デュピュイ・ド・ローム (装甲巡洋艦)
| 艦歴 | |
|---|---|
| 発注 | |
| 起工 | 1888年 |
| 進水 | 1890年 |
| 就役 | 1895年 1914年 |
| 退役 | 1911年 1920年 |
| その後 | 1923年にスクラップとして廃棄 |
| 除籍 | |
| 前級 | なし |
| 次級 | アミラル・シャルネ級 |
| 性能諸元 | |
| 排水量 | 常備:6,676トン |
| 全長 | 111.0m -m(水線長) |
| 全幅 | 15.7m |
| 吃水 | 7.49m |
| 機関 | 石炭専焼円缶13基+直立型三段膨張式三気筒レシプロ機関1基&横置式三段膨張式三気筒レシプ
ロ機関2基計3軸推進 |
| 最大出力 | 13.000hp |
| 最大速力 | 19.7ノット |
| 航続距離 | 12.5ノット/4,000海里(石炭:1,080トン) |
| 乗員 | 526名 |
| 兵装 | Model 1887 19.4cm(45口径)単装速射砲2基 Model 1887 16.3cm(45口径)単装速射砲8基 Model 1895 6.5cm(45口径)単装速射砲2基 オチキス Model 1885 47mm機関砲8基 オチキス 37mm回転式機関砲8基 45cm水上魚雷発射管単装2基 |
| 装甲 | 舷側:100mm(水線面主装甲) 甲板:20mm(主甲板) 主砲塔:100mm(側盾) 司令塔:127mm |
デュピュイ・ド・ローム (Armored Croiseur Dupuy de Lôme) は世界に先駆けてフランスが発明・建造した世界初の装甲巡洋艦である。本艦の先には、甲板装甲と舷側装甲を併せ持ち、帆走に頼らず蒸気機関だけで行動可能な航洋巡洋艦は存在せず、本艦の後より近代巡洋艦の歴史が始まったのである。基本設計は名設計士官ド・ビュシィの手により纏められた。設計内容は同年代の前弩級戦艦「マッセナ」を小型化し、装甲を減じ、代わりに速力を増加したものである。艦名は世界初の蒸気推進装甲艦「ラ・グロワール」を発明したアンリ・デュピュイ・ド・ローム(Henri Dupuy de Lôme)に因む。
目次 |
概要 [編集]
装甲巡洋艦とは、湾曲した水線下装甲を持つだけであった防護巡洋艦には、高性能炸薬により高初速化した弾丸、および速射砲によって手数が増え攻撃力の高くなった近代巡洋艦に抗しきれないとフランス海軍が判断し、舷側水線部に垂直装甲を追加した艦種である。フランス海軍はこれにより敵性海軍の船団護衛艦との近接戦闘での戦闘能力を喪失し難い新艦種を生み出した、これが装甲巡洋艦である。なお、この艦種が生み出されたことにより、列強海軍は既存の防護巡洋艦では対抗しきれないと判断したため、先を争って装甲巡洋艦を建造したが、イギリス海軍は旧い考えを捨てきれず防護巡洋艦を建造し続け、各国から10年遅れて装甲巡洋艦を整備した。
艦形について [編集]
船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ舷側甲板よりも水線部装甲の部分が突出するといった特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや、当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のために船体が短くなればその分だけ装甲を貼る面積が減り、船体の軽量化が出来るという目的で採用された手法である。艦首はプラウ・バウ(豚鼻艦首)と呼ばれ、これも船殻重量は増加させずに、水線長だけを延長する目的が有る。
兵装 [編集]
突出した艦首から艦首甲板に19.4cm単装主砲塔が1基、司令塔を組み込んだ艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置したものである。この配置は、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するため、遠くまで見張れる高所に、対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。本艦のミリタリーマストには、頂部に二層式の見張り台があり、下段に4.7cm機関砲が前後左右に1基ずつ計4基、上部には3.7cm回転式機関砲が前後左右に1基ずつ計4基装備され、後部ミリタリーマストも同形式である。その背後に19.4cm単装主砲塔が後向きに1基配置された。また、甲板一段分下がった舷側には副砲でさえも先進的な砲塔に収められ、16.3cm単装副砲塔を艦橋の左右に1基ずつ、船体中央部左右に1基ずつ、後檣基部の左右に1基ずつの計6基を配置した。
機関 [編集]
本艦は19.7ノットという、当時の基準では大高速を発揮するため、大型軍艦として世界初の三軸推進方式を採用したのが特徴である。主ボイラー缶には堅実に円缶を採用した。主機関は後述する湾曲した防御甲板の形状上、背の高い縦置式三段膨張型三気筒レシプロ機関で中央軸を推進し、背の低い横置式三段膨張型三気筒レシプロ機関は外側の右舷・左舷軸を推進した。巡航時には中央1軸または外側2軸だけで航行し、高速航行時は全主機関を使用した。
防御 [編集]
本艦を装甲巡洋艦たらしめている舷側装甲には、6,000トン台の船体としては破格の100mm厚の装甲が用いられた。その装甲範囲は甲板から水線面まで4mを覆い、更に水線下1.1mを防御するという広範囲なものであった。湾曲した主甲板は主要防御区画のみ20mm装甲で覆われた。その背後に弾片防御甲板が配され、主甲板と弾片防御甲板の間には石炭を充填した区画細分層があり機関区を防御していた。水線下部には石炭庫が配置されて浸水と弾片から内部を守る構造であった。水線下の舷側には一層式の防水区画があり、それは艦底部まで達し二重底と接続された。
艦歴 [編集]
本艦は1888年に起工、1895年に竣工した。本艦の使用実績によりフランス海軍は、装甲巡洋艦は火砲の発達に対抗できる有効な艦種であると判断し、既存の防護巡洋艦を装甲巡洋艦へと更新し始めた。1905年に主ボイラーをノルマン式石炭専焼缶20基へと更新し煙突は三本煙突となり、後部ミリタリーマストは簡素な単棒檣となった。1912年にペルー海軍に売却されたが、引き渡されず1920年にベルギーに売却され高速貨物船に改造されて「ペルヴィアー(Peruvier)」号となった。
参考図書 [編集]
- 「世界の艦船増刊第50集 フランス巡洋艦史」(海人社)
関連項目 [編集]