デヴィッド・サパートン

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デヴィッド・サパートン
David Saperton
生誕 (1889-10-29) 1889年10月29日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグ
死没 (1970-07-05) 1970年7月5日(80歳没)
ジャンル クラシック
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

デヴィッド・サパートン(David Saperton, 1889年10月29日 - 1970年7月5日)は、アメリカピアニスト。本名はデヴィッド・サピールスタイン(David Sapirstein)[1][2]

生涯[編集]

ピッツバーグの医師の家に生まれた。テノール歌手だった祖父に6歳の頃から音楽の手ほどきを受け、8歳の時にレオポルド・ゴドフスキーに見い出されてオーギュスト・スパナスに師事することとなった。また、フェルッチョ・ブゾーニのマスター・クラスに参加し、ラファエル・ジョセフィのレッスンも受けた。 15歳の時にカーネギー・ホールフレデリック・ショパンピアノ協奏曲を弾いてデビューを果たしたが、その後もドイツに渡ったスパナスの下で研鑽に励み、1908年にはベルリンジェラルディン・ファーラーとジョイント・リサイタルを開いて好評を博した。

1912年にアメリカに戻り、1918年までコンサート・ピアニストとして活動した。その後は表立った演奏活動を行わなくなる。1924年にゴドフスキーの娘で無声映画スターのダグマールと結婚してからは、義父の作品研究に没頭した。その後、ヨゼフ・ホフマンと共にカーティス音楽院でピアノを教えたが、1938年にホフマンが音楽院の校長職を解かれると共に解雇されている。その後は個人でピアノ教師として活動した。

門下にはホルヘ・ボレットジュリアス・カッチェンシューラ・チェルカスキーアビー・サイモンらがいる。

1970年7月5日にボルティモアにて他界した[3]

出典[編集]

  1. ^ Saperton, David”. Facts onthe file History Date Base center. Infobase learning. 2013年12月14日閲覧。
  2. ^ デヴィッド・サパートン - Discogs
  3. ^ Saperton, David, 1889-1970”. Facts onthe file History Date Base center. The Library of Congress. 2013年12月14日閲覧。