「摂津鉄道1号形蒸気機関車」の版間の差分
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'''1号形'''は、[[摂津鉄道]]が |
'''1号形'''は、[[摂津鉄道]]が使用していた[[蒸気機関車]]である。なお、この呼称は、同社では機関車に形式称号を付与していなかったため、便宜的に付したものである。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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摂津鉄道は後の[[福知山線]]および支線の旧尼崎港線の[[尼崎港駅|尼崎港]] - [[川西池田駅|川西池田]]間に相当する尼崎 - 池田間を運行していた鉄道であり、さらにその前身の軌間1067 mmで尼崎 - [[伊丹駅|伊丹]]間の[[馬車鉄道]]であった[[川辺馬車鉄道]]を軌間762 mmの蒸気鉄道に転換し、かつ伊丹 - 池田間を延長したもので、[[1893年]][[12月12日]]に尼崎 - 池田間の運行を開始している<ref name="NTSC-470">[{{NDLDC|2127166/282}} 鉄道省『日本鉄道史. 中篇』p.470](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 |
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[[1893年]](明治26年)の摂津鉄道の蒸気鉄道への転換用に、[[スイス]]の[[スイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス]](SLM)で4両を製造([[製造番号]] 834 - 837)した、[[軌間]]762mm、外側式[[台枠]]の[[車軸配置]]0-6-0(C。軸距は1,100mm+1,000mm)、運転整備重量8.6[[トン|t]]、2気筒単式の飽和式[[ウェルタンク]]機関車である。摂津鉄道では、製造番号順に、'''1 - 4'''と付番した。 |
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この鉄道は日本の一般営業の狭軌蒸気鉄道としては1885年開業・軌間838 mmの[[阪堺鉄道]]、1888年開業・軌間762 mmの[[伊豫鉄道]]に次ぐ3番目のものであった<ref group="注釈">その後、いずれも軌間762 mmで1894年開業の[[青梅鉄道]]、1895年開業の[[道後鉄道]]、1896年開業の[[南豫鉄道]]、1897年開業の[[上野鉄道]]が[[1890年代]]に開業している</ref><ref name="hti-7">湯口徹『「へっつい」の系譜 <small>低重心超小型機関車の一族</small>』 p.7</ref>、[[1895年]]度時点で機関車4機と客車および貨車各20両で運行され、旅客輸送量665千人、貨物輸送量17千 tの実績となっていた<ref name="NTSC-470" />が、この4機の機関車が本項で記述する1号形蒸気機関車である。 |
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[[弁装置]]は、クルーク式と呼ばれるジョイ式と同様のラジアルギア方式の一種で、日本では非常に珍しい方式である。主連棒の大端は、上方少し前にずらして取り付けられていた。また、主[[駆動輪|動輪]]は第2動輪であり、そのせいか[[シリンダー]]は1/6という急角度で高位置に設置されている。蒸気ドームは円筒形で、天板はネジ止めされており、平らな頂部には[[安全弁]]が設けられている。[[砂撒き装置|砂箱]]は蒸気ドームの後部に箱型のものが設けられた。 |
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摂津鉄道 |
一方、大阪 - 舞鶴間の路線の開業を目論んでいた[[阪鶴鉄道]]は摂津鉄道をその路線の一部とするためこれを買収することを計画しており、両社協議の結果[[1893年]][[11月25日]]に摂津鉄道が阪鶴鉄道に一切の資産を譲渡する契約が締結されて[[1897年]][[2月16日]]に譲渡が完了し、摂津鉄道株式会社は解散している<ref name="NTSC-470" />。譲渡後、旧摂津鉄道の東海道線北側の神崎 - 池田間のうち塚口 - 池田間の多くは阪鶴鉄道線の一部として1897年12月に軌間1067mmに[[改軌]]され、翌[[1898年]]6月に神崎(現尼崎)- 塚口間が開業した一方、残った東海道線南側の尼崎 - 長洲間は軌間762mmのまま残ったが、[[1901年]]に官設鉄道線(現東海道本線)との立体交差化および1067 mm軌間への改軌工事のために休止された。本形式の阪鶴鉄道での形式・番号についての記録はなく、また、1067 mm軌間への改軌の進展に伴い本形式は営業用機関車としての運用を終了したと推測されているが廃車年月についての記録もなく、塚口 - 池田間改軌の時点で2機が、尼崎 - 長洲間の休止の時点で残る2機が廃車となったと推測されている。 |
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== SLM製造番号834-837号機 == |
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本形式のうち3, 4(製造番号 836, 837)は、[[長崎県]]の関西採炭松浦炭坑に譲渡され、番号もそのまま使用された。松浦炭坑は、その後所有者を転々としたが、1930年ごろには岡本彦馬の所有となり、その[[専用鉄道]]は[[1933年]](昭和8年)8月16日付けで[[佐世保鉄道]]に買収されて同社の[[世知原線]]となり、本形式も同社の籍を得ることになった。ただし、佐世保鉄道籍となったのは4のみで、佐世保鉄道では、'''14'''と称した。もう1両の3は、それまでの間に事故で破損し、[[廃車 (鉄道)|廃車]]となったらしい。しかし、その3の運転室部分は、[[ボールドウィン・ロコモティブ・ワークス|ボールドウィン]]製の[[竜崎鉄道1号蒸気機関車#W.No.14077|車軸配置0-6-0タンク機]](後の佐世保鉄道13→鉄道省ケ600)に移植されている。 |
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摂津鉄道1号形が具体的にどのような機関車であったかに関する記録は発見されていないが、1893年に[[スイス]]の[[スイス・ロコモティブ・アンド・マシン・ワークス|SLM]]<ref group="注釈">Schweizerische Lokomotiv- und Maschinenfablik, [[ヴィンタートゥール|Winterthur]]</ref>が4両を製造([[製造番号]] 834 - 837)し、同じくスイスのファーブル・ブラント商会<ref group="注釈">Fabre-Brandt, [[ヌーシャテル|Neuchâtel]]</ref>が日本向けとして取扱った<ref name="kkjb-19">[[#kkjb|『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.19]]</ref>納入先不明の[[軌間]]762mm、外側[[台枠]]式、[[車軸配置]]C、運転整備重量8.6[[トン|t]]、2気筒単式の飽和式[[ウェルタンク]]機関車を製造番号順に1 - 4と付番したものが摂津鉄道1号形に該当する機体であると推定されている。 |
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=== 摂津鉄道1号形との関連 === |
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[[1936年]](昭和11年)10月、佐世保鉄道が国有化されたため、本機は[[鉄道省]]に籍を移し、'''ケ215形'''('''ケ215''')と改番された。用途は、国有化前から[[世知原駅]]での[[入換機関車|入換]]で、[[1938年]](昭和13年)にケ600が廃車になると、その代機として[[臼ノ浦駅]]に移転した。しかし、[[1939年]](昭和14年)には[[東唐津駅|東唐津]]に転属し、据え置きボイラー代用とされた。廃車は[[1944年]](昭和19年)5月で、処分は[[解体]]であった。 |
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SLM製造番号834-837号機について[[鉄道ファン|鉄道車輌史研究家]]の臼井茂信は、{{Quote|注文主または使用開始の鉄道が明確でない。ただ摂津鉄道ではないかと推定できる程度で、確証が見当たらないのである。(中略)つまり摂津が阪鶴に買収され、改軌後不要になった機関車が、岡本彦馬の前身、関西採炭(松浦炭礦)に移ったという推理である。(中略)同時代の軽便で使用機関車の判明していないものは他にもあり、これらにも目を移す必要があろう。たとえば、1890年操業開始の芳谷炭礦鉄道などがその一例で、(中略)松浦の〈スイス・ロコ〉はここから転用されたとも考えられる。|臼井茂信|機関車の系譜図 I<ref name="locokeii-259_260">[[#locokeii|『機関車の系譜図 I』 p.259-260]]</ref>}}としており、また、同じく[[鉄道ファン|蒸気機関車研究家]]の金田茂裕は{{Quote|ファヴル・ブラント商会の取扱いでスイス機関車・機械製作所が1893年にW Nos .834-837、引渡し時の機関車番号1-4として製作した外側台枠式の機関車があった。これは摂津鉄道のNos.1-4と考えて間違いないと思う(後略)。|金田茂裕|<small>形式別・国鉄の蒸気機関車 別冊</small> 国鉄軽便線の機関車<ref name="kkjb-28">[[#kkjb|『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.28]]</ref>}}{{Quote|SLMのリストにはどこにも摂津鉄道納入とは書いていない。最初につけた番号がNos.1-4と判っているだけであるが、摂津鉄道が購入したことはもはや疑う余地はない程確かであろう。|金田茂裕|SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録<ref name="SLMBC-21">[[#SLMBC|『SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録』 p.21]]</ref>}}としている。 |
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一方、SLM製造番号834-837号機のうち、製造番号837号機は1936年10月の佐世保鉄道の国有化に伴い、同鉄道の14号機から国鉄ケ215号機となった機体であることが現車で確認されている<ref name="locokeii-259_260" />。佐世保鉄道の記録およびそれを引継いだ国鉄の記録によると、この機体は1898年フランス製とされており<ref name="njk2-504" />、また、佐世保鉄道が岡本彦馬個人所有の専用鉄道を譲受した際に同専用鉄道が所有していたた本機を併せて譲受し<ref name="locokeii-259_260" />、他の譲受機(1-5→11-15号機)と同様に元の番号に10を加えて14号機としたものとされている<ref name="locolist-13222_13223">[[#locolist|『機関車表』 p.13222-13223]]</ref>。これらの記録に関し、臼井茂信は、製造年については本機を岡本彦馬の専用鉄道のさらに前身の前身である関西採炭が本機を購入した年であり、製造国については製造銘板がフランス語表記であったための誤認であると推測している<ref name="njk2-504" />。 |
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なお、阪鶴鉄道1, 2については、何処かに譲渡されたものと思われるが、その行方は判明していない。 |
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また、ケ215号機と同じく佐世保鉄道が岡本彦馬専用鉄道とともに譲受して13号機とし、後に[[竜崎鉄道1号蒸気機関車#W.No.14077|国鉄ケ600号機]]となった機体{{Refn|group="注釈"|金田茂裕は、[[太田鉄道]]が開業に際して導入した1894年ボールドウィン製、762 mm軌間の製造番号14075 - 14077号機のうち14076もしくは14077号機(太田鉄道は開業直前に1067 mmに改軌されたため同鉄道では使用されていない)が[[日本海軍|海軍]]舞鶴軍港もしくは工廠の建設工事に使用され、その後松浦炭礦の推定5号機となっていたものと推定している<ref name="kkjb-43" />。}}の運転室の形状はSLM製造番号834-837号機の運転室の形状と類似の形状のものとなっている<ref name="kkjb-43">[[#kkjb|『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.43]]</ref>。これに関し、金田茂裕は、同機はもともと岡本彦馬の専用鉄道の前身である松浦炭礦の推定5号機で、岡本彦馬専用鉄道が保有していた際にオリジナルの運転室から、同専用鉄道が保有していたSLM製番836号機(機番3)から「3」の切抜文字の番号をつけた部材を流用した運転室に改造してそのまま3<sup>II</sup>号機となったものと推定しており、その後佐世保鉄道では本機の運転室の「3」の切抜文字の脇に少しサイズの大きい「1」の切抜文字を設置して13号機としている<ref name="kkjb-43" />。 |
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== 主要諸元 == |
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*全長:4,790mm |
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=== 構造 === |
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*全高:2,800mm |
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[[弁装置]]は、クルーク式と呼ばれるジョイ式と同様のラジアルギア方式の一種で、日本では珍しい方式である。主連棒の大端は、上方少し前にずらして取り付けられていた。また、主[[駆動輪|動輪]]は第2動輪であり、[[シリンダー]]は1/6という急角度で高位置に設置されている。蒸気ドームは円筒形で天板はネジ止めされており、平らな頂部には[[安全弁]]が設けられている。[[砂撒き装置|砂箱]]は蒸気ドームの後部に箱型のものが設けられた。 |
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<!--*最大幅:mm--> |
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*[[軌間]]:762mm |
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本機の[[弁装置]]は、クルーク式と呼ばれるジョイ式と同様のラジアルギア方式の一種で、日本では非常に珍しい方式であり、主[[駆動輪|動輪]]は第2動輪で、主連棒の大端は、上方少し前にずらして取り付けられていた。また、[[シリンダー]]は1/6という急角度で高位置に設置されている。これは欧州の[[路面機関車]]で類似の機体が見られる<ref group="注釈">路上の障害物がシリンダと衝突することを避ける、もしくは泥等による弁装置の汚損を避けるなどの理由などとの説があり、他の路面蒸気機関車ではシリンダを傾けて高位置に設置する方式のほか、ブラウン式弁装置のようにレバーを使用して台枠上にシリンダを設置する方式、台枠内側にシリンダを設置する方式、走行装置全体をカバーで覆う方式などが採用されていた</ref>もので、SLMでも[[1887年|1887]][[1890年|、90年]]製のスイスの[[フラウエンフェルト-ヴィル鉄道]]<ref group="注釈">Frauenfeld-Wil-Bahn(FW)</ref>[[フラウエンフェルト-ヴィル鉄道G3/3 1-4形蒸気機関車|G3/3 1-4形]]<ref name="DS-141" />や、本形式とほぼ同型のエジプト向けの路面機関車などの導入事例がある<ref name="kkjb-28" />。蒸気ドームは円筒形で、天板はネジ止めされており、平らな頂部には[[安全弁]]が設けられている。[[砂撒き装置|砂箱]]は蒸気ドームの後部に箱型のものが設けられた。また、連結器はSLMの組立図上ではドロップフック式のものが装備されている。 |
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*[[車軸配置]]:0-6-0(C) |
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*動輪直径:600mm |
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=== 推定される経歴 === |
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*[[弁装置]]:クルーク式 |
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摂津鐵道および阪鶴鉄道での経歴は前述の通りで、旧摂津鉄道線の改軌後のタイミングで廃車となったとされている。 |
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*シリンダー(直径×行程):180mm×300mm |
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*ボイラー圧力:12.0kg/[[平方センチメートル|cm<sup>2</sup>]] |
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阪鶴鉄道で廃車となった旧摂津鉄道1号形(阪鶴鉄道形式番号不明機)のうち旧摂津鐵道3, 4号機(製造番号 836, 837)は、[[長崎県]]の関西採炭松浦炭坑に譲渡されてそのままの番号で使用された。関西採炭は1899年6月に解散しており、松浦炭坑はその後合資会社松浦炭礦(1902年設立)の所有となり、さらに1932年3月の同社倒産に伴い同社の支配人であった岡本彦馬の個人所有の[[専用鉄道]]<ref group="注釈">長崎県北松浦郡佐々村 - 同県同郡世知原村間、11.8 km</ref>は[[1933年]]8月16日許可で[[佐世保鉄道]]に譲渡されて地方鉄道に変更となり<ref>[{{NDLDC|2958462/8}} 『官報第1990号』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>、10月24日届出で貨物営業を<ref group="注釈">佐々 - 吉井 - 世知原、11.8 km</ref><ref>[{{NDLDC|2958523/9}} 『官報2051号』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>、翌1934年2月11日届出で旅客営業を開始している<ref group="注釈">佐々 - 野寄 - 神田 - 吉井 - 祝橋 - 世知原、11.7 km</ref><ref>[{{NDLDC|2958617/10}} 『官報2143号』1934年2月24日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>となった。 |
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*火格子面積:0.28m<sup>2</sup> |
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*全伝熱面積:16.7m<sup>2</sup> |
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その後、岡本彦馬専用鉄道は[[1933年]]8月16日付けで[[佐世保鉄道]]に買収されて同社の[[世知原線]]となり、本形式のうち4号機が佐世保鉄道14号機となった。一方、3号機は佐世保鉄道買収までの間に事故で破損し、[[廃車 (鉄道)|廃車]]となったと考えられており、その運転室部分が松浦炭礦の推定5号機(後の佐世保鉄道13号機→鉄道省ケ600号機)に転用されたと推測されている。 |
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<!--**煙管蒸発伝熱面積:m<sup>2</sup> |
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**火室蒸発伝熱面積:m<sup>2</sup> |
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[[1936年]]10月1日、佐世保鉄道<ref group="注釈">上佐世保 - 世知原間、左石 - 柚木間、実盛谷 - 相浦間、四ツ井樋 - 臼ノ浦間</ref>が国有化されて<ref>[{{NDLDC|2959406/5}} 「鉄道省告示第327号」『官報2924号』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>松浦線となった<ref>[{{NDLDC|2959406/5}} 「鉄道省告示第326号」『官報2924号』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>ことに伴い、本機は[[鉄道省]]のケ215形(ケ215号機)となった。用途は、国有化前から[[世知原駅]]での[[入換機関車|入換]]で、[[1938年]]にケ600号機が廃車になると、その代機として[[臼ノ浦駅]]に移転した。しかし、[[1939年]]には[[東唐津駅|東唐津]]に転属し、据え置きボイラー代用とされた。[[1941年]]6月(1944年とする文献もある<ref name="kkjb-29">[[#kkjb|『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.29]]</ref>)に廃車となり<ref name="locolist-13222_13223" />[[解体]]された。 |
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*ボイラー水容量:[[立方メートル|m<sup>3</sup>]] |
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*小煙管(直径×長サ×数):mm×mm×本--> |
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=== 主要諸元 === |
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*機関車運転整備重量:8.6t |
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製造時のSLM組立図による値<ref name="SLMBC-34_35">[[#SLMBC|『SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録』 p.34-35]]</ref>、()内は佐世保鉄道14号機および国鉄ケ215号機における値<ref name="locolist-13215">[[#locolist|『機関車表』 p.13215]]</ref><ref name="njk2-504">[[#njk2|『日本蒸気機関車形式図集成 2』 p.504]]</ref> |
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<!--*機関車空車重量:t--> |
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*[[軌間]]:762 mm |
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*機関車動輪上重量(運転整備時):8.6t |
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*[[車軸配置]]:C |
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<!--*機関車動輪軸重(各軸均等):t--> |
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*全長:4790 mm(4755 mm) |
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*水タンク容量:0.65m<sup>3</sup> |
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*全高:2800 mm(2770 mm) |
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*燃料積載量:0.40t |
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*動輪直径:600 mm(610 mm) |
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*機関車性能 |
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*軸距:1100 + 1000 = 2100 mm(1080 + 1000 = 2080 mm) |
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**シリンダ引張力:1,650kg |
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*連結器 |
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<!--**粘着引張力: |
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**方式:ドロップ・フック式(ピン・リンク式) |
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**高さ:660 mm(570 mm) |
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*[[弁装置]]:クルーク式<ref name="SLMBC-23">[[#SLMBC|『SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録』 p.23]]</ref>(マーシャル式ヴィンタートゥール形) |
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*シリンダー(直径×行程):180 mm × 300 mm(180 mm × 305 mm) |
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*ボイラー |
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**内径:700 mm |
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**中心高:1280 mm(1285 mm) |
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**圧力:12.0 kg/[[平方センチメートル|cm<sup>2</sup>]] |
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**火格子面積:0.28 m<sup>2</sup>(0.30 m<sup>2</sup>) |
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**伝熱面積 |
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***全伝熱面積:16.65 m<sup>2</sup>(17.26 m<sup>2</sup>) |
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***煙管伝熱面積:14.55 m<sup>2</sup>(14.47 m<sup>2</sup>) |
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***火室伝熱面積:2.1 m<sup>2</sup>(2.79 m<sup>2</sup>) |
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**水容量:5.5 [[立方メートル|m<sup>3</sup>]] |
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**小煙管(直径×長×数):38 mm × 1700 mm × 38本<ref name="SLMBC-23" />(44.5 mm × 1713 mm × 48本) |
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*機関車重量/動輪上重量 |
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**空車:7.0 t(7.0 t) |
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**運転整備時:8.6 t(8.0 t) |
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*水タンク容量:0.65 m<sup>3</sup>(0.71 m<sup>3</sup>) |
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*燃料積載量:0.40 t(0.4 t) |
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<!--*性能 |
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**シリンダ引張力:1650 kg |
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**粘着引張力: |
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**動輪周馬力:--> |
**動輪周馬力:--> |
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*ブレーキ方式:[[手ブレーキ]] |
*ブレーキ方式:[[手ブレーキ]] |
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===同系機=== |
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SLMでは製番834-837号機とほぼ同型のエジプト向け路面機関車をはじめとして、同様の構造の機関車を製造しており、[[併用軌道]]を有する鉄道などで使用されいた。 |
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*バッヒェム社扱・エジプト向け路面機関車(エジプト) |
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**1-3号機(製番1133-1135、1898年製)750 mm軌間、車軸配置C<ref name="SLMBC-21" /><ref name="kkjb-28" /> |
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*ヴァルデンブルク鉄道<ref group="注釈">Waldenburgerbahn(WB)</ref>(スイス) |
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**G3/3 4形(製番458、1887年製):750 mm軌間、車軸配置C、軸距1800 mm、運転整備重量14.9 t<ref name="DS-140">[[#locolist|『Dampf-Strassenbahnen』 p.140]]</ref> |
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*フラウエンフェルト-ヴィル鉄道 |
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**G3/3 1-4形(製番461-463, 617、1887年製):1000 mm軌間、車軸配置C、軸距1800 mm、運転整備重量15.8 t<ref name="DS-141">[[#locolist|『Dampf-Strassenbahnen』 p.141]]</ref> |
|||
*ポン-サーニュ-ショー=ド=フォン鉄道鉄道<ref group="注釈">Chemin de fer Ponts-Sagne-Chaux-de-Fonds(PSC)、1947年にブルネ地域鉄道と統合してヌーシャテル山岳鉄道(Chemins de fer des Montagnes Neuchâteloises(CMN))となり、1999年にヌーシャテル地域交通(Transports Régionaux Neuchâtelois(TRN))となって現在に至る</ref>(スイス) |
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**G3/3 1-3形(製番520-522、1889年製):1000 mm軌間、車軸配置C、軸距1800 mm、運転整備重量15.0 t<ref name="DS-142">[[#locolist|『Dampf-Strassenbahnen』 p.142]]</ref> |
|||
*ブルネ地域鉄道<ref group="注釈">Chemin de fer Régional des Brenets(RdB)、1947年にポン-サーニュ-ショー=ド=フォン鉄道と統合してヌーシャテル山岳鉄道(Chemins de fer des Montagnes Neuchâteloises(CMN))となり、1999年にヌーシャテル地域交通(Transports Régionaux Neuchâtelois(TRN))となって現在に至る</ref>(スイス) |
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**G3/3 1-3形(製番618-619, 716、1890年製):1000 mm軌間、車軸配置C、軸距1800 mm、運転整備重量16.0 t<ref name="DS-142" />、G3/3 1号機は現在ブロネイ-シャンビィ博物館鉄道<ref group="注釈">Museumsbahn Blonay-Chamby(BC)</ref>で動態保存されている |
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*カストロ・アレン鉱山鉄道<ref group="注釈">ferrocarril minero de Castro-Alén</ref>(スペイン) |
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**1-3、6-7号機(製番838-840(1893年製)、1811-1812(1907年製)):750 mm軌間、車軸配置C、2、6-7号機はのちに同じスペインのペリウエラ鉱山鉄道<ref group="注釈">ferrocarril de Mines de Perihuela</ref>に譲渡され、"Victor Felgueroao"、無番号、"Jose Gari"となる。 |
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FW G 3-3 Murg.png|フラウエンフェルト-ヴィル鉄道のG3/3形、1900年頃、SLM製番834-837号機ではサイドタンクはなくウェルタンクのみを装備する |
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FW G 3-3 Brown-Steuerung und Kuppelstange.jpg|フラウエンフェルト-ヴィル鉄道G3/3形の弁装置、SLM製番834-837号機ではリターンクランクは第2動輪に設置される |
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Waldenburg4G3WBi.jpg|ヴァルデンブルク鉄道G3/3 4号機(製番458)、1886-1911年の間 |
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Blonay-Chamby Régional des Brenets - 1 - 01.jpg|ブロネイ-シャンビィ博物館鉄道で動態保存されている元ブルネ地域鉄道のG3/3 1号機、2010年 |
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</gallery> |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|35em|group="注釈"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|30em}} |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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書籍 |
|||
* 臼井茂信「機関車の系譜図 2」1973年、[[交友社]]刊 |
|||
*{{Cite book|和書|author =臼井茂信 |authorlink = |year =1973 |month = |title =機関車の系譜図 I|journal =|volume = |issue = |page = |pages =|publisher =交友社|location = |issn = |doi = |naid = |pmid = |id = |url = |format = |accessdate = |quote = | ref =locokeii|isbn=}} |
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*{{Cite book|和書|author =臼井茂信 |authorlink = |year =1969 |month = |title =日本蒸気機関車形式図集成 2|journal =|volume = |issue = |page = |pages =|publisher =[[誠文堂新光社]]|location = |issn = |doi = |naid = |pmid = |id = |url = |format = |accessdate = |quote = | ref =njk2|isbn= }} |
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*{{Cite book|和書|author =沖田祐作 |authorlink = |year =2014 |month = |title =機関車表|journal =|volume = |issue = |page = |pages =|publisher =ネコ・パブリッシング|location = |issn = |doi = |naid = |pmid = |id = |url = |format = |accessdate = |quote = | ref =locolist |isbn=9784777053629}} |
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*{{Cite book|和書|author =金田茂裕 |authorlink = |year =1986 |month = |title =形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車 |chapter = |journal =|volume = |issue = |page = |pages =|publisher =機関車史研究会|location = |issn = |doi = |naid = |pmid = |id = |url = |format = |accessdate = |quote = | ref =kkjb |isbn=4871126153 }} |
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*{{Cite book|和書|author =金田茂裕 |authorlink = |year =1993 |month = |title =SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録|chapter = |journal =|volume = |issue = |page = |pages =|publisher =機関車史研究会|location = |issn = |doi = |naid = |pmid = |id = |url = |format = |accessdate = |quote = | ref =SLMBC |isbn= }} |
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*{{cite Book |last= Vogel |first=Kasper |date=1996 |title=125 Jahre Schweizerishe Lokomotiv- und Maschinenfabrik|publisher=MINIREX |location=Luzern |language=de |volume= |issue= |pages= |isbn=3907014081|ref =125SLM}} |
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*{{cite Book |last= Waldbuger |first=Hans |date=1987 |title=Die Frauenfeld-Wil-Bahn <small>Geschichte einer Regionalbahn von 1887 - 1987</small> |publisher=MINIREX |location=Luzern |language=de |volume= |issue= |pages= |isbn=3907014006 |ref =FW}} |
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*{{cite Book |last= Hefti |first=Walter |date=1980 |title=Tramway Lokomotiven |publisher=Springer Basesl |location=Basel |language=de |volume= |issue= |pages= |isbn=9783764311599 |ref =TL}} |
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*{{cite Book |last= Hefti |first=Walter |date=1984 |title=Dampf-Strassenbahnen |publisher=Springer Basesl |location=Basel |language=de |volume= |issue= |pages= |isbn=9783764315368 |ref =DS}} |
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*{{Cite book|和書|author1 =徳永益男 |author2 = [[松本謙一]]|year =2018 |month = |title =全国蒸気機関車配置表 |journal= |volume = |issue = |page = |pages =|publisher =[[イカロス出版]]|location = |issn = |doi = |naid = |pmid = |id = |url = |format = |accessdate = |quote = | ref =zzhh |isbn=9784802204354}} |
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雑誌 |
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* 臼井茂信「国鉄狭軌軽便線 23」[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] 1985年9月号(No.293)、交友社刊 |
* 臼井茂信「国鉄狭軌軽便線 23」[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] 1985年9月号(No.293)、交友社刊 |
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* 金田茂裕「国鉄軽便線の機関車」1987年、機関車史研究会刊 |
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* 金田茂裕「SLMの機関車 A.ボルジッヒの機関車」1993年、機関車史研究会刊 |
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2023年4月8日 (土) 09:15時点における版
1号形は、摂津鉄道が使用していた蒸気機関車である。なお、この呼称は、同社では機関車に形式称号を付与していなかったため、便宜的に付したものである。
概要
摂津鉄道は後の福知山線および支線の旧尼崎港線の尼崎港 - 川西池田間に相当する尼崎 - 池田間を運行していた鉄道であり、さらにその前身の軌間1067 mmで尼崎 - 伊丹間の馬車鉄道であった川辺馬車鉄道を軌間762 mmの蒸気鉄道に転換し、かつ伊丹 - 池田間を延長したもので、1893年12月12日に尼崎 - 池田間の運行を開始している[1]。
この鉄道は日本の一般営業の狭軌蒸気鉄道としては1885年開業・軌間838 mmの阪堺鉄道、1888年開業・軌間762 mmの伊豫鉄道に次ぐ3番目のものであった[注釈 1][2]、1895年度時点で機関車4機と客車および貨車各20両で運行され、旅客輸送量665千人、貨物輸送量17千 tの実績となっていた[1]が、この4機の機関車が本項で記述する1号形蒸気機関車である。
一方、大阪 - 舞鶴間の路線の開業を目論んでいた阪鶴鉄道は摂津鉄道をその路線の一部とするためこれを買収することを計画しており、両社協議の結果1893年11月25日に摂津鉄道が阪鶴鉄道に一切の資産を譲渡する契約が締結されて1897年2月16日に譲渡が完了し、摂津鉄道株式会社は解散している[1]。譲渡後、旧摂津鉄道の東海道線北側の神崎 - 池田間のうち塚口 - 池田間の多くは阪鶴鉄道線の一部として1897年12月に軌間1067mmに改軌され、翌1898年6月に神崎(現尼崎)- 塚口間が開業した一方、残った東海道線南側の尼崎 - 長洲間は軌間762mmのまま残ったが、1901年に官設鉄道線(現東海道本線)との立体交差化および1067 mm軌間への改軌工事のために休止された。本形式の阪鶴鉄道での形式・番号についての記録はなく、また、1067 mm軌間への改軌の進展に伴い本形式は営業用機関車としての運用を終了したと推測されているが廃車年月についての記録もなく、塚口 - 池田間改軌の時点で2機が、尼崎 - 長洲間の休止の時点で残る2機が廃車となったと推測されている。
SLM製造番号834-837号機
摂津鉄道1号形が具体的にどのような機関車であったかに関する記録は発見されていないが、1893年にスイスのSLM[注釈 2]が4両を製造(製造番号 834 - 837)し、同じくスイスのファーブル・ブラント商会[注釈 3]が日本向けとして取扱った[3]納入先不明の軌間762mm、外側台枠式、車軸配置C、運転整備重量8.6t、2気筒単式の飽和式ウェルタンク機関車を製造番号順に1 - 4と付番したものが摂津鉄道1号形に該当する機体であると推定されている。
摂津鉄道1号形との関連
SLM製造番号834-837号機について鉄道車輌史研究家の臼井茂信は、
注文主または使用開始の鉄道が明確でない。ただ摂津鉄道ではないかと推定できる程度で、確証が見当たらないのである。(中略)つまり摂津が阪鶴に買収され、改軌後不要になった機関車が、岡本彦馬の前身、関西採炭(松浦炭礦)に移ったという推理である。(中略)同時代の軽便で使用機関車の判明していないものは他にもあり、これらにも目を移す必要があろう。たとえば、1890年操業開始の芳谷炭礦鉄道などがその一例で、(中略)松浦の〈スイス・ロコ〉はここから転用されたとも考えられる。—臼井茂信、機関車の系譜図 I[4]
としており、また、同じく蒸気機関車研究家の金田茂裕は
ファヴル・ブラント商会の取扱いでスイス機関車・機械製作所が1893年にW Nos .834-837、引渡し時の機関車番号1-4として製作した外側台枠式の機関車があった。これは摂津鉄道のNos.1-4と考えて間違いないと思う(後略)。—金田茂裕、形式別・国鉄の蒸気機関車 別冊 国鉄軽便線の機関車[5]
SLMのリストにはどこにも摂津鉄道納入とは書いていない。最初につけた番号がNos.1-4と判っているだけであるが、摂津鉄道が購入したことはもはや疑う余地はない程確かであろう。—金田茂裕、SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録[6]
としている。
一方、SLM製造番号834-837号機のうち、製造番号837号機は1936年10月の佐世保鉄道の国有化に伴い、同鉄道の14号機から国鉄ケ215号機となった機体であることが現車で確認されている[4]。佐世保鉄道の記録およびそれを引継いだ国鉄の記録によると、この機体は1898年フランス製とされており[7]、また、佐世保鉄道が岡本彦馬個人所有の専用鉄道を譲受した際に同専用鉄道が所有していたた本機を併せて譲受し[4]、他の譲受機(1-5→11-15号機)と同様に元の番号に10を加えて14号機としたものとされている[8]。これらの記録に関し、臼井茂信は、製造年については本機を岡本彦馬の専用鉄道のさらに前身の前身である関西採炭が本機を購入した年であり、製造国については製造銘板がフランス語表記であったための誤認であると推測している[7]。
また、ケ215号機と同じく佐世保鉄道が岡本彦馬専用鉄道とともに譲受して13号機とし、後に国鉄ケ600号機となった機体[注釈 4]の運転室の形状はSLM製造番号834-837号機の運転室の形状と類似の形状のものとなっている[9]。これに関し、金田茂裕は、同機はもともと岡本彦馬の専用鉄道の前身である松浦炭礦の推定5号機で、岡本彦馬専用鉄道が保有していた際にオリジナルの運転室から、同専用鉄道が保有していたSLM製番836号機(機番3)から「3」の切抜文字の番号をつけた部材を流用した運転室に改造してそのまま3II号機となったものと推定しており、その後佐世保鉄道では本機の運転室の「3」の切抜文字の脇に少しサイズの大きい「1」の切抜文字を設置して13号機としている[9]。
構造
弁装置は、クルーク式と呼ばれるジョイ式と同様のラジアルギア方式の一種で、日本では珍しい方式である。主連棒の大端は、上方少し前にずらして取り付けられていた。また、主動輪は第2動輪であり、シリンダーは1/6という急角度で高位置に設置されている。蒸気ドームは円筒形で天板はネジ止めされており、平らな頂部には安全弁が設けられている。砂箱は蒸気ドームの後部に箱型のものが設けられた。
本機の弁装置は、クルーク式と呼ばれるジョイ式と同様のラジアルギア方式の一種で、日本では非常に珍しい方式であり、主動輪は第2動輪で、主連棒の大端は、上方少し前にずらして取り付けられていた。また、シリンダーは1/6という急角度で高位置に設置されている。これは欧州の路面機関車で類似の機体が見られる[注釈 5]もので、SLMでも1887、90年製のスイスのフラウエンフェルト-ヴィル鉄道[注釈 6]G3/3 1-4形[10]や、本形式とほぼ同型のエジプト向けの路面機関車などの導入事例がある[5]。蒸気ドームは円筒形で、天板はネジ止めされており、平らな頂部には安全弁が設けられている。砂箱は蒸気ドームの後部に箱型のものが設けられた。また、連結器はSLMの組立図上ではドロップフック式のものが装備されている。
推定される経歴
摂津鐵道および阪鶴鉄道での経歴は前述の通りで、旧摂津鉄道線の改軌後のタイミングで廃車となったとされている。
阪鶴鉄道で廃車となった旧摂津鉄道1号形(阪鶴鉄道形式番号不明機)のうち旧摂津鐵道3, 4号機(製造番号 836, 837)は、長崎県の関西採炭松浦炭坑に譲渡されてそのままの番号で使用された。関西採炭は1899年6月に解散しており、松浦炭坑はその後合資会社松浦炭礦(1902年設立)の所有となり、さらに1932年3月の同社倒産に伴い同社の支配人であった岡本彦馬の個人所有の専用鉄道[注釈 7]は1933年8月16日許可で佐世保鉄道に譲渡されて地方鉄道に変更となり[11]、10月24日届出で貨物営業を[注釈 8][12]、翌1934年2月11日届出で旅客営業を開始している[注釈 9][13]となった。
その後、岡本彦馬専用鉄道は1933年8月16日付けで佐世保鉄道に買収されて同社の世知原線となり、本形式のうち4号機が佐世保鉄道14号機となった。一方、3号機は佐世保鉄道買収までの間に事故で破損し、廃車となったと考えられており、その運転室部分が松浦炭礦の推定5号機(後の佐世保鉄道13号機→鉄道省ケ600号機)に転用されたと推測されている。
1936年10月1日、佐世保鉄道[注釈 10]が国有化されて[14]松浦線となった[15]ことに伴い、本機は鉄道省のケ215形(ケ215号機)となった。用途は、国有化前から世知原駅での入換で、1938年にケ600号機が廃車になると、その代機として臼ノ浦駅に移転した。しかし、1939年には東唐津に転属し、据え置きボイラー代用とされた。1941年6月(1944年とする文献もある[16])に廃車となり[8]解体された。
主要諸元
製造時のSLM組立図による値[17]、()内は佐世保鉄道14号機および国鉄ケ215号機における値[18][7]
- 軌間:762 mm
- 車軸配置:C
- 全長:4790 mm(4755 mm)
- 全高:2800 mm(2770 mm)
- 動輪直径:600 mm(610 mm)
- 軸距:1100 + 1000 = 2100 mm(1080 + 1000 = 2080 mm)
- 連結器
- 方式:ドロップ・フック式(ピン・リンク式)
- 高さ:660 mm(570 mm)
- 弁装置:クルーク式[19](マーシャル式ヴィンタートゥール形)
- シリンダー(直径×行程):180 mm × 300 mm(180 mm × 305 mm)
- ボイラー
- 機関車重量/動輪上重量
- 空車:7.0 t(7.0 t)
- 運転整備時:8.6 t(8.0 t)
- 水タンク容量:0.65 m3(0.71 m3)
- 燃料積載量:0.40 t(0.4 t)
- ブレーキ方式:手ブレーキ
同系機
SLMでは製番834-837号機とほぼ同型のエジプト向け路面機関車をはじめとして、同様の構造の機関車を製造しており、併用軌道を有する鉄道などで使用されいた。
- バッヒェム社扱・エジプト向け路面機関車(エジプト)
- ヴァルデンブルク鉄道[注釈 11](スイス)
- G3/3 4形(製番458、1887年製):750 mm軌間、車軸配置C、軸距1800 mm、運転整備重量14.9 t[20]
- フラウエンフェルト-ヴィル鉄道
- G3/3 1-4形(製番461-463, 617、1887年製):1000 mm軌間、車軸配置C、軸距1800 mm、運転整備重量15.8 t[10]
- ポン-サーニュ-ショー=ド=フォン鉄道鉄道[注釈 12](スイス)
- G3/3 1-3形(製番520-522、1889年製):1000 mm軌間、車軸配置C、軸距1800 mm、運転整備重量15.0 t[21]
- ブルネ地域鉄道[注釈 13](スイス)
- カストロ・アレン鉱山鉄道[注釈 15](スペイン)
- 1-3、6-7号機(製番838-840(1893年製)、1811-1812(1907年製)):750 mm軌間、車軸配置C、2、6-7号機はのちに同じスペインのペリウエラ鉱山鉄道[注釈 16]に譲渡され、"Victor Felgueroao"、無番号、"Jose Gari"となる。
-
フラウエンフェルト-ヴィル鉄道のG3/3形、1900年頃、SLM製番834-837号機ではサイドタンクはなくウェルタンクのみを装備する
-
フラウエンフェルト-ヴィル鉄道G3/3形の弁装置、SLM製番834-837号機ではリターンクランクは第2動輪に設置される
-
ヴァルデンブルク鉄道G3/3 4号機(製番458)、1886-1911年の間
-
ブロネイ-シャンビィ博物館鉄道で動態保存されている元ブルネ地域鉄道のG3/3 1号機、2010年
脚注
注釈
- ^ その後、いずれも軌間762 mmで1894年開業の青梅鉄道、1895年開業の道後鉄道、1896年開業の南豫鉄道、1897年開業の上野鉄道が1890年代に開業している
- ^ Schweizerische Lokomotiv- und Maschinenfablik, Winterthur
- ^ Fabre-Brandt, Neuchâtel
- ^ 金田茂裕は、太田鉄道が開業に際して導入した1894年ボールドウィン製、762 mm軌間の製造番号14075 - 14077号機のうち14076もしくは14077号機(太田鉄道は開業直前に1067 mmに改軌されたため同鉄道では使用されていない)が海軍舞鶴軍港もしくは工廠の建設工事に使用され、その後松浦炭礦の推定5号機となっていたものと推定している[9]。
- ^ 路上の障害物がシリンダと衝突することを避ける、もしくは泥等による弁装置の汚損を避けるなどの理由などとの説があり、他の路面蒸気機関車ではシリンダを傾けて高位置に設置する方式のほか、ブラウン式弁装置のようにレバーを使用して台枠上にシリンダを設置する方式、台枠内側にシリンダを設置する方式、走行装置全体をカバーで覆う方式などが採用されていた
- ^ Frauenfeld-Wil-Bahn(FW)
- ^ 長崎県北松浦郡佐々村 - 同県同郡世知原村間、11.8 km
- ^ 佐々 - 吉井 - 世知原、11.8 km
- ^ 佐々 - 野寄 - 神田 - 吉井 - 祝橋 - 世知原、11.7 km
- ^ 上佐世保 - 世知原間、左石 - 柚木間、実盛谷 - 相浦間、四ツ井樋 - 臼ノ浦間
- ^ Waldenburgerbahn(WB)
- ^ Chemin de fer Ponts-Sagne-Chaux-de-Fonds(PSC)、1947年にブルネ地域鉄道と統合してヌーシャテル山岳鉄道(Chemins de fer des Montagnes Neuchâteloises(CMN))となり、1999年にヌーシャテル地域交通(Transports Régionaux Neuchâtelois(TRN))となって現在に至る
- ^ Chemin de fer Régional des Brenets(RdB)、1947年にポン-サーニュ-ショー=ド=フォン鉄道と統合してヌーシャテル山岳鉄道(Chemins de fer des Montagnes Neuchâteloises(CMN))となり、1999年にヌーシャテル地域交通(Transports Régionaux Neuchâtelois(TRN))となって現在に至る
- ^ Museumsbahn Blonay-Chamby(BC)
- ^ ferrocarril minero de Castro-Alén
- ^ ferrocarril de Mines de Perihuela
出典
- ^ a b c 鉄道省『日本鉄道史. 中篇』p.470(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 湯口徹『「へっつい」の系譜 低重心超小型機関車の一族』 p.7
- ^ 『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.19
- ^ a b c 『機関車の系譜図 I』 p.259-260
- ^ a b c 『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.28
- ^ a b 『SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録』 p.21
- ^ a b c 『日本蒸気機関車形式図集成 2』 p.504
- ^ a b 『機関車表』 p.13222-13223
- ^ a b c 『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.43
- ^ a b 『Dampf-Strassenbahnen』 p.141
- ^ 『官報第1990号』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『官報2051号』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『官報2143号』1934年2月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第327号」『官報2924号』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第326号」『官報2924号』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』 p.29
- ^ 『SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録』 p.34-35
- ^ 『機関車表』 p.13215
- ^ a b 『SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録』 p.23
- ^ 『Dampf-Strassenbahnen』 p.140
- ^ a b 『Dampf-Strassenbahnen』 p.142
参考文献
書籍
- 臼井茂信『機関車の系譜図 I』交友社、1973年。
- 臼井茂信『日本蒸気機関車形式図集成 2』誠文堂新光社、1969年。
- 沖田祐作『機関車表』ネコ・パブリッシング、2014年。ISBN 9784777053629。
- 金田茂裕『形式別 国鉄の蒸気機関車別冊 国鉄軽便線の機関車』機関車史研究会、1986年。ISBN 4871126153。
- 金田茂裕『SLM(スイス)の機関車 A.ボルジッヒの機関車 クレイン機関車追録』機関車史研究会、1993年。
- Vogel, Kasper (1996) (ドイツ語). 125 Jahre Schweizerishe Lokomotiv- und Maschinenfabrik. Luzern: MINIREX. ISBN 3907014081
- Waldbuger, Hans (1987) (ドイツ語). Die Frauenfeld-Wil-Bahn Geschichte einer Regionalbahn von 1887 - 1987. Luzern: MINIREX. ISBN 3907014006
- Hefti, Walter (1980) (ドイツ語). Tramway Lokomotiven. Basel: Springer Basesl. ISBN 9783764311599
- Hefti, Walter (1984) (ドイツ語). Dampf-Strassenbahnen. Basel: Springer Basesl. ISBN 9783764315368
- 徳永益男、松本謙一『全国蒸気機関車配置表』イカロス出版、2018年。ISBN 9784802204354。
雑誌
- 臼井茂信「国鉄狭軌軽便線 23」鉄道ファン 1985年9月号(No.293)、交友社刊