サン・ビセンテ・デル・ラスペイグ
| 州 | バレンシア州 |
|---|---|
| 県 | アリカンテ県 |
| 面積 | 40.55km² |
| 標高 | 109m |
| 人口 | 53,126人(2009年) |
| 人口密度 | 1,310.14人/km² |
| 住民の呼称 | Sanvicentero, -a |
北緯38度23分47秒 西経0度31分31秒 / 北緯38.39639度 西経0.52528度 |
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サン・ビセンテ・デル・ラスペイグ (スペイン語:San Vicente del Raspeig、バレンシア語:Sant Vicent del Raspeig IPA: [sam viˈsɛn deɫ rasˈpetʃ]サン・ビセン・デル・ラスペッチ)は、スペイン、バレンシア州、アリカンテ県の都市。
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地理[編集]
県都アリカンテから6マイル離れた、アリカンテ都市圏を構成する都市である。アリカンテとサン・ビセンテは都市間が連続して都市化されており、セルカニアスやアリカンテ・トラムで相互に往来が容易である。
水源に乏しく、季節ごとに水が流れるガリ程度しかない。加えて、土壌は農地に適するほど肥沃な部分はすでに村落の近くを除いてわずかである。
乾燥した地中海性気候で、1月は平均気温が11℃、7月・8月は25℃である。一方降雨量は年間通して不均一に降り、年間340mmを超えない。
樹木の植生に乏しく、穀物や、農場でマツが見られる程度である。イネ科のグラスやローズマリーなど雑草が、非耕地に生い茂っている。
歴史[編集]
イベリア人、ローマ属州ヒスパニア、アラブ占領時代のサン・ビセンテに関する研究記録は何も残っていない。少なくとも17世紀以降、プラ・デ・ラ・オリベラ、エル・ラスペイグの2つの村が確認された。
サン・ビセンテとは、エル・ラスペイグで説教を行ったことのある中世の聖人、ビセンテ・フェレールにちなんでいる。その後エル・ラスペイグは礼拝堂を中心に発展していき、現在の名を名乗るようになった。1848年、アリカンテより分離して独立した自治体となった。1858年、マドリード=アリカンテ間の鉄道が開通しサン・ビセンテにも到達した。これによってアリカンテ港に近くなり、一部のサン・ビセンテで作られた製品の輸出の道が開けた。1873年から1878年にかけて、アリカンテからアゴスト、イビへ向かう道路が開通。1905年にはトラムが開通した。1924年には電化された。これにより、タイル、セメント、石膏といった建設資材の工場がセン・ビセンテにでき、その後家具工場ができた。19世紀後半から20世紀初頭にかけ、サン・ビセンテはソリア・イ・マータの線状都市理論(Ciudad lineral)による都市化を経験した。
スペイン第二共和制時代からスペイン内戦期、都市はフランス革命暦の第8月にちなみ、フロレアル・デル・ラスペイグ(Floreal del Raspeig)と改名されていた。1960年代以降、バレンシアーナ・デ・セメントスのセメント工場(現在セメックス傘下)や家具工場の好調で人口が大幅に増加した。1979年にはアリカンテ大学がサン・ビセンテで開学した。1991年、バレンシア語が都市の準公用語と認定され、都市名にSant Vicent del Raspeigが併記された。
経済[編集]
サン・ビセンテはあらゆる種類のビジネスを含む業界が存在する一方で、アリカンテ都市圏のベッドタウンでもある。また、学生数約28,000人を擁するアリカンテ大学の本部を抱えている。
かつては農業が経済の大黒柱であったが、現在は住宅地所や工業団地が優先され穀物の畑は背景に押しやられてしまった。唯一パルティダ・ラスペイグにて伝統的な農業が行われている。この地区は農業保護区として大規模農業が実践されており、特にトマトやイチジクの農園がある。
交通[編集]
- 道路 - AP-7、A-70、A-77
- 鉄道 - セルカニアス ムルシア/アリカンテ、セントロ・デ・サン・ビセンテ駅。トラム・メトロポリタノ・デ・アリカンテ。
姉妹都市[編集]
外部リンク[編集]