アブステンション作戦

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アブステンション作戦 (Operation Abstention) は第二次世界大戦中のイギリス軍の作戦の一つで、1941年2月後半に実行されたカステロリゾ島の占領作戦である。カステロリゾ島はトルコの沿岸にある当時イタリア領であったである。この作戦の目的は、ドデカネス諸島イタリア軍に挑むための拠点を作ることであった。

背景[編集]

カステロリゾ島 (Kastellorizo) とロードス島 (Rhodos) の場所

タラント空襲キレナイカへの攻勢の成功によって、イギリスなどの連合国軍は地中海戦域で優位に立った。次はドデカネス諸島のイタリア軍の撃破であるとして、地中海艦隊の司令部はドデカネス諸島で最も東にある小さな島でロードス島から80マイルの距離にあるカステロリゾ島の攻略を計画した。この攻略作戦はエーゲ海を勢力下におくための第一歩であるとされた。しかし、イタリア軍は崩壊しかかってなどおらず、その海上部隊や航空部隊はエジプトギリシャの間を航行する連合国艦船に対する攻撃能力を有していた。

イギリス軍の上陸[編集]

上陸部隊の中心は200名のコマンド部隊であり、駆逐艦ヘレワードデコイによって輸送された。また、25名の海兵隊員が砲艦レディバードに乗っていた。2月23日クレタ島スダ湾でコマンド部隊を乗せた駆逐艦2隻は24日に出撃し、軽巡洋艦グロスターと共にカステロリゾ島へ向かった。当初の計画では、シャーウッド・フォレスターズ中隊 (Sherwood Foresters company) が到着する前に、24時間で橋頭堡をつくる予定であった。この第2陣の部隊はキプロス島から軽巡洋艦ボナヴェンチャーパースに護衛された武装ヨットHMS Rosauraによって運ばれることになっていた。潜水艦パーシアンによって島周辺の偵察が行われた後、25日の夜明け前にコマンド部隊と海兵隊は港へ上陸を開始した。カステロリゾ島にいたのは、無線施設に配備された雑多な部隊の少数の兵士と警察であった。上陸に際し、イタリア軍による抵抗は少なく、イギリス軍は無線施設を奪取し12名を捕虜とした。だが、その前にイタリア側は、ドデカネス諸島のイタリア軍の拠点であるロードス島へ敵襲を知らせていた。

イタリア軍の反撃[編集]

イギリス軍上陸から何時間もたたないうちにイタリア空軍が島上空に現れた。コマンド部隊のいる丘や港が攻撃され、砲艦レディーバードに爆弾1発が命中した。燃料も少なくなっていたレディバードは不要とされた海兵隊を乗せてハイファへ後退した。レディーバードの後退に伴い、コマンド部隊とアレクサンドリアとの連絡が切れた。27日朝にはイタリア海軍が現れた。水雷艇ルポリンスは島に約240名の兵士を上陸させ、またその3.9インチ砲でイギリス軍陣地を砲撃した。一方、コマンド部隊からイタリア海軍の存在を知らされたヘレワードは島から40マイルほどはなれた場所でデコイと合流した。イギリスの駆逐艦はイタリア海軍艦艇を発見できなかった。ヘレワードは司令部へ、空襲に加えイタリア海軍も活動していることからRosauraからの部隊の上陸は非常に危険である、と報告した。それゆえ、第2陣の上陸は延期され計画は変更されることになった。シャーウッド・フォレスターズ中隊は、Rosauraから駆逐艦デコイとヒーローに移り、そこから上陸することになった。変更された計画実行のため作戦参加艦艇はすべてアレクサンドリアへ戻るよう命じられた。同じ頃、高い波のためにイタリア側も28日朝まで上陸は中断させられていた。上陸したイタリア軍は、消耗し孤立したイギリスのコマンド部隊への攻撃を続けていた。コマンド部隊は24時間分の装備しか持っていなかった。イタリア海軍はレロス島からの増援(駆逐艦クインティノ・セラフランチェスコ・クリスピMAS2隻)と共に戻ってきて部隊の残りを上陸させると共に砲撃を再開した。

空と海からの圧力により、イギリス軍は島の占領維持が不可能となった。28日にアレクサンドリアからの艦隊が到着した時、コマンド部隊の指揮官クーパー (Cooper) 少佐は他の部隊と協議をおこない、海と空からの継続的な援護がない限り撤退は不可避であると判断した。そのため、上陸していた部隊は30名程度を残して撤退した。島に残ったものはイタリア軍に降伏し捕虜となった。撤退する部隊の護衛中に駆逐艦ジャガーがフランチェスコ・クリスピに雷撃されたが、魚雷は命中しなかった。ジャガーは主砲で反撃したが命中弾は得られなかった。この戦闘後、イギリス艦隊はアレクサンドリアに帰投した。イギリスの駆逐艦ヌビアンヘイスティ、ジャガーはロードス島とカステロリゾ島との間の海域を捜索したが、帰投するイタリア海軍艦艇を捕捉することは出来なかった。

結果[編集]

Board of Inquiryは、ヘレワードがすぐに敵と接触せずデコイと合流を図ったことが、第2陣の部隊の上陸失敗とコマンド部隊の孤立の原因であるとした。イギリス軍の指揮官はイタリアの強い反撃にも驚かされた。

イタリア軍は1943年9月にイタリアが連合国と休戦するまでドデカネス諸島を保持していた。

参考文献[編集]

  • Bragadin, Marc'Antonio: The Italian Navy in World War II, United States Naval Institute, Annapolis, 1957.
  • Koburger, Charles W. Jr: Naval Warfare in the Eastern Mediterranean (1940-1945). Praeguer Publishers, Westport, 1993. ISBN 0275944654.
  • Sadkovich, James: The Italian Navy in World War II. Greenwood Press, Westport, 1994.
  • Santoni, Alberto: Il Vero Traditore: Il ruolo documentato di ULTRA nella guerra. Mursia, 1981.
  • Seymour, William: British Special Forces. Sidgwick and Jackson, 1985. ISBN 0283988738
  • Simpson, Michael: A life of Admiral of the Fleet Andrew Cunningham. A Twentieth-century Naval Leader. Rutledge Ed., 2004. ISBN 0714651974.
  • Titterton, G.A.: “The Royal Navy and the Mediterranean”. Routledge, London, 2002. ISBN 0714652059.