シューラ・チェルカスキー

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イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団と共演するチェルカスキー(右)

シューラ・チェルカスキーShura Cherkassky, 1909年10月7日 - 1995年12月27日)はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト。本名アレクサンドル・イサーコヴィチ・チェルカスキーАлександр Исаакович Черкасский)。従来は1911年生まれとされてきたが、チェルカスキー自身が晩年にオデッサへ赴いて調査したことにより生年が確定した。

概要[編集]

オデッサに生まれるが、ロシア革命の勃発により家族とともにアメリカ合衆国亡命。初めはピアニストだった母にピアノを教わり、カーティス音楽院ヨゼフ・ホフマンに師事してピアノの学習を続けた。知的で華麗な演奏様式はホフマンから引き継いだと言われる。1961年以降はロンドンに居を移した。最晩年まで積極的に演奏活動に取り組み、ライヴ演奏で数多くの録音を残した。シューマンアントン・ルビンシテインラフマニノフゴドフスキーが得意のレパートリーであった。生涯最後の録音は、死の前年にユーリ・テミルカーノフ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演したラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」であった。

生涯現役を貫いたが、晩年の演奏・録音では体力や技術的な衰えが否めない。それでも彼は没年まで新たなレパートリーの探求をやめることはなく、来日時も「この年になって、シュトックハウゼンの『ピアノ曲第九番』を覚えました」などとコメントし、周囲を驚嘆させていた。

1988年以降没年まで毎年来日して聴衆に感銘を与えた。奥村一編曲の日本民謡「音戸の舟歌」「おてもやん」を来日時に披露している。ショパンのバラード全曲演奏を大阪で演奏したのが、最後の来日公演となった。

ロンドンハイゲイト墓地東区画に埋葬されている[1]

少年時代に若干のピアノ曲を作曲しており、渡米前後に書いた「悲壮前奏曲」(江口玲による演奏あり)が知られる。