ゲルニカ

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Gernika-Lumo
Guernica y Luno

Escudo de Gernika Lumo.svg

ゲルニカ市街
ゲルニカ市街
Flag of the Basque Country.svg バスク州
Bizkaikobanderea.svg ビスカヤ県
面積 8.47km²
標高 10m
人口 16,224人(2009年)
人口密度 1,900人/km²
Bizkaia municipalities Gernika.PNG

北緯43度19分00秒 西経2度40分00秒 / 北緯43.31667度 西経2.66667度 / 43.31667; -2.66667

ゲルニカバスク語Gernikaスペイン語Guernica)は、スペインバスク自治州ビスカヤ県ムニシピオ(基礎自治体)。近隣のルモと連合したため、自治体の正式名称は「ゲルニカ=ルモGernika-Lumo)」、スペイン語で「ゲルニカ・イ・ルノGuernica y Luno)」である。人口は16,224人(2009年)。

政治的な位置付け[編集]

ゲルニカには、ビスカヤ県の議会(Junta)が置かれている(行政府はビルバオ)。何世紀もの間、ビスカヤ人の伝統的な議会は「ゲルニカのオークの木」の下で開かれてきた。バスク人にとって、この木は自由の象徴であった。オークの木は代々植え替えられてきた。1800年代まで立っていた木は、石化されて議会場の近くに置かれている。その木に代わって1860年に植えられた木は2004年に枯れた。植え替えられた若木は公式な「ゲルニカの木」となったが、その木も病気にかかったために周りの土が入れ替えられている。木のそばには集会場が建てられ、1826年に建てられた現在の議会場と兼用されている。

歴史[編集]

ゲルニカ爆撃後のゲルニカ

代々のビスカヤ伯は、その称号を受ける前にゲルニカを訪れ、ビスカヤの自治を尊重することを誓うしきたりとなっていた。伯位はカスティーリャ王に受け継がれたが、王もまたゲルニカで誓いを行った。

スペイン内戦中の1937年4月26日には、フランコ反乱軍によるバスク地方攻撃の一環としてゲルニカ爆撃が行われた。同軍のエミリオ・モラ将軍は1937年3月末から同地方の攻略にかかっており、ドイツ空軍遠征隊であるコンドル軍団の爆撃隊がその支援として空襲を行った。ゲルニカ爆撃が米、英、仏などの報道機関によって伝えられると、フランコ反乱軍を非難する声が世界的に巻き起こった。この反響を危惧したフランコやコンドル軍団指揮官フーゴ・シュペルレらは「ゲルニカで都市を破壊し、子供や尼僧までを殺傷したのは、我々に敵対するバスク民族主義者やアナーキストの犯行である。ゲルニカ爆撃は捏造である」という謀略宣伝に努めた。画家のパブロ・ピカソパリ博覧会のため壁画を依頼されており、憤怒を込めて『ゲルニカ』を描きあげた。この都市の象徴的な地位のために、現在のバスク自治憲章は、1936年の自治憲章の継承者であるバスク亡命政府の支持のもと、1978年12月29日にゲルニカで承認された。現在のバスク自治州首相(レンダカリ)もゲルニカのオークの木の前で宣誓を行っている。

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]