コンテンツにスキップ

「北投石」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
「要出典」が貼られてから長期間たっても出典の提示なし。根拠のない記述として除去
書誌情報
1行目: 1行目:
[[ファイル:Sample of Hokutolite in National Taiwan Museum.JPG|thumb|200px|北投石]]
[[ファイル:Sample of Hokutolite in National Taiwan Museum.JPG|thumb|200px|北投石]]
'''北投石'''(ほくとうせき、{{lang-en|'''hokutolite'''}})は北投温泉で発見された[[鉱物]]で、学術的には独立種とはいえず「含鉛重晶石」と呼ばれ[[重晶石]]の亜種として扱われる。世界でも[[台湾]][[台北市]][[北投区]]の[[北投温泉]]と[[日本]][[秋田県]]の[[玉川温泉 (秋田県)|玉川温泉]]からしか産出しない。
'''北投石'''(ほくとうせき、{{lang-en|'''hokutolite'''}})は北投温泉で発見された[[鉱物]]で、学術的には独立種とはいえず「含鉛重晶石」と呼ばれ[[重晶石]]の亜種として扱われる。世界でも[[台湾]][[台北市]][[北投区]]の[[北投温泉]]と日本秋田県の[[玉川温泉 (秋田県)|玉川温泉]]からしか産出しない。


玉川温泉は古くは渋黒温泉と呼ばれていたが、1935年頃現在の名前に改称された<ref name="minami">[https://www.jstage.jst.go.jp/article/gkk1952/2/1/2_1_1/_pdf/-char/ja {{Cite journal |和書|author=南英一 |authorlink= |title=玉川温泉の北投石について |date=1954 |publisher= |journal=鉱物学|volume=2 |issue=1
玉川温泉は古くは渋黒温泉と呼ばれていたが、1935年頃現在の名前に改称された<ref name="minami">南英一、「[https://doi.org/10.2465/gkk1952.2.1 玉川温泉の北投石について]」 『鉱物学雜誌』 1954年 2巻 1号 p.1-24, {{doi|10.2465/gkk1952.2.1}},<br /> [https://doi.org/10.2465/gkk1952.2.2_107b 第2卷第1号 正誤表] 『鉱物学雜誌』 1955年 2巻 2号 p.107b,{{doi|10.2465/gkk1952.2.2_107b}},<br /> [https://doi.org/10.2465/gkk1952.2.2_107a 第2卷第1号, 英一:玉川温泉の北投石について,著者よりの訂正] 鉱物学』 1955年 2 2号 p.107a,{{doi|10.2465/gkk1952.2.2_107a}}</ref>。
|naid= |pages=1 - 24 |ref= }}]</ref>。


[[1905年]][[明治]]38年)に地質学者[[岡本要八郎]]が[[台北州]][[七星郡]][[北投街]]の[[瀧乃湯 (台湾)|瀧乃湯]]で入浴した帰りに付近の川で発見した。その後、この鉱物が[[ラジウム]]等を含み[[放射性]]を持つ北投温泉独特の鉱物(後に玉川温泉で産出する物も同じ物であると認定された)であるとされた。[[1913年]][[大正]]2年)に[[東京帝大]]の鉱物学者[[神保小虎]]によって命名され、[[1933年]][[昭和]]8年)に[[台湾総督府]]によって天然記念物に指定された。
1905年(明治38年)に地質学者[[岡本要八郎]]が[[台北州]][[七星郡]][[北投街]]の[[瀧乃湯 (台湾)|瀧乃湯]]で入浴した帰りに付近の川で発見した。その後、この鉱物が[[ラジウム]]等を含み[[放射性]]を持つ北投温泉独特の鉱物(後に玉川温泉で産出する物も同じ物であると認定された)であるとされた。1913年(大正2年)に[[東京帝大]]の鉱物学者[[神保小虎]]によって命名され、1933年(昭和8年)に[[台湾総督府]]によって天然記念物に指定された。


玉川温泉産出のものは神保小虎によって北投石と同じものであると認定される以前は澁黑石と呼ばれていた<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/chikyukagaku/24/2/24_KJ00007318708/_pdf/-char/ja {{Cite journal |和書|author=綿秡邦彦 |authorlink= |title=北投石 - その地球化学 |date=1991 |publisher= |journal=地球化学 |volume=24 |issue=2
玉川温泉産出のものは神保小虎によって北投石と同じものであると認定される以前は澁黑石と呼ばれていた<ref>綿秡邦彦、「[https://doi.org/10.14934/chikyukagaku.24.79 北投石その地球化学]」 地球化学』 1991年 24巻 2号 p.79-83, {{doi|10.14934/chikyukagaku.24.79}}</ref>。菅沼市蔵は、玉川温泉産の北投石を区別するため、「秋田北投石」、"''Akita Hokutolite''" と表記している<ref name="suganuma1" /><ref name=suganuma2 />。
|naid= |pages=79 - 93 |ref= }}]</ref>。菅沼市蔵は、玉川温泉産の北投石を区別するため、「秋田北投石」、"''Akita Hokutolite''" と表記している<ref name="suganuma1" /><ref name=suganuma2 />。


[[台湾]]([[中華民国]])でも、[[2000年]]に「自然文化景觀」に指定されている。
台湾([[中華民国]])でも、2000年に「自然文化景觀」に指定されている。


北投石の組成は (Ba,Pb)SO<sub>4</sub> <!-- BaSO<sub>4</sub>とPbSO<sub>4</sub> -->で、およそBa:Pb<!-- BaSO<sub>4</sub>:PbSO<sub>4</sub> -->=4:1の割合で含まれる。放射性のラジウムを大量に含む温泉沈殿物重晶石([[硫酸バリウム]])である。
北投石の組成は (Ba,Pb)SO<sub>4</sub> <!-- BaSO<sub>4</sub>とPbSO<sub>4</sub> -->で、およそBa:Pb<!-- BaSO<sub>4</sub>:PbSO<sub>4</sub> -->=4:1の割合で含まれる。放射性のラジウムを大量に含む温泉沈殿物重晶石([[硫酸バリウム]])である。


==北投石の成分分析==
==北投石の成分分析==
1908年3月、東京帝国大学理学部(当時は東京帝国大学理科大学と呼ばれた)の[[垪和為昌]]教授は[[神保小虎]]教授から北投石の成分分析を依頼された。この分析を当時化学科の1年生だった[[飯盛里安]]、柿内三郎、靑木芳彦の3名の学生に命じた。飯盛によると、ラジウムを含む鉱物に通常含まれる親核種のウランが検出されなかった。方法を変えて再三再四試みたが、それでもウランは検出されなかった。これについて垪和は「この鉱物は水成鉱物であるからラジウムだけが偶然ウランから離れて沈積したものであろう」と見解を述べた<ref name="iimori">飯盛里安「北投石一夕話(ほくとうせきいっせきわ)」我等の鉱物 Vol.10 No.1 pp.37 - 40 1941年</ref>。斎藤信房はこれは今日から見ても卓見であろう、と述べている<ref name="saito">[http://www.radiochem.org/jnrs-abst/pdf/50-801.pdf 斎藤信房「日本における放射化学の黎明と進展 (1907 - 1957)」『放射化学研究50年のあゆみ』日本放射化学会 2007年]</ref>。この分析値は日本鉱物誌第二版に掲載された。飯盛はこの分析によって放射化学に興味を持ち、以後放射化学への道に進むことになった<ref name="iimori" />。
1908年3月、東京帝国大学理学部(当時は東京帝国大学理科大学と呼ばれた)の[[垪和為昌]]は[[神保小虎]]教授から北投石の成分分析を依頼された。この分析を当時化学科の1年生だった[[飯盛里安]]、柿内三郎、靑木芳彦の3名の学生に命じた。飯盛によると、ラジウムを含む鉱物に通常含まれる親核種のウランが検出されなかった。方法を変えて再三再四試みたが、それでもウランは検出されなかった。これについて垪和は「この鉱物は水成鉱物であるからラジウムだけが偶然ウランから離れて沈積したものであろう」と見解を述べた<ref name="iimori">飯盛里安「北投石一夕話(ほくとうせきいっせきわ)」我等の鉱物 Vol.10 No.1 pp.37 - 40 1941年</ref>。斎藤信房はこれは今日から見ても卓見であろう、と述べている<ref name="saito">[http://www.radiochem.org/jnrs-abst/pdf/50-801.pdf 斎藤信房「日本における放射化学の黎明と進展 (1907 - 1957)」] 『放射化学研究50年のあゆみ』日本放射化学会 2007年, {{naid|40016915010}}</ref>。この分析値は日本鉱物誌第二版に掲載された。飯盛はこの分析によって放射化学に興味を持ち、以後放射化学への道に進むことになった<ref name="iimori" />。


北投石中のラジウム含有量は1929年に吉村惇が測定した。結果は北投温泉産のものは1.73&times;10<sup>-7</sup>% 玉川温泉産のものは1.22&times;10<sup>-7</sup>% であった<ref>{{cite journal |last=Yoshimura |first=Jun |date=1929 |title=The radioactive constituents of Hokutolites and other minerals in Japan |url=https://www.journal.csj.jp/doi/pdf/10.1246/bcsj.4.91 |journal=Bulletin of the Chemical Society of Japan |publisher= |volume=4 |issue=4 |pages=91 - 96 |doi= |accessdate=2019-4-24 }}</ref>。飯盛によると、この鉱物が[[放射平衡]]にあるウラン鉱物であると仮定すると北投温泉産のものはウランをUO<sub>3</sub>として約0.61%含むはずであり、平衡に達していなければさらに多くのウランを含むはずなので、化学分析で十分に検出可能である。しかるに垪和の予想に反してウランが検出されなかったので、垪和は慎重を期して3人の学生に分析を命じてその平均値を採用し、日本鉱物誌に掲載した<ref name="iimori" />。
北投石中のラジウム含有量は1929年に吉村惇が測定した。結果は北投温泉産のものは1.73&times;10<sup>-7</sup>% 玉川温泉産のものは1.22&times;10<sup>-7</sup>% であった<ref>{{cite journal |last=Yoshimura |first=Jun |date=1929 |title=The radioactive constituents of Hokutolites and other minerals in Japan |url=https://www.journal.csj.jp/doi/pdf/10.1246/bcsj.4.91 |journal=Bulletin of the Chemical Society of Japan |publisher= |volume=4 |issue=4 |pages=91 - 96 |doi= |accessdate=2019-4-24 }}</ref>。飯盛によると、この鉱物が[[放射平衡]]にあるウラン鉱物であると仮定すると北投温泉産のものはウランをUO<sub>3</sub>として約0.61%含むはずであり、平衡に達していなければさらに多くのウランを含むはずなので、化学分析で十分に検出可能である。しかるに垪和の予想に反してウランが検出されなかったので、垪和は慎重を期して3人の学生に分析を命じてその平均値を採用し、日本鉱物誌に掲載した<ref name="iimori" />。


日本鉱物誌第2版 (1916年) に掲載された飯盛らによる北投石(北投温泉産)の分析結果<ref>『飯盛里安博士97年の生涯』中津川市鉱物博物館、p.6 2003年</ref>。この分析結果は、のちの研究者たちに高く評価されている<ref name="minami" /><ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakukyouiku/21/5/21_KJ00003480257/_pdf/-char/ja {{Cite journal |和書|author=綿秡邦彦 |authorlink= |title=一つの石の物語 |date=1973 |publisher= |journal=化学教育 |volume=21 |issue=5 |naid= |pages=384 - 353 |ref= }}]</ref>。
日本鉱物誌第2版 (1916年) に掲載された飯盛らによる北投石(北投温泉産)の分析結果<ref>『飯盛里安博士97年の生涯』中津川市鉱物博物館、p.6 2003年</ref>。この分析結果は、のちの研究者たちに高く評価されている<ref name="minami" /><ref>綿秡邦彦、「[https://doi.org/10.20665/kagakukyouiku.21.5_348 一つの石の物語(<特集>化学のふるさと)]」 化学教育』 1973年 21 5 p.348-353, {{doi|10.20665/kagakukyouiku.21.5_348}}</ref>。
{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+
|+
57行目: 55行目:


== 玉川温泉の北投石 ==
== 玉川温泉の北投石 ==
「'''玉川温泉の北投石'''」は、([[1922年]](大正11年)に[[天然記念物]]に指定され、[[1952年]](昭和27年)には[[特別天然記念物]]に指定されている。現在は採取が禁止されているが、「健康によい」さらには「末期[[]]をも治す効果がある」などとしばしばマスメディア等で取り上げられることから盗掘は後を絶たず、[[2004年]]には摘発された事例もある<ref>{{cite web|url=http://www.ansin-jp.com/example/example.php?way=3&ex_build=99&mydate=0&city=5&x=37&y=7|title=特別天然記念物盗む/容疑者逮捕/秋田県警・角館署|work=Secure Japan|publisher=ウェリカジャパン|accessdate=2019-1-10}}</ref>。
「'''玉川温泉の北投石'''」は、([[1922年]](大正11年)に[[天然記念物]]に指定され、[[1952年]](昭和27年)には[[特別天然記念物]]に指定されている。現在は採取が禁止されているが、「健康によい」さらには「末期癌をも治す効果がある」などとしばしばマスメディア等で取り上げられることから盗掘は後を絶たず、2004年には摘発された事例もある<ref>{{cite web|url=http://www.ansin-jp.com/example/example.php?way=3&ex_build=99&mydate=0&city=5&x=37&y=7|title=特別天然記念物盗む/容疑者逮捕/秋田県警・角館署|work=Secure Japan|publisher=ウェリカジャパン|accessdate=2019-1-10}}</ref>。


==北投温泉産北投石と玉川温泉産北投石の相違点==
==北投温泉産北投石と玉川温泉産北投石の相違点==
北投温泉産と玉川温泉産の北投石は、鉛を含む重晶石の変種ということで同じ鉱物とみなされているが、詳細に調べると、いくつかの相違点がある<ref name="suganuma1">{{cite journal |last=Suganuma |first=Ichizo |date=1928 |title=On the constituents and genesis of a few minerals produced from hot springs and their vicinities in Japan, I. The Akita Hokutolite |url=https://www.journal.csj.jp/doi/pdf/10.1246/bcsj.3.69 |journal=Bulletin of the chemical society of Japan |publisher= |volume=3 |issue=3 |pages=69 - 73 |doi= |accessdate=2019-4-26 }}</ref><ref name="suganuma2">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/911330 {{Cite book ja-jp |author=菅沼市蔵 |year=1925 |title=硫黄泉秋田鹿湯に産する秋田北投石の成分及び成因 |publisher=ラヂウム鑛石研究所 }}]</ref>。
北投温泉産と玉川温泉産の北投石は、鉛を含む重晶石の変種ということで同じ鉱物とみなされているが、詳細に調べると、いくつかの相違点がある<ref name="suganuma1">{{cite journal |last=Suganuma |first=Ichizo |date=1928 |title=On the constituents and genesis of a few minerals produced from hot springs and their vicinities in Japan, I. The Akita Hokutolite |url=https://www.journal.csj.jp/doi/pdf/10.1246/bcsj.3.69 |journal=Bulletin of the chemical society of Japan |publisher= |volume=3 |issue=3 |pages=69 - 73 |doi= |accessdate=2019-4-26 }}</ref><ref name="suganuma2">[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/911330 {{Cite book ja-jp |author=菅沼市蔵 |year=1925 |title=硫黄泉秋田鹿湯に産する秋田北投石の成分及び成因 |publisher=ラヂウム鑛石研究所 }}]</ref>。
#玉川温泉産の北投石はサンプル毎にBaSO<sub>4</sub>とPbSO<sub>4</sub>の比率がかなり大きい範囲で変動するのに対し、北投温泉産のそれは、ほぼ一定である。(Baのモル%は、玉川温泉産は 80 - 97%, 北投温泉産は 71 - 72% <ref>[http://www.radiochem.org/jnrs-abst/pdf/50-801.pdf 百島則幸「北投石」『放射化学研究50年のあゆみ』日本放射化学会 2007年]</ref>)
# 玉川温泉産の北投石はサンプル毎にBaSO<sub>4</sub>とPbSO<sub>4</sub>の比率がかなり大きい範囲で変動するのに対し、北投温泉産のそれは、ほぼ一定である。(Baのモル%は、玉川温泉産は 80 - 97%, 北投温泉産は 71 - 72% <ref>[http://www.radiochem.org/jnrs-abst/pdf/50-801.pdf 百島則幸「北投石」『放射化学研究50年のあゆみ』日本放射化学会 2007年]</ref>)
#玉川温泉産はBaSO<sub>4</sub>が主成分であり、ほとんど重晶石と同じであることもある(つまりPbSO<sub>4</sub>をほとんど含んでいないこともある)。
# 玉川温泉産はBaSO<sub>4</sub>が主成分であり、ほとんど重晶石と同じであることもある(つまりPbSO<sub>4</sub>をほとんど含んでいないこともある)。
#北投温泉産は常にかっ色だが、玉川温泉産は、通常のかっ色の他に、淡黄色やほとんど白色のものもある。
# 北投温泉産は常にかっ色だが、玉川温泉産は、通常のかっ色の他に、淡黄色やほとんど白色のものもある。
#特に注目すべき相違点は、玉川温泉産の方が多種類の希元素を含むことである。特に放射能が[[ラジウム系列]]の元素だけでなく、[[トリウム系列]]の元素にもよることである。トリウムとその放射性沈殿物の存在は化学分析と放射化学的実験から確認されている。
# 特に注目すべき相違点は、玉川温泉産の方が多種類の希元素を含むことである。特に放射能が[[ラジウム系列]]の元素だけでなく、[[トリウム系列]]の元素にもよることである。トリウムとその放射性沈殿物の存在は化学分析と放射化学的実験から確認されている。
#典型的な玉川温泉産の北投石は、北投温泉産と同じようなかっ色の多数の微斜方晶からなるが、白色とかっ色の薄い層が規則的に重なる構造が見られる。北投温泉産の方にはこのような明確な構造は見られない。
# 典型的な玉川温泉産の北投石は、北投温泉産と同じようなかっ色の多数の微斜方晶からなるが、白色とかっ色の薄い層が規則的に重なる構造が見られる。北投温泉産の方にはこのような明確な構造は見られない。


白色層とかっ色層を分離して個別に分析すると、白色層にはBaSO<sub>4</sub>とSiO<sub>2</sub>が多く、かっ色層はPbOとFeOが多かった。PbとFeは、ペンタチオン酸塩(PbS<sub>5</sub>O<sub>6</sub>, FeS<sub>5</sub>O<sub>6</sub>) の形で存在してることが、いくつかの実験から推定される。この多層構造は、季節による気温の変化や藍藻の影響によると推定される。
白色層とかっ色層を分離して個別に分析すると、白色層にはBaSO<sub>4</sub>とSiO<sub>2</sub>が多く、かっ色層はPbOとFeOが多かった。PbとFeは、ペンタチオン酸塩(PbS<sub>5</sub>O<sub>6</sub>, FeS<sub>5</sub>O<sub>6</sub>) の形で存在してることが、いくつかの実験から推定される。この多層構造は、季節による気温の変化や藍藻の影響によると推定される。
71行目: 69行目:
==玉川温泉産北投石中の微量成分==
==玉川温泉産北投石中の微量成分==
微量成分として以下の元素が定性分析で検出された(一部の元素は定量分析) <ref name="suganuma1" />
微量成分として以下の元素が定性分析で検出された(一部の元素は定量分析) <ref name="suganuma1" />
*普通の金属元素では[[第2族元素]]の [[ストロンチウム|Sr]],[[カルシウム|Ca]], [[マグネシウム|Mg]] および [[アルミニウム|Al]], [[鉄|Fe]]
* 普通の金属元素では[[第2族元素]]の [[ストロンチウム|Sr]],[[カルシウム|Ca]], [[マグネシウム|Mg]] および [[アルミニウム|Al]], [[鉄|Fe]]
*希元素としては [[チタン|Ti]], [[ジルコニウム|Zr]], [[トリウム|Th]], [[セリウム|Ce]], [[ランタン|La]], [[パラジウム|Pd]], [[ネオジム|Nd]] および[[ウラン系列]]の [[ラジウム|Ra]], [[ラドン|Rn]], [[ポロニウム|Po]]
* 希元素としては [[チタン|Ti]], [[ジルコニウム|Zr]], [[トリウム|Th]], [[セリウム|Ce]], [[ランタン|La]], [[パラジウム|Pd]], [[ネオジム|Nd]] および[[ウラン系列]]の [[ラジウム|Ra]], [[ラドン|Rn]], [[ポロニウム|Po]]


Th は化学分析と、トリウムエマナチオン (Rn<sup>220</sup>の古い呼び名、トロンとも呼ぶ) の放射性沈着物の減衰曲線から確認された。Ra は非常に微量なので、固体鉱石の放射能と鉱石の溶液から得られたラジウムエマナチオン (Rn<sup>222</sup>の古い呼び名、ラドンとも呼ぶ) の半減期から確認された。Ra の親核種である [[ウラン|U]] は、[[フェロシアン化カリウム]]との呈色反応で痕跡量が検出された。Ra の壊変物質の一つである Po は、特異な化学反応と、[[ビスマス]]板上に沈着させた Po 薄膜の減衰曲線から容易に確認された。したがって玉川温泉産の北投石の放射能は、ラジウム系列とトリウム系列に属する元素に基づくことが確認された。
Th は化学分析と、トリウムエマナチオン (Rn<sup>220</sup>の古い呼び名、トロンとも呼ぶ) の放射性沈着物の減衰曲線から確認された。Ra は非常に微量なので、固体鉱石の放射能と鉱石の溶液から得られたラジウムエマナチオン (Rn<sup>222</sup>の古い呼び名、ラドンとも呼ぶ) の半減期から確認された。Ra の親核種である [[ウラン|U]] は、[[フェロシアン化カリウム]]との呈色反応で痕跡量が検出された。Ra の壊変物質の一つである Po は、特異な化学反応と、[[ビスマス]]板上に沈着させた Po 薄膜の減衰曲線から容易に確認された。したがって玉川温泉産の北投石の放射能は、ラジウム系列とトリウム系列に属する元素に基づくことが確認された。
100行目: 98行目:


{{リダイレクトの所属カテゴリ
{{リダイレクトの所属カテゴリ
|header=
|header=
|redirect= 玉川温泉の北投石
|redirect= 玉川温泉の北投石
|1= 地質・鉱物天然記念物
|1= 地質・鉱物天然記念物

2019年5月27日 (月) 08:31時点における版

北投石

北投石(ほくとうせき、英語: hokutolite)は北投温泉で発見された鉱物で、学術的には独立種とはいえず「含鉛重晶石」と呼ばれ重晶石の亜種として扱われる。世界でも台湾台北市北投区北投温泉と日本秋田県の玉川温泉からしか産出しない。

玉川温泉は古くは渋黒温泉と呼ばれていたが、1935年頃現在の名前に改称された[1]

1905年(明治38年)に地質学者岡本要八郎台北州七星郡北投街瀧乃湯で入浴した帰りに付近の川で発見した。その後、この鉱物がラジウム等を含み放射性を持つ北投温泉独特の鉱物(後に玉川温泉で産出する物も同じ物であると認定された)であるとされた。1913年(大正2年)に東京帝大の鉱物学者神保小虎によって命名され、1933年(昭和8年)に台湾総督府によって天然記念物に指定された。

玉川温泉産出のものは神保小虎によって北投石と同じものであると認定される以前は澁黑石と呼ばれていた[2]。菅沼市蔵は、玉川温泉産の北投石を区別するため、「秋田北投石」、"Akita Hokutolite" と表記している[3][4]

台湾(中華民国)でも、2000年に「自然文化景觀」に指定されている。

北投石の組成は (Ba,Pb)SO4 で、およそBa:Pb=4:1の割合で含まれる。放射性のラジウムを大量に含む温泉沈殿物重晶石(硫酸バリウム)である。

北投石の成分分析

1908年3月、東京帝国大学理学部(当時は東京帝国大学理科大学と呼ばれた)の垪和為昌神保小虎教授から北投石の成分分析を依頼された。この分析を当時化学科の1年生だった飯盛里安、柿内三郎、靑木芳彦の3名の学生に命じた。飯盛によると、ラジウムを含む鉱物に通常含まれる親核種のウランが検出されなかった。方法を変えて再三再四試みたが、それでもウランは検出されなかった。これについて垪和は「この鉱物は水成鉱物であるからラジウムだけが偶然ウランから離れて沈積したものであろう」と見解を述べた[5]。斎藤信房はこれは今日から見ても卓見であろう、と述べている[6]。この分析値は日本鉱物誌第二版に掲載された。飯盛はこの分析によって放射化学に興味を持ち、以後放射化学への道に進むことになった[5]

北投石中のラジウム含有量は1929年に吉村惇が測定した。結果は北投温泉産のものは1.73×10-7% 玉川温泉産のものは1.22×10-7% であった[7]。飯盛によると、この鉱物が放射平衡にあるウラン鉱物であると仮定すると北投温泉産のものはウランをUO3として約0.61%含むはずであり、平衡に達していなければさらに多くのウランを含むはずなので、化学分析で十分に検出可能である。しかるに垪和の予想に反してウランが検出されなかったので、垪和は慎重を期して3人の学生に分析を命じてその平均値を採用し、日本鉱物誌に掲載した[5]

日本鉱物誌第2版 (1916年) に掲載された飯盛らによる北投石(北投温泉産)の分析結果[8]。この分析結果は、のちの研究者たちに高く評価されている[1][9]

成分 組成%
SO3 30.81
PbO 21.96
BaO 32.04
SrO 0.93
CaO 0.51
Al2O3 0.88
Fe2O3 3.93
MgO 1.04
Na2O 0.53
K2O 0
P2O5 0.01
SiO2 1.27
F 存在
H2O 2.53
合計 99.44

玉川温泉の北投石

玉川温泉の北投石」は、(1922年(大正11年)に天然記念物に指定され、1952年(昭和27年)には特別天然記念物に指定されている。現在は採取が禁止されているが、「健康によい」さらには「末期癌をも治す効果がある」などとしばしばマスメディア等で取り上げられることから盗掘は後を絶たず、2004年には摘発された事例もある[10]

北投温泉産北投石と玉川温泉産北投石の相違点

北投温泉産と玉川温泉産の北投石は、鉛を含む重晶石の変種ということで同じ鉱物とみなされているが、詳細に調べると、いくつかの相違点がある[3][4]

  1. 玉川温泉産の北投石はサンプル毎にBaSO4とPbSO4の比率がかなり大きい範囲で変動するのに対し、北投温泉産のそれは、ほぼ一定である。(Baのモル%は、玉川温泉産は 80 - 97%, 北投温泉産は 71 - 72% [11])
  2. 玉川温泉産はBaSO4が主成分であり、ほとんど重晶石と同じであることもある(つまりPbSO4をほとんど含んでいないこともある)。
  3. 北投温泉産は常にかっ色だが、玉川温泉産は、通常のかっ色の他に、淡黄色やほとんど白色のものもある。
  4. 特に注目すべき相違点は、玉川温泉産の方が多種類の希元素を含むことである。特に放射能がラジウム系列の元素だけでなく、トリウム系列の元素にもよることである。トリウムとその放射性沈殿物の存在は化学分析と放射化学的実験から確認されている。
  5. 典型的な玉川温泉産の北投石は、北投温泉産と同じようなかっ色の多数の微斜方晶からなるが、白色とかっ色の薄い層が規則的に重なる構造が見られる。北投温泉産の方にはこのような明確な構造は見られない。

白色層とかっ色層を分離して個別に分析すると、白色層にはBaSO4とSiO2が多く、かっ色層はPbOとFeOが多かった。PbとFeは、ペンタチオン酸塩(PbS5O6, FeS5O6) の形で存在してることが、いくつかの実験から推定される。この多層構造は、季節による気温の変化や藍藻の影響によると推定される。

玉川温泉産北投石中の微量成分

微量成分として以下の元素が定性分析で検出された(一部の元素は定量分析) [3]

Th は化学分析と、トリウムエマナチオン (Rn220の古い呼び名、トロンとも呼ぶ) の放射性沈着物の減衰曲線から確認された。Ra は非常に微量なので、固体鉱石の放射能と鉱石の溶液から得られたラジウムエマナチオン (Rn222の古い呼び名、ラドンとも呼ぶ) の半減期から確認された。Ra の親核種である U は、フェロシアン化カリウムとの呈色反応で痕跡量が検出された。Ra の壊変物質の一つである Po は、特異な化学反応と、ビスマス板上に沈着させた Po 薄膜の減衰曲線から容易に確認された。したがって玉川温泉産の北投石の放射能は、ラジウム系列とトリウム系列に属する元素に基づくことが確認された。

エピソード

1920年、飯盛がオックスフォード大学に留学した際、指導者教官のフレデリック・ソディ教授はすでに北投石を知っていて「北投石は珍しい鉱物だ、放射性元素の吸着を実証するのに良い例だ、だれが分析したのか」と聞かれて、それは自分であると答えて光栄に感じた、と述べている[5]

脚注

  1. ^ a b 南英一、「玉川温泉の北投石について」 『鉱物学雜誌』 1954年 2巻 1号 p.1-24, doi:10.2465/gkk1952.2.1,
    第2卷第1号 正誤表 『鉱物学雜誌』 1955年 2巻 2号 p.107b,doi:10.2465/gkk1952.2.2_107b,
    第2卷第1号,南 英一:玉川温泉の北投石について,著者よりの訂正 『鉱物学雜誌』 1955年 2巻 2号 p.107a,doi:10.2465/gkk1952.2.2_107a
  2. ^ 綿秡邦彦、「北投石–その地球化学」 『地球化学』 1991年 24巻 2号 p.79-83, doi:10.14934/chikyukagaku.24.79
  3. ^ a b c Suganuma, Ichizo (1928). “On the constituents and genesis of a few minerals produced from hot springs and their vicinities in Japan, I. The Akita Hokutolite”. Bulletin of the chemical society of Japan 3 (3): 69 - 73. https://www.journal.csj.jp/doi/pdf/10.1246/bcsj.3.69 2019年4月26日閲覧。. 
  4. ^ a b 菅沼市蔵、1925、『硫黄泉秋田鹿湯に産する秋田北投石の成分及び成因』、ラヂウム鑛石研究所
  5. ^ a b c d 飯盛里安「北投石一夕話(ほくとうせきいっせきわ)」我等の鉱物 Vol.10 No.1 pp.37 - 40 1941年
  6. ^ 斎藤信房「日本における放射化学の黎明と進展 (1907 - 1957)」 『放射化学研究50年のあゆみ』日本放射化学会 2007年, NAID 40016915010
  7. ^ Yoshimura, Jun (1929). “The radioactive constituents of Hokutolites and other minerals in Japan”. Bulletin of the Chemical Society of Japan 4 (4): 91 - 96. https://www.journal.csj.jp/doi/pdf/10.1246/bcsj.4.91 2019年4月24日閲覧。. 
  8. ^ 『飯盛里安博士97年の生涯』中津川市鉱物博物館、p.6 2003年
  9. ^ 綿秡邦彦、「一つの石の物語(<特集>化学のふるさと)」 『化学教育』 1973年 21巻 5号 p.348-353, doi:10.20665/kagakukyouiku.21.5_348
  10. ^ 特別天然記念物盗む/容疑者逮捕/秋田県警・角館署”. Secure Japan. ウェリカジャパン. 2019年1月10日閲覧。
  11. ^ 百島則幸「北投石」『放射化学研究50年のあゆみ』日本放射化学会 2007年

関連項目

外部リンク