舞昆のこうはら

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株式会社 舞昆のこうはら
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 舞昆のこうはら
本社所在地 日本の旗 日本
546-0031
大阪府大阪市東住吉区田辺4-12-1
設立 1972年
業種 食料品
事業内容 昆布加工品、健康食品等の製造・販売
代表者   取締役会長鴻原正一
代表取締役社長鴻原森蔵
外部リンク http://www.yogkan.co.jp/
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株式会社舞昆のこうはら(まいこん - )は、大阪府大阪市東住吉区に本店を置く昆布専門店。

天然酵母で仕込んだ塩昆布『舞昆』(まいこん)で知られる。

企業理念は「人の心に温もりと、文化のある生活提案」。

2010年、社名を「株式会社こうはら本店」から「株式会社舞昆のこうはら」に変更した。


目次

概要[編集]

舞昆のこうはらは塩昆布をはじめとした佃煮類を製造し、自社で販売するという方式で展開している。

代表商品である舞昆をはじめ、健康食品的な商品が多く、近年特にメディアからの注目も受けるようになってきた。

沿革[編集]

発祥[編集]

初代鴻原正一は、淡路島から15歳の時に丁稚奉公で修行し「こうはら本店」を創業した。正一は、細川師氏を祖として遡ることができる。

室町幕府に淡路守護職として任命された細川師氏を開祖とし平成元年以来屋号に「養宜館」を付けるようになった養宜館は暦応三年細川師氏が居城とした(1340年室町時代)屋号に付している養宜館とは淡路島八木にあったお城「養宜屋形」のこと。

源の細川師氏(みなもとのほそかわもろうじ)は、足利尊氏が北朝方に味方し挙兵、室町幕府を開幕した際に手柄を立てた細川三兄弟の末っ子。淡路島の守護職として祖細川師氏末裔は八代まで栄えた。

沼島水軍[編集]

師氏は淡路島の守護として、瀬戸内領域の海賊を次々を降参させ強力な水軍を組織した。師氏の水軍の代表格は沼島水軍である。沼島水軍は、室町時代以前は倭寇として瀬戸内の小島の海賊を組織した総大将がいた。

管領家細川[編集]

1379年(天授5年/康暦元年)、義満は反頼之派の守護大名である斯波義将や土岐頼康らに。頼之に対して追討令が下るが翌年には赦免されて宿老として幕政に復帰している。

罷免復帰のエピソード[編集]

室町幕府の管領家である細川頼之は義満の小さいときからの育ての親で教育係であった。義満は斯波義将や土岐頼康に邸を包囲され頼之の罷免を求められ、頼之は罷免された(康暦の政変)。

ところが政治が不安定になり、義満は頼之の暇を解いて復帰させることを考えた。どすれば戻ってくれるか、思案した挙句、京より高松の居城まで義満自身が単身で迎えに行くのが誠意が伝わると考え、頼春を連れ戻しにゆく旅が始まった。

それを聞いた頼之は感激し、弟の淡路師氏の水軍に義満の瀬戸内海の渡航を護衛するよう指示した。

さっそく義満が海を渡ろううとしていた港に100艘の瀬戸内水軍を組織し、高松まで100艘の船で義満を取り囲み見つからないようほどほどの距離を保ちながら延々護衛をさせた。

高松がもうすぐ見えるやのところで、海賊船が近づき義満の船に火矢を放った。頼之は待ちきれず師氏の水軍の船にのり、高松沖の海の上で、偶然にも義満が海賊に襲われているところに差し掛かり、義満を助ける形で涙の対面を果たした。

頼之には追討令が出ていたにもかかわらず、義満を助けた功労で京に復帰することができたのだが、大掛かりなお芝居と云われる。

交易[編集]

師氏は、海賊上がりの水軍を組織していたことから、政商としてアイヌと交易を通じて海産物を独占していた。アイヌの海産物交易の中でも特に乾物の昆布・ニシン・鮑を商材としていた。黒潮親潮を巧みに渡り北海道の交易を続け師氏の財政を支えていた。

アイヌに伝わる三角オールは、沼島水軍から伝わったものである。淡路島の高田屋嘉兵衛が、松前から択捉航路を発見したときに使っていたものである。もちろん沼島水軍の航海技術が花開かせた歴史の因縁である。

士族「師氏」は八代まで栄え、応仁の乱以降、姓を「鴻原」と改めた。

淡路守護細川家の没落[編集]

応仁の乱がはじまり淡路島は三好氏に攻められ、居城養宜館は焼き尽くされ、一族は討ち死にしたと歴史に記されている。応仁の乱は、細川三兄弟から150年を経て、末裔が兄弟喧嘩をした乱である。

6歳になった八代の千代丸は城をでて松林に逃げ込み乳母は樹木の腐った穴を見つけ、八代目を隠した。

乱以降、姓を改め「鴻原」と名乗り、海産物商として、昆布商初代鴻原正一が丁稚奉公のあと、独立し「こうはら本店」の創始となる。

企業史[編集]

  • 1952年(昭和27年) - 創始者、鴻原正一が大阪で昆布煮炊きの修行。函館広葉樹林下流浜の昆布発見
  • 1961年(昭和36年) - 椎茸のうま味を加えた昆布煮「しいこん」を開発し「こうはら本店」で出店
  • 1988年(昭和63年) - 鴻原森蔵(現社長)が福岡大学で発酵栽培(茸)を研究
  • 1989年(平成元年) - 船場店に養宜館の屋号を付ける
  • 1994年(平成6年) - 魚・茸・果物で濃コク塩昆布を開発 直火仕込み製法が農林水産大臣賞
  • 1995年(平成7年) - 東住吉区本社店出店、全国へカタログ販売
  • 1997年(平成9年) - 近畿郵政局長賞・お年玉年賀3等景品
  • 2003年(平成15年) - 大豆納豆の発酵を昆布に応用 昆布の発酵ギャバ塩昆布試験販売
  • 2004年(平成16年) - 発酵研究開発費を大阪府が補助 大阪府立大学農学部と共同研究

昆布発酵で血中脂肪減少効果 昆布桑葉菊芋に血圧血糖改善効果

天然酵母が育てた贈り物「舞昆」発売

MBSラジオ近藤光史が舞昆を紹介

  • 2005年(平成17年) - 新聞全国紙全面広告
  • 2006年(平成18年) - 東住吉区南田辺発酵職人工房稼働
  • 2007年(平成19年) - 大村崑テレビCM収録・全国放映
  • 2008年(平成20年) - 第6回「醤油名匠」称号を賜る(審査・服部幸應)
  • 2009年(平成21年) - 舞昆が橋下知事賞受賞

はなまるおめざで萬田久子が紹介 大阪食博出展

橋下・東国原両知事に舞昆贈呈 「食の祭典」大阪府立大学が舞昆を展示

  • 2010年(平成22年) - 鴻原森蔵が社長に就任 社名を「株式会社 舞昆のこうはら」に変更

店舗[編集]

本社・田辺店
南田辺店
  • 府大阪市東住吉区南田辺1-10-17
船場店
大正店
天下茶屋店
天王寺店
千林店
アベノ店
せんば心斎橋店
発酵職人工房
  • 大阪市東住吉区南田辺1-10-18
加賀屋新社屋

関連項目[編集]

ラジオの生CMで近藤光史バキュームカーを連想させる様な音を立ててお茶漬けを食べるのが有名。
上記2名は「こんちゃん」の愛称で知られる
ラジオ番組(OBCラジオ大阪) 毎週土曜日11時30分~45分前

 放送期間平成24年9月で休止 平成25年度秋再開予定  若旦那と辻ちゃんが舞昆ファンのタレントを迎えてあったかごはんにまつわる思い出話を紹介するトーク番組 出演者 小柳ルミ子・赤井英和・西郷輝彦

テレビ番組 KBS京都テレビ 「金曜五時」番組内での舞昆コーナー

 舞昆であったかごはん クッキング番組  舞昆があれば大笑い  抱腹絶倒の茶の間コント  帰ってきた「あったかごはん」  クッキング番組  舞昆があれば大笑い  各店を舞台にした客との抱腹絶倒コント 

外部リンク[編集]