ネワール族

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ネワール族は主にネパールカトマンドゥー盆地一帯に居住する民族。ネパールでは人口で5.48%(2001年)。6番目の民族である。主要言語はチベット・ビルマ語派ネワール語ネパール・バサ語)。

歴史[編集]

パタンのネワール建築

ネワール族はその長い歴史から高度な都市文明を形成している。カトマンドゥー盆地での居住は約3世紀から4世紀だと言われている。

有名な神話の中では、カトマンドゥー盆地はかつて大きな湖であり、文殊菩薩が聖なる剣で周囲の山地を切り開き湖の水を外に流し、ネワール族が居住出来るようになったという。近年この地で湖床跡が発見され、また盆地自体が非常に肥沃なことなどからも地学的にもこの神話がある程度の事実を示しているとも考えられている。

ネワール族の記録は4世紀リッチャヴィ王朝(インド・アーリア系)から始まる。9世紀のデーヴァ王朝を経て、12世紀から18世紀にかけてネワール族のマッラ王朝が成立するとカトマンズ盆地にネワール文化が開花する。ネワールの文字であるネパール・バッサ文字は少なくとも1200年以上前からあったと考えられ、901年の「ニダン(Nidan)」書や1173年のサンク(Sankhu)村のバジラヨギニ寺院(Bajrayogini Temple)の石板などからも見られる。

1768年、隣国のゴルカ王朝シャー王朝)のプリティヴィ・ナラヤナ・シャー王(King Prithivi Narayana Shah)がこの地を占拠したことにより、ネワール族のこの地の支配が終わるが、その後も商人や官吏として宮廷内などで影響力を維持した。

ネワール族は高度な文字文化を維持し、農業、商業、教育、行政から医療、法曹、宗教、建築、美術、文学の幅広い分野で多く活躍している。ネワール建築についてはアジアの仏塔建築に大きな影響を与えている。ネワール族の木彫技術や金属工芸も世界的に有名である。カトマンドゥー、パタンバクタプルの美しい寺院や王宮の建築は主にネワール族の建築家、芸術家によるものである。

宗教[編集]

ネワール族の宗教仏教及びヒンドゥー教である。従来仏教を信仰していたが、長年のサンスクリット化(ヒンドゥー伝承文化の導入)により独自に融和したと考えられている。ネワール族は独自の職業カーストにより身分制度があり、姓によりカーストがわかる仕組みになっている。

音楽・舞踊・食物[編集]

ネワール族は音楽、舞踊、豪華な食事を楽しむことで知られている。伝承・伝統的な楽器を持った楽士がおり、伝統的なラブソングや仮面を付けた舞踊、コミカルな演劇などもある。特に結婚式では様々な種類の肉・野菜・果物がカレーやヨーグルト、スープ、米とビールなどと共にふるまわれる。

祭礼[編集]

年間を通じてさまざまな年中行事が行われる。ヒンドゥー教の祭日、仏教の祭日、収穫期と関連づけられている。例えばネワール族にとって最も重要な祭日は「グンフ・プニ(Gunhu Punhi)」とよばれる9日間の収穫祭である。この間、穀汁の椀を飲み、高僧からの祝福を受け、田畑のカエルにえさを与える。2日目には、その年に肉親を亡くした人々が牛に扮して町内を練り歩き、故人の冥福を祈る。最終日がヴィシュヌ神の生まれ変わりであるクリシュナ王の誕生日である。

「ヤンヤ・プニ(Yanya Punhi)」はヒンドゥーの天国を司るインドラ神の祭である。ヨーシンと言われる祭柱を立て、ビールや酒がわき出す大きな仮面で現されるアカシュ・バイラブ神をまつる。カトマンドゥー近辺の家庭ではインドラ神とバイラブ神の絵または像を飾る。最後にクマリと言う処女神が雨の神であるインドラ神に感謝し、篭もっていた社を出てカトマンドゥーの通りをかごに乗って巡回する。

多くの祭礼が誕生、お食い初め、幼少期、思春期、結婚、老化、死亡までの人生の節目に関連しており、非常に複雑な性質がある。例えば、生理は不浄のものとされているため、ネワール族の少女は初潮を迎えると、12日間のすべての男性から離れ、日光の入らない部屋で女性の親族だけと過ごすというバーラ祭礼を経験する。

ネワール族の人々が長生きした場合、77歳から106歳の間に「ジュンク」と言われる5つの祭礼を行う。77歳7ヶ月と7日、83歳4ヶ月と4日(生まれてから1000回目の満月の後)、88歳8ヶ月と8日、99歳9ヶ月と9日、最後に105歳8ヶ月と8日に行う。これらすべてを経験するとその人は神として扱われる。通常夫に合わせて祭礼がおこなわれるので妻も共に祭礼を行う。その後葬式を最後の祭礼として行う。