ポテュオ (装甲巡洋艦)

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竣工当時の「ポテュオ」
艦歴
発注 メディテラネ社ル・アーヴル造船所
起工 1893年1月
進水 1895年9月
就役 1897年1月
退役 1929年
その後
除籍
前級 アミラル・シャルネ級
次級 ジャンヌ・ダルク
性能諸元
排水量 常備:5,374トン
全長 111.0m
-m(水線長)
全幅 15.3m
吃水 6.48m
機関 ベルヴィール式石炭専焼水管缶18基
+横置型3段膨張式3気筒レシプロ機関2基2軸推進
最大出力 10.000hp
最大速力 19.0ノット
航続距離 10ノット/4,5300海里
燃料 石炭:640トン
乗員 459名
兵装 Model 1893 19.4cm(40口径)単装速射砲2基
Model 1891-1893 13.8cm(45口径)単装速射砲10基
Model 1885 47mm(43口径)単装速射砲10基
オチキス 37mm回転式機関砲8基
45cm水上魚雷発射管単装4基
装甲 舷側:35~58mm(水線面主装甲)
甲板:43mm(平面部)、84mm(傾斜部)
主砲塔:178mm(前盾)、140mm(側盾)
副砲ケースメイト:55mm
司令塔:229mm

ポテュオ (Croiseur cuirassé Pothuau) はフランスが建造した装甲巡洋艦である。

概要[編集]

本艦は1893年度海軍整備計画により「アミラル・シャルネ級」の改良型として建造された。本艦は船体の小型さ故にイギリス防護巡洋艦の持つ砲に対して優位を保つために舷側装甲をやや薄くした代わりに甲板防御・砲塔防御・司令塔防御を厚くした艦である。船体形状で長らくフランス軍艦のトレードマークであったタンブル・ホーム型船体を採用した最後の装甲巡洋艦である。

艦形について[編集]

写真は第一次大戦時のグレー1色に塗られた「ポテュオ」。

船体形状は当時、フランス海軍が主力艦から軽艦艇に至るまで主に導入していたタンブル・ホーム型船体である。これは、水線部から上の構造を複雑な曲線を用いて引き絞り、船体重量を軽減できる船体方式で、他国では帝政ロシア海軍やドイツ海軍、アメリカ海軍の前弩級戦艦や巡洋艦にも採用された。外見上の特徴として水線下部の艦首・艦尾は著しく突出し、かつ上甲板よりも水線部装甲の部分が突出する特徴的な形状をしている。このため、水線下から甲板に上るに従って船体は引き絞られ甲板面積は小さくなっている。これは、備砲の射界を船体で狭められずに広い射界を得られることや当時の装甲配置方式では船体の前後に満遍なく装甲を貼る「全体防御方式」のため、船体の重心を下げる効果を狙ったものである。

本艦の船体形状は前級と同じく乾舷の高い艦首から低い艦尾までなだらかに傾斜する平甲板型船体である。水面部が突出した艦首から艦首甲板に19.4cm単装主砲塔が1基、下部に司令塔を組み込んだ艦橋から簡素なミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦には必須の装備であった。本艦のミリタリーマストは頂部には二層式の見張り台があり、下段に4.7cm速射砲が前後左右に1基ずつ計4基、上部には3.7cm回転式機関砲が前後左右に1基ずつ計4基である。マストの後部には3本の煙突が等間隔に並び、間にはキセル型の通風筒が片舷2本ずつ計4本立っている。3番煙突から単脚式のマストまでは艦載艇置き場となっており、片舷2本ずつのボート・ダビットにより運用された。後部甲板には19.4cm単装主砲塔が後ろ向きに1基である。 また、煙突の側面には副砲として13.8cm単装速射砲をケースメイト(砲郭)配置で片舷5基ずつ計10基を配置した。

機関[編集]

本艦は欧州水域での艦隊任務をこなすためフランス共和国各地に散らばる港を利用する事を前提に航続性能は大西洋で行動するのに充分な4,000海里程度に抑えて設計された。主ボイラーはフランスが発明したベルヴィール式水管缶を18基と横置型3段膨張式3気筒レシプロ機関2基2軸推進で最大出力10,000馬力で速力19ノットを発揮した。石炭を640トン満載した状態で10ノットで4,500海里航行できた。

防御[編集]

本艦を装甲巡洋艦たらしめている舷側装甲は58mmのものが張られた。その装甲範囲は艦首から艦尾まで、甲板から水線面までの高さ4mを覆い、更に水線下1.1mを防御すると言う広範囲な物であった。湾曲した主甲板は主要防御区画のみ平面部は43mm、舷側装甲に接する傾斜部は84mmという強固な装甲で覆われた。その背後に弾片防御甲板が配され、主甲板と弾片防御甲板の間には石炭を充填した区画細分層があり機関区を防御していた。水線下部には石炭庫が配置されて浸水と弾片から内部を守る構造であった。水線下の舷側には一層式の防水区画があり、それは艦底部まで達し二重底と接続された。

艦歴[編集]

本艦は1893年にル・アーヴルのメディテラネ社で起工、1895年9月に進水、1897年1月に竣工した。1918年に後檣を撤去して観測用気球の運用設備を設置し、1919年に主砲塔を撤去して砲塔跡に高角砲を設置して砲術練習艦となった。1929年に本艦は除籍され解体された。

参考図書[編集]

  • 「世界の艦船増刊第50集 フランス巡洋艦史」(海人社)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]