ニコライ・フョードロフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ロシアの旗 ロシアの政治家
ニコライ・フョードロフ
Николай Васильевич Фёдоров
Федоров Николай Васильевич.jpg
ニコライ・フョードロフ(2012年5月撮影)
生年月日 1958年5月9日(56歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ロシア連邦共和国チュヴァシ自治共和国チェディノ
出身校 カザン大学法学部
前職 チュヴァシ大学教授、ソ連人民代議員、下院議員ロシア連邦農相、チュヴァシ共和国大統領
現職 ロシア農業大臣
所属政党 (ソ連共産党 1991年まで→)
統一ロシア (2001年から)
称号 経済学博士法学博士候補

内閣 ドミートリー・メドヴェージェフ内閣
任期 2012年5月21日 -

当選回数 2回
任期 1994年1月21日 - 2010年8月29日

内閣 ボリス・エリツィン
ヴィクトル・チェルノムイルジン
任期 1991年12月23日 - 1993年3月24日

内閣 イワン・シラーエフ
ボリス・エリツィン
任期 1990年7月14日 - 1991年12月23日
テンプレートを表示

ニコライ・ヴァシーリエヴィチ・フョードロフロシア語: Николай Васильевич Фёдоров、ラテン文字転写の例:Nikolai Vasilyevich Fyodorov1958年5月9日- )は、ロシア政治家ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国及びロシア連邦政府司法大臣チュヴァシ共和国大統領を経て、ドミトリー・メドヴェージェフ内閣農業大臣チュヴァシ人経済学博士および、法学博士候補

経歴・概要[編集]

1958年5月9日ソビエト連邦ロシア共和国チュヴァシ自治共和国チェディノの農家に生まれる。1980年カザン大学法学部を卒業する。法学博士候補の学位を取得し、1989年チュヴァシ大学で教壇に立つ。

1988年ソ連共産党に入党する。1989年ソ連人民代議員に選出され、ソ連最高会議社会立法問題小委員会議長や最高会議立法・適正法・法秩序問題委員を務めた。こうした経歴を評価され、ボリス・エリツィンに登用され、1990年7月からロシア共和国法相。ソ連崩壊後もロシア連邦司法大臣のポストに留まった。しかし、1993年エリツィン大統領とロシア最高会議ロシア語版の対立が激化し、モスクワ騒乱事件でエリツィンが最高議会を武力で鎮圧したため、これに先立つ3月24日にエリツィンに抗議して解任された。

新たにロシア連邦議会が創設されると1993年12月の下院国家会議選挙に立候補し、当選する。同時に実施されたチュヴァシ共和国大統領選挙にも立候補し当選(翌1994年1月21日正式就任)したため、憲法の規定により1994年2月4日国家会議代議員から自動的に解任される。

エリツィンとは、1995年チェチェン問題でチュヴァシ人将兵の投入などで折に触れて政治路線の違いから対立姿勢を見せたが、市場経済導入などの改革を支持はしていたので決定的な対決までにいたらず、1996年ロシア連邦大統領選挙では、エリツィン陣営の選挙対策本部に参加もした。1997年12月28日チュヴァシ大統領選挙に立候補し、57%の票を獲得し再選された。ロシア連邦議会上院連邦会議議員にも選出された。

2012年5月21日ドミートリー・メドヴェージェフ内閣農業大臣に任命された。

2012年9月27日、極東連邦管区訪問の一環として、北方領土択捉島を訪問、視察した[1]

脚注[編集]

  1. ^ (日本語) ロシア農相が択捉島視察=関係改善に水差す”. 時事ドットコム (2012年9月28日). 2012年9月30日閲覧。
先代:
エレーナ・スクルィーニク
ロシア農相
2012年 -
次代:
(現職)
先代:
(初代)
チュヴァシ共和国大統領
1994年 - 2010年
次代:
ミハイル・イグナチェフ
先代:
(ロシア共和国司法省)
ロシア法相
1991年 - 1993年
次代:
ユーリ・カルムィコフ
先代:
ウラジーミル・アボレンツェフ
ロシア共和国法相
1990年 - 1991年
次代:
(ロシア連邦司法省)