通りゃんせ

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みんなのうた
通りゃんせ
歌手 東京少年少女合唱隊
作詞者 わらべうた
作曲者 南安雄
編曲者 岩河三郎
映像 アニメーション
映像制作者 木馬座
初放送月 1969年2月3月
再放送月 なし
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通りゃんせ』(とおりゃんせ)は、江戸時代に成立したと見られるわらべうた野口雨情による作とも伝えられる(1920年頃収録レコードにも作者として記載されている)。ロンドン橋と同様の遊び方もある。

関所を舞台とするという説(出立は楽だが帰還の際は厳しく調べられるという歌詞)や、埼玉県川越市三芳野神社神奈川県小田原市菅原神社が舞台であるという説があり、共に発祥の碑がある。

地域によっては「通りゃんせ」を「とおりゃんせ」と平仮名で表記することもある。

目次

[編集] 歌詞

『通りゃんせ』
作詞・不詳 本居長世 編・作曲
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神様の 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ


[編集] 歌の訳

御通りなさいまし 通ってもいいですよ。
ここは どこの細道ですか?
天神様の細道ですよ。
ちょっと通して下さいませんか?
御用の無い者は 通しはしません。
この子の七つの御祝いに 御札を納めに参ります。
行きは好い好いとして行ったとしても 帰りは怖いですよ。
怖いですけれども、
御通りなさいまし 通ってもいいですよ。


[編集] 歌の解釈

この歌も様々な解釈が為されている歌であるが、基本は歌の通り天神様の細道を行く時の歌」である。

通ってもいいですけれど、行く時は(天神様の細道を通る時の規則や礼儀を、自身勝手で安易に許容範囲を緩めても、それで)好い好いとして行ったとして、さて、帰りは?天神様の細道の関所を通れますか?それを御了承の上で御通りなさいまし、といった内容である。

「行きはよいよい」の別の解釈としては、「行きは容易だとしても」「行きは酔った勢いでそれで良しとして行っても」「行く時には宵で酔いながら行ったとして」とか、単に「行きは好いですけれど」との解釈も在る。

「帰りは怖い」そのわけは、「天神様の細道」を通して貰う時に述べた理由が、本心で現実にその目的で行って来たかどうだか、天神の道に相応しい目的と心と行いで行って来たかどうだかを審判されるからである。だから、入る前に、天神様の道を通るのに相応しい御用が在るかどうかを尋ねられる。

聖書』の「狭き門より入れ」も、これとつながりのある教えを説いている聖句である。ちなみに、「針穴を通過する駱駝」は、とても安易だが邪道な事をさす。

[編集] あそびかた

二人の子供が向かい合って立ち両手を繋いであげ関所をつくり、他の子供たちが列になってこの手の下をくぐっていく。この間、『とおりゃんせ』を歌い、歌の終わりで、両手を挙げていた子供らがさっと手を下ろす。ちょうどそこにいきあたった子供がつかまって関所役の子供と交代する。

[編集] 民俗学的考察

民俗学的見地から見る場合、最も注目すべきは「七つのお祝いに お札を納めに参ります」との一節であろう。古来から、7歳は男女の別が備わり社会の仲間入りをする年齢、とみなすのが全国共通の習慣である(数え年の7歳は、現代では満6歳になる年度を指し、現在でいえば義務教育が始まる1年前の年齢に相当する)。また、産まれたばかりの乳児が弱い時期を過ぎ、免疫抗体反応や自浄ホメオスタシス機能等が確立しだし、バランスを取って機能しだす時期に達するのが、七歳位と言われる。精神的にも自立心が出来、独立した一個の人間としての志向性や個性が確立し出すのも、この時期と言われている。

乳幼児死亡率の高い昔は、子供が7歳まで生きることが難しかったため、無事な成長を願う儀式が必要とされた。そのなかで比較的多いのは、「赤ちゃんが生まれた直後、紙を人型に切って神棚へ祀り、7歳までの守り神とする。7歳の宮参りになると、それを氏神へお返しして、社会の仲間入りをする」というパターンである。かわらけの欠片や)を包んだおひねりといった古態もあるが、開けた地域では氏神のお札を用いることも多い。

つまり、7歳まで無事に育った子供は、庇護してくれた守り神をお返しする通過儀礼を経て、社会の一員として認められるようになり、同時にそれは、今まであった神佑を断ち、神霊の庇護なしに生きていかねばならないことを意味する。ゆえに「行きはよいよい、帰りは怖い」のである。

一部では「七つの子」の歌との関連性も言われている。そのほか、生け贄にささげるために神社に行ったと言う説や、遊廓に行った男が(行きはよいよい)遊女に梅毒などの性病をうつされた(帰りはこわい)[1]という説もある

[編集] 帰りはこわい

天神様の細道を通って行くには、通る為の「理由」が必要である。その理由は、この曲の場合は「この子の七つの御祝いに御札を納めに」という事になっている。七歳になった御祝いに天神様に御札を納めに行く、その内容で、なぜ「行きはよいよい帰りは怖い」か。

この歌の場合には、昔から居た人さらい(拉致者)への対処が含まれている。人さらいにとって特に、小さな子供は格好の餌食であった。そこで、天神様の細道を行く時に「理由」を尋ねる事によって、帰りにその真偽を問うわけである。その「理由」が確かに正しいかどうか。もし違えていたら「怖い」のである。

天神様の細道を通る理由は、歌では「この子の七つの御祝に御札を納めに」だが、「他のどのような理由を持ってしても、天神様の細道を通るという事は、そのようなものですよ」という教訓が含まれている。

[編集] 音響装置付信号機

日本の横断歩道に設置されている音響装置付信号機には、この『とおりゃんせ』や『故郷の空』を青信号のメロディに採用しているものが多かった。最近では鳥の鳴き声(南北方向がスズメのさえずり、東西方向はカッコーの鳴き声)を模した信号機に置き換えられつつある。

[編集] 逸話

日本の音響信号機に採用されているのは「調べ(=曲)が終わるまでは通っても安全」というアナロジー(みたて)である。そのため「こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」の部分まで流れないことがほとんどであった。中には、「行きはよいよい 帰りは」の後に点滅信号となり、連動して、「ピーポー ピーポー」と交通事故後の救急搬送を連想させる信号機もある(あった)。

この歌詞の意味に神隠し伝説や人柱埋蔵金伝説の関連付けが後を絶たず、都市伝説の一種と化している側面がある。

[編集] 使用・歌唱・アレンジ等

[編集] 脚注

  1. ^ 北海道及び東北の一部、茨城、千葉などの方言で「こわい」は、疲れたと言う意味がある。つまり、遊廓で遊んで疲れ果ててしまうという隠喩である。あるいは単に出かけるときは気持ちが高揚していたが帰りには疲れてしまったということか

[編集] 外部リンク


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