エメリヤン・プガチョフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
エメリヤン・プガチョフ

エメリヤン・プガチョフロシア語Емелья́н Пугачёв1740年 (1742年) - 1775年1月21日)は、エカチェリーナ2世治世時代にヴォルガ川流域で起こったコサック暴動・プガチョフの乱の首謀者。ピョートル3世を自称した偽皇帝でもある。

家族[編集]

エメリヤン・プガチョフは、ロシア帝国ドン州ロシア語版英語版、「小ロシア人の集落」と呼ばれた[1]ジモヴェーイスカヤ集落ロシア語版英語版で、ドン・コサックの家で生まれた。父イヴァン・プガチョフは1762年に、母アンア・プガチョワは1771年に死去した。プガチョフの苗字は、「プーハチ」(ウクライナ語Пугач、意訳:「木菟」)という祖父ミハイルのコサック渾名に由来する。プガチョフにはデメンテイの兄弟と、ウリャーナとフェドシヤという二人の姉妹がいた。

ロシアの警察が行ったプガチョフの不審尋問によると、プガチョフ家は、古儀式派を信じる多数のドン・コサックやヤイク・コサックロシア語版英語版(ウラル・コサック)と異なり、当時の公式なロシア正教会の信者であったという。また、プガチョフの息子チモフェイの代父は「小ロシア人のアレクセイ」であった[2]

プガチョフは、18歳よりドン・コサック軍で軍役を努め、19歳にドン州イエサウロフスカヤ集落終身のソフィア・ネデュージェヴァと結婚した。

脚注[編集]

  1. ^ Рознер И. Г. Казачество в крестьянской войне 1773 — 1775 гг. Львов, 1966. С. 25.。現在、ロシアヴォルゴグラード州プガチョフスカヤ集落。同集落からスチェパン・ラージンも生まれている。
  2. ^ Рознер И. Г. Казачество в крестьянской войне 1773 — 1775 гг. Львов, 1966. С. 25.

参考文献[編集]