ジェームズ・カーネギー (第3代ファイフ公爵)

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第3代ファイフ公爵、アラン・ウォーレン撮影、1985年
キルト姿で自宅のエルシック・ハウスの前に立つファイフ公爵、アラン・ウォーレン撮影、1984年

ジェームズ・ジョージ・アレグザンダー・バナマン・カーネギー[1](James George Alexander Bannerman Carnegie, 3rd Duke of Fife, 1929年9月23日 - )は、スコットランドの貴族、第3代ファイフ公爵イギリスエドワード7世の曾孫の1人であり、エリザベス2世女王およびノルウェーハーラル5世の又従兄弟にあたる。現在の狭義・広義のイギリス王室の成員(ジョージ5世の直系子孫のみで構成される)と認められない人物の中では、イギリス王位継承権保有者の筆頭にある(現在の順位は63位)。

第11代サウスエスク伯爵チャールズ・カーネギーと、その妻でイギリス王女の称号を持つモード・オブ・ファイフの間の一人息子として生まれた。母親のモードはエドワード7世の長女でプリンセス・ロイヤルだったルイーズ王女と、その夫の初代ファイフ公爵アレグザンダー・ダフの間に生まれた次女で、1905年に王族の列に加えられた。

ジェームズはラドグローブ校(Ludgrove School)、ゴードンスタウン校といった上流子弟向けの寄宿学校を経てイギリス王立農業大学Royal Agricultural College)で学んだ。1948年から1950年にかけ、近衛師団スコット人連隊の一員としてマラヤに駐屯した。イギリスオリンピック委員会の委員を務めたこともある。

1959年、一人息子のコノート公アラステアを亡くしていた母方の伯母アレグザンドラ王女が死去すると、ファイフ公爵を襲爵した。さら1992年に父伯爵の死去により、第12代サウスエスク伯爵およびカーネギー氏族Clan Carnegie)の当主の地位をも受け継いだ。

1956年9月11日、第3代フォーティヴィオット男爵ヘンリー・デウォーの娘キャロライン・デウォー(1937年 - )と結婚し、間に1男1女をもうけたが、1966年に離婚した。

  • アレグザンドラ・カーネギー(1959年 - )
  • デイヴィッド・カーネギー(1961年 - )

脚注[編集]

外部リンク[編集]

先代:
アレクサンドラ王女
ファイフ公爵
1959年 -
次代:
-
法定推定相続人:デイヴィッド・カーネギー
先代:
チャールズ・カーネギー
サウスエスク伯爵
1992年 -
次代:
-
法定推定相続人:デイヴィッド・カーネギー
上位:
マクシミリアン・ラッセルズ
イギリス王位継承順位
継承順位第 63
エドワード7世の娘ルイーズの孫)
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位:
デイヴィッド・カーネギー