コンテンツにスキップ

鷲津鈆平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

鷲津 鈆平(わしづ しょうへい、1885年1月20日 - 1970年2月20日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

[編集]

愛知県出身。愛知一中を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第6連隊付となる。陸士生徒隊付などを経て、1915年(大正4年)12月、陸軍大学校(第27期)を優等で卒業した。

歩兵第6連隊中隊長参謀本部員、アメリカ駐在を経て、1918年(大正7年)9月から11月まで在欧米軍に従軍した。参謀本部員、フィリピン出張、欧米出張などを経て、1926年(大正15年)12月、支那駐屯軍参謀に就任。近衛歩兵第3連隊付を経て、1929年(昭和4年)8月、陸軍大佐に昇進し陸軍歩兵学校教官となる。アメリカ大使館付武官、参謀本部付、歩兵第13連隊長などを歴任し、1934年(昭和9年)8月、陸軍少将に進級。

歩兵第39旅団長近衛師団司令部付、陸軍戸山学校長を歴任し、1937年(昭和12年)11月、陸軍中将に進んだ。1938年(昭和13年)7月、第21師団長に親補され、中国戦線で活動。1940年(昭和15年)9月、第4軍司令官となり、参謀本部付を経て1941年(昭和16年)12月、予備役に編入された。1945年(昭和20年)4月に応召、名古屋師管区司令官に就任した。同年10月、召集解除となった。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

[編集]
勲章

脚注

[編集]
  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」190頁。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。