レオポルト1世(1290年/1293年 - 1326年) - オーストリア公
- カタリーナ(1295年 - 1323年) - カラブリア公カルロと結婚
- アルブレヒト2世(1298年 - 1358年) - オーストリア公、ケルンテン公
- ハインリヒ(1299年 - 1327年)
- マインハルト(1300年 - 1301年)
- オットー(1301年 - 1339年) - オーストリア公、ケルンテン公
- ユッタ(1302年 - 1329年) エッティンゲン伯ルートヴィヒ6世と結婚
脚注 [編集]
参考文献 [編集]
関連項目 [編集]
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