ゲンディ・タルタコフスキー

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ゲンディ・タルタコフスキー(Genndy Tartakovsky、ロシア語: Геннадий Борисович Тартаковский,[1]、1970年1月17日-)はアメリカ合衆国のアニメーター。主な作品は「デクスターズラボ」、「サムライジャック」。

彼の名前である"Геннадий"は本来ゲンナージーおよびゲンナジー( Gennady もしくはGennadiy)と訳されるが、アメリカ合衆国に移住する際、ゲンディに改名した[1]

略歴[編集]

モスクワにて、ユダヤ系の両親のもとに生まれた[2]。父は役人やアイスホッケーソビエト連邦代表英語版を相手とする歯科医だった[3][4]。父は厳格で時代遅れな人物だったが、父との関係は特別であると、のちにゲンディは振り返っている。 その後イタリアへ移住し、隣人のドイツ人一家の娘に影響され、絵を描くようになった。反ユダヤ主義の懸念から[3] 、ゲンディは7歳の時に家族とともにアメリカ合衆国へ移住した[5]。 そこでゲンディは初めてスーパーフレンズの漫画を購入し、漫画の世界へと導かれた。一方で学校では外国人として見なされることが多く、高校2年生までは落ち着いた学校生活を送れなかったと後に振り返っている。父の死後、一家は政府が援助する住宅へ引っ越し、ゲンディは働きながら学校に通った。 カリフォルニア芸術大学に入学し、アニメーションの技能を磨いた。大学で同級のクレイグ・マクラッケンに出会って以来、一緒に制作するようになりった。すでに入社していたマクラッケン[4]の紹介でカートゥーンネットワークに入社し、デレクターラボやサムライジャック、パワーパフガールズを制作した。 カリフォルニア芸術大学時代の友人には他にロブ・レンゼッティがいる[6]。 2011年に、カートゥーンネットワークを辞め、ソニー・ピクチャーズ・アニメーションへ移籍した。2012年、初めて監督した長編映画『 モンスター・ホテル』が公開された[7]

携わった作品[編集]

カートゥーンネットワーク時代[編集]

ソニー・ピクチャーズ・アニメーション時代[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Мои мультфильмы – для любого возраста”. Pressmon.com (2005年11月2日). 2014年4月11日閲覧。
  2. ^ The Way of the Samurai”. The Jewish Journal (2001年8月3日). 2007年3月24日閲覧。
  3. ^ a b Alec Wilkinson, "MOODY TOONS; The king of the Cartoon Network." The New Yorker. ANNALS OF POPULAR CULTURE; p. 76. May 27, 2002.
  4. ^ a b Drew Jubera (2001年8月12日). “WATCHING TV: Is 'Samurai' one for the ages?”. The Atlanta Journal-Constitution: p. 12L 
  5. ^ SAMURAI JACK. DUNCAN HIGGITT. Western Mail. First Edition; NEWS; p. 28. June 17, 2005.
  6. ^ SAMURAI JACK PUTS ART BACK INTO ANIMATION. Tim Feran. Columbus Dispatch (Ohio). FEATURES – TV PLUS; Cover Story; p. 3. May 11, 2003.
  7. ^ Keegan, Rebecca (2012年8月25日). “Genndy Tartakovsky gets 'Hotel Transylvania' open for business”. Los Angeles Times. http://www.latimes.com/entertainment/movies/moviesnow/la-et-mn-hotel-transylvania-20120826,0,3490529.story 2012年8月26日閲覧。 

外部リンク[編集]