ダンシンク天文台

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ダンシンク天文台

ダンシンク天文台(ダンシンクてんもんだい、Dunsink Observatory)は、アイルランドの首都ダブリン近郊にあるダンシンク英語版にある天文台である。1785年に設立された[1]

最も有名な天文台長は、数学者でもあったウィリアム・ローワン・ハミルトンである。彼は、天文台から街まで妻と歩いているときに、初の非可換代数である四元数を発見した。この道筋をたどるハミルトン・ウォーク英語版というイベントが毎年開催されている。また、 ハミルトニアンの力学の定式化でも有名である。

20世紀後半に、天文台の近くまで市街地が拡大し、シーイングが悪化した。望遠鏡は既に最新のものでなく、主に天文台の一般公開(オープンナイト)に使用されている。

ダンシンク天文台は現在、ダブリン高等研究所 (DIAS) の一部となっている。客員研究員に宿泊施設を提供し、会議や一般公開イベントにも使用される。天文台では、天文学者による天文学や天体物理学に関する公開講演が定期的に行われる。また、グラッブ望遠鏡を使用した天体観測イベントも開催される。

歴史[編集]

ダンシンク天文台は、トリニティ・カレッジプロヴォスト(学長)で1774年6月18日に亡くなったフランシス・アンドリューズ英語版の遺書に基づく3,000ポンドの寄付により設立された。天文台は、ダンシンクの町の低い丘の南斜面の海抜84メートルの場所に設置された[2]

南望遠鏡(または12インチ・グラッブ望遠鏡)は、ダブリンのトーマス・グラッブが1868年に構築したレンズを使用した屈折望遠鏡である[3]。口径11.75インチの色消しレンズは、1862年にジェームズ・サウスが、30年前にパリのロベール=アレー・コーショワ英語版から購入したものを寄贈したものである[4]

イギリス標準時であるグリニッジ平均時(GMT)がロンドン近郊のグリニッジ天文台における平均太陽時であったのと同様に、1880年以降アイルランドの標準時となったダブリン平均時はダンシンク天文台における平均太陽時であった。1916年、アイルランドはGMTに移行した。

1936年、トリニティカレッジは天文台の維持を停止し、土地を貸し出した。1940年にDIASを設立したエイモン・デ・ヴァレラは、1947年にダンシンク天文台をDIASに編入し、宇宙物理学の研究所とした。

天文台長[編集]

ウィリアム・ローワン・ハミルトン
Franz Friedrich Ernst Brünnow
Sir Robert Ball

天文学のアンドリューズ教授(Andrews Professor of Astronomy)は、ダブリン大学の天文学の教授であり、ダンシンク天文台長に関連している。天文台と同じくフランシス・アンドリューズからの寄付により1783年に設置された。トリニティ・カレッジの学則により、「天体と太陽、月、惑星を定期的に観測する」ことと定められていた。この職は1921年以降空席となり、1966年に学則の改正により廃止されたが、1984年にダブリン高等研究所の宇宙物理学部長の名誉称号として復活した。

1793年より、イギリス国王ジョージ3世の勅許に基づいて、天文学のアンドリューズ教授はアイルランド王室天文官(Royal Astronomer of Ireland)という称号を持った。この称号は1966年に消滅し、以降復活していない。

ダンシンク天文台長の一覧
在任期間 氏名 その他の称号 備考
1783–1790 ヘンリー・アッシャー英語版 天文学のアンドリューズ教授 在任中に死去
1792–1827 ジョン・ブリンクリー 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官(1793年以降)
1826年にクロイン司教に任命された。
1827–1865 ウィリアム・ローワン・ハミルトン 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官
21歳の学部生のときに任命された。天文学のほか数学に取り組んだ。1843年にハミルトン力学を開発し、四元数を発見した。在職中に死去した。
1865–1874 フランツ・ブリュンノウ英語版 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官
健康の悪化と視力の低下により引退した。
1874–1892 ロバート・スタウェル・ボール 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官
1892年にケンブリッジ大学天文学と幾何学のロウンディーン教授英語版に就任した。
1892–1897 アーサー・ランバウト英語版 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官
1897年にオックスフォード大学ラドクリフ天文台長(Radcliffe Observer)に就任した。
1897–1906 チャールズ・ジャスパー・ジョリー英語版 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官
在任中に死去
1906–1912 エドマンド・テイラー・ホイッテーカー 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官
1911年にエディンバラ大学の教授に就任した。
1912–1921 ヘンリー・プラマー 天文学のアンドリューズ教授
アイルランド王室天文官
1921年にウーリッジ砲兵大学で数学の教授に就任した。
1921–1936 チャールズ・マーティン 代理。在任中に死去
1936–1947 (空席)   天文台が閉鎖されていた。
1947–1957 ハーマン・ブラック ダブリン高等研究所宇宙物理学部長 1957年にスコットランド王室天文官に就任した。
1958–1963 マービン・A・エリソン英語版 ダブリン高等研究所宇宙物理学部長 在任中に死去
1964–1992 Patrick Arthur Wayman 天文学のアンドリューズ教授(1984年以降)
ダブリン高等研究所宇宙物理学部長
1994–2007 Evert Meurs ダブリン高等研究所主任教授
2007–2018 Luke Drury 天文学のアンドリューズ教授
ダブリン高等研究所宇宙物理学部長
2018– Peter Gallagher ダブリン高等研究所主任教授
天文学・天体物理学部門長

脚注[編集]

参考文献[編集]

出典[編集]

  1. ^ Alexander Thom, Irish Almanac and Official Directory 7th ed., 1850 p. 258. Retrieved: 2011-02-22.
  2. ^ Ordnance Survey Map Archived 2012-08-29 at the Wayback Machine.. Select Wind Report for elevation. Retrieved: 2011-02-22.
  3. ^ The South Telescope of Dunsink Observatory Authors: Wayman, P. A. Journal: Irish Astronomical Journal, vol. 8(8), p. 274 Bibliographic Code: 1968IrAJ....8..274W
  4. ^ History of the Cauchoix objective

関連項目[編集]

ダブリン高等研究所

外部リンク[編集]

座標: 北緯53度23分13秒 西経6度20分15秒 / 北緯53.387056度 西経6.337547度 / 53.387056; -6.337547