トム・コール

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トム・コール
Tomcole.jpeg
生年月日 1949年4月28日(65歳)[1]
出生地 ルイジアナ州シュリーブポート[1]
出身校 グリンネル大学 (B.A.)
イェール大学 (M.A.)
オクラホマ大学 (Ph.D.)
現職 大学教授
政治コンサルタント
所属政党 共和党
配偶者 エレン・コール
任期 2003年1月3日 - 現職

オクラホマ州務長官
任期 1995年 - 1999年

オクラホマ州上院議員[1]
任期 1989年 - 1991年
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トーマス・ジェフリー・コールThomas Jeffery Cole1949年4月28日 - )は、アメリカ合衆国政治家

オクラホマ州第4選挙区選出の共和党の下院議員である。チカソー族インディアンの名門、コール家の第5世代で、2010年時点でインディアン系唯一の下院議員である。

来歴[編集]

1949年ルイジアナ州シュリーブポート生まれ。オクラホマ州ムーアで育つ。父親ジョンはティンカー空軍基地元職員、母親ヘレンはオクラホマ州第4選挙区の州議会議員及びムーアの上院議員だった。

ムーア高等学校に通い、1971年アイオワ州グリンネル大学で歴史学の学士を取得、1974年イェール大学で修士を取得、1984年にはオクラホマ大学で博士号を取得した。その後、トーマス・J・ワトソン研究所の研究員となり、1977年から1978年まではフルブライト研究員としてロンドン大学に出向し、またフルブライト協会の代表取締役を務めた。

以後、大学で歴史・政治分野の教鞭をとり、1985年から1989年ロナルド・レーガンジョージ・H・W・ブッシュ政権時に国務委員長を務め、1988年1991年には州上院議員になった。1995年から1999年フランク・キーティングの下、オクラホマ州務長官を務め、1995年のオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件ではビル崩壊後の復旧活動を支援した。

1999年から2000年にオクラホマ州共和党議員ミッキー・エドワーズの地区ディレクター、秘書室長、共和党全国委員会委員となり、2000年以降、ブッシュ政権の副大統領ディック・チェイニーの移行諮問委員会に招かれた。また2年間、コンサルティング会社のアメリカ商工会議所や1989年設立のCHS&アソシエイツの社長も務めている。

2002年11月6日、共和党からオクラホマ州第四選挙区代表として選出され、会長国立共和党議会の委員会を2年間務める。2003年に副院内幹事を務めたのち下院議員となる。イラク戦争を支持し、戦争資金の可決に加わったほか、軍事委員会や天然資源委員会などを歴任。

またチカソー族インディアンとして先住民政策に努め、2004年インディアン国民会議のリーダーシップ賞を受賞し、チカソー族から殿堂入りされている。2008年の大統領選挙ではジョン・マケイン候補を支持した。

2012年9月30日にコールは下院の議会でネイティブ・アメリカンの貿易と投資の実証プロジェクトの法案を導入させた。これはネイティブ・アメリカンの部族地域での排他的な投資優先権及び特別権で、トルコの国有企業が自由に部族地域での貿易や投資を促し、ネイティブ・アメリカンの経済発展の促進を図ったもの。コールはトルコとネイティブ・アメリカンとの関係で両者のビジネスや文化に深い関心を持つ、アメリカ・トルコ連合と接近していた[2]

2012年11月6日にはオクラホマ州第4選挙区選で、民主党候補のドナ・マリーと無所属候補から出馬したR・J・ハリスに勝利し、オクラホマ州第4選挙区の議席を守った。

2013年1月18日にコールは各インディアン部族や団体からインディアン差別だとしてチーム名が問題になっていたネイティブ・アメリカンから因んだNFLチームのワシントン・レッドスキンズのチーム名に触れ、コールもレッドスキンズ(赤い肌)」のチーム名は人種差別的で「非常に不快」だと述べ、チーム名の変更を呼びかけた。

1月24日にコールはジョン・ベイナー下院議長により、スミソニアン評議委員会に任命された。

参照[編集]

外部リンク[編集]

議会
先代:
J・C・ワッツ
オクラホマ州選出下院議員
オクラホマ州第4選挙区

2003年 – present
現職
儀礼席次
先代:
ジョン・カーター
R-テキサス州
アメリカ合衆国の儀礼席次
204位
次代:
マリオ・ディアス=バラート
R-フロリダ州
党職
先代:
トーマス・M・レイノルズ
ニューヨーク州
共和党全国議会委員会委員長
2007年 - 2009年
次代:
ピート・セッションズ
テキサス州