魚津郵便局

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魚津郵便局
魚津郵便局
基本情報
正式名称 魚津郵便局
前身 魚津郵便取扱所
局番号 32003
設置者 日本郵便株式会社
所在地 937-8799
富山県魚津市本江1007
位置

北緯36度49分04.6秒 東経137度24分32.5秒 / 北緯36.817944度 東経137.409028度 / 36.817944; 137.409028 (魚津郵便局)座標: 北緯36度49分04.6秒 東経137度24分32.5秒 / 北緯36.817944度 東経137.409028度 / 36.817944; 137.409028 (魚津郵便局) 地図

魚津郵便局の位置(富山県内)
魚津郵便局
貯金
店名 ゆうちょ銀行 代理店
保険
店名 かんぽ生命保険 代理店
特記事項
ATMホリデーサービス実施
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魚津郵便局(うおづゆうびんきょく)は、富山県魚津市にある郵便局である。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。局番号は32003。

概要[編集]

住所:〒937-8799 富山県魚津市本江1007

沿革[編集]

1910年(明治43年)頃の魚津郵便局
  • 1872年8月4日明治5年7月1日) - 魚津郵便役所(二等)として開設される[1]。当時は荒町に所在し、新川県(現・富山県)内で最初に開設され、かつ県内最大の郵便局であった[2][3]
  • 1873年(明治6年)7月 - 三等郵便役所となる[4]
  • 1875年(明治8年)
    • 1月1日 - 魚津郵便局(三等)となる[5]
    • 10月17日 - 為替の取扱を開始する[6]
  • 1878年(明治11年)
    • 9月5日 - 郵便局内に富山県内(当時は石川県の一部)で最初の魚津電信分局が開局し、電信の取扱を開始する。最初の電文は、北陸巡業中だった明治天皇一行が魚津の行在所に無事到着したというものであった[6][7][3]
    • 9月29日 - 北陸巡幸の警戒に当たっていた陸軍少尉兼少警部梶川十左衛門が、郵便物保護銃を携帯した魚津郵便局脚夫を不審視し魚津警察署へ引致する事件が起こる[8][9]
  • 1879年(明治12年)4月10日 - 貯金の取扱を開始する[6]
  • 1886年(明治19年)4月16日 - 魚津電信分局が三等電信分局となる[10]
  • 1887年(明治20年)3月26日 - 各電信分局は明治20年勅令第4号「逓信省官制」施行に伴い電信局と改めた旨告示される[11]
  • 1888年(明治21年)6月15日 - 魚津電信局が二等電信局となる[12]
  • 1890年(明治23年)4月1日 - 魚津電信局と合併し、魚津郵便電信局(三等)となる[13]
  • 1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い魚津郵便局となる[5]
  • 1905年(明治38年)11月10日 - 局舎を下新川郡魚津町大字荒町より同郡同町大字神明に移転する[14]
  • 1906年(明治39年)8月 - 特定三等郵便局となる[15][16]
  • 1907年(明治40年)12月21日 - 電話通話事務を開始する[17]
  • 1908年(明治41年)
    • 8月18日 - 特設電話加入申込の受理を開始する[18]
    • 11月16日 - 電話交換業務を開始する[19]
  • 1911年(明治44年)7月 - 局舎を魚津町大字荒町に移転する[20]
  • 1921年大正10年)12月 - 日本初の郵便局争議が当局で発生[21]
  • 1923年(大正12年)7月1日 - 特設電話規則による電話を電話規則による電話に変更する[22]
  • 1935年昭和10年)12月 - 荒町(現・本町の金閣タクシー向かいの駐車場)にて局舎が新築落成する[6][23]
  • 1938年(昭和13年)5月1日 - 郵便窓口の取扱時間を改正し、一等及び二等に準ずる三等郵便局として特に当郵便局が指定される[24][25]
  • 1939年(昭和14年)7月1日 - 大阪天津有線連絡による日華電話通話を取扱う局となる[26]
  • 1941年(昭和16年)
    • 2月1日 - 通信官署官制改正により等級制を廃止し[27]、指定郵便局となる[6][28]
    • 4月1日 - 昭和14年逓信省告示第1896号を廃止し、大阪大連有線連絡及び大阪奉天有線連絡による東亜電話通話を取扱う局となる[29]
  • 1942年(昭和17年)3月1日 - 普通郵便局となる[6][30]
  • 1943年(昭和18年)12月1日 - 魚津金屋郵便局及び魚津塩屋郵便局の電信事務休止に伴い、その業務を承継する[31]
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月21日 - 分課制を採用し、庶務課、業務課及び電信電話課を設置する[32]
    • 6月1日 - 電信電話課を分離して魚津電報電話局を開設する[32][33]
  • 1952年(昭和27年)12月31日 - 同日限りを以て上中島簡易郵便局を廃止し、爾後その業務を承継する[34]
  • 1955年(昭和30年)9月1日 - 西布施郵便局から集配業務を承継する[35]
  • 1958年(昭和33年)
    • 5月31日 - 同日限りを以て天神簡易郵便局及び上野方簡易郵便局を廃止し、爾後その業務を承継する[36]
    • 10月10日 - 電信為替業務の一部を魚津電報電話局に委託する[37]
  • 1962年(昭和37年)3月4日 - 電話通話事務および和文電報受付業務を廃止する[38]
  • 1971年(昭和46年)
    • 3月 - 現在の局舎が完成[39][40]
    • 3月29日 - 電話通話および和文電報受付業務を開始する[41]。また、同日より同月31日まで局舎新築落成を記念した小型記念通信日附印を使用する[42]
  • 1991年平成3年)10月1日 - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始する[43]
  • 1998年(平成10年)4月1日 - 松倉郵便局を廃止しその業務を承継する[44]
  • 2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業魚津支店に一部業務を移管。
  • 2011年(平成23年)6月27日 - 宇奈月集配センターを廃止(同業務を黒部支店へ引き継ぐ)
  • 2012年(平成24年)10月1日 - 日本郵便株式会社の発足に伴い、郵便事業魚津支店を魚津郵便局に統合。

取扱内容[編集]

周辺[編集]

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『全国郵便局沿革録 明治篇』(同書171頁、1980年(昭和55年)12月、日本郵趣出版)には1872年(明治5年)7月1日に郵便取扱所として開設とあるが、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(同書238頁、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会)には、「明治五年七月一日、荒町に魚津郵便取扱所の開設を見たのが新制郵便の発端であつた。当時県庁の所在地だけに郵便役所は二等に位し、新任の郵便御用取締役松倉栄次は、駅逓寮等外一等格として、越中区十三郵便取扱役中の首座を占めた」とある。本年表においては、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』の記述にしたがった。
  2. ^ 『ふるさとの想い出 写真集 明治 大正 昭和 魚津』(1980年11月25日、国書刊行会発行)25ページ『明治の魚津郵便局』。
  3. ^ a b 『魚津の楽しい絵ほどき歴史』(1986年3月31日、広田寿三郎著、北陸堂書店発行)68 - 69ページ。
  4. ^ 『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(同書238頁、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会)には、「翌六年七月、新川県庁転出とともに郵便役所は三等に、取締役も二等格に改められた」とある。
  5. ^ a b 山口修監修、『全国郵便局沿革録 明治篇』(170頁)、1980年(昭和55年)12月、日本郵趣出版
  6. ^ a b c d e f 富山呉西特定郵便局長会編、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(239頁)、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会
  7. ^ 富山県編、『富山県史 年表』(230頁)、1987年(昭和62年)3月、富山県
  8. ^ 加越能史談会編、『明治天皇北陸巡幸誌』(地5頁)、1927年(昭和2年)9月、加越能史談会
  9. ^ 瓜生俊教編、『富山県警察史 上巻』(325頁)、1965年(昭和40年)3月、富山県警察本部
  10. ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(527頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  11. ^ 明治20年逓信省告示第34号(『官報』、1887年(明治20年)3月26日)
  12. ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(466頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
  13. ^ 明治23年逓信省告示第63号(『官報』、1890年(明治23年)3月27日、内閣官報局)
  14. ^ 明治38年逓信省告示第589号(『官報』、1905年(明治38年)11月10日、内閣印刷局)
  15. ^ 富山呉西特定郵便局長会編、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(238頁)、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会
  16. ^ 明治36年逓信省公達第290号「特定三等郵便局規定」によって定められた制度で、三等郵便局のうち、特に指定する郵便局を「特定三等郵便局」と称し、郵便局運営に係る経費に直轄経費と払切経費のニ種類が存在する等の相違点があった(『逓信法規提要 第四巻 庶務編』(241頁)、1903年(明治36年)7月、警眼社)
  17. ^ 明治40年逓信省告示第841号(『官報』、1907年(明治40年)12月19日、内閣印刷局)
  18. ^ 明治41年逓信省告示第750号(『官報』、1908年(明治41年)8月15日、内閣印刷局)
  19. ^ 明治41年逓信省告示第1138号(『官報』、1908年(明治41年)11月14日、内閣印刷局)
  20. ^ 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 下巻 近代のひかり』(446頁)、1972年(昭和47年)3月、魚津市役所
  21. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第一巻』(2000年5月20日、北日本新聞社発行)134頁。
  22. ^ 大正12年逓信省告示第942号(『官報』、1923年(大正12年)5月29日、内閣印刷局)
  23. ^ 『魚津市史 続巻 現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)168ページ
  24. ^ 昭和13年逓信省告示第980号(『官報』、1938年(昭和13年)4月1日)
  25. ^ 初めて告示を以て特に郵便窓口の取扱時間を限定したのは、1889年(明治22年)11月1日のことで、当時は等級の別なく毎年3月1日から10月31日までは午前6時から午后10時まで、11月1日から翌2月末日までは午前7時から午后10時までとされた(明治22年逓信省告示第214号)。この明治22年逓信省告示第214号は、1911年(明治44年)8月1日に廃止され、取扱時間に変更は加えられなかったが、別配達郵便物、引受時刻證明郵便物、約束郵便物及び郵便によって頼信または配達する電報を封入した郵便物は、取扱時間にかかわらず受け付けるものとされた(明治44年逓信省告示第739号)。1918年(大正7年)4月10日からは郵便局の等級によって取扱時間を変えるようになり、一等、二等及び特定三等郵便局の取扱時間は、毎年3月1日から10月31日までは午前6時から午后10時まで、11月1日から翌2月末日までは午前7時から午后10時まで、特定三等郵便局以外の三等郵便局であって且つ集配事務を行う局は毎年3月1日から10月31日までは午前6時から午后8時まで、11月1日から翌2月末日までは午前7時から午后8時まで、集配事務を行わない三等郵便局は毎年3月1日から10月31日までは午前7時から午后8時まで、11月1日から翌2月末日までは午前8時から午后8時までと定められ、明治44年逓信省告示第739号は廃止された(大正7年逓信省告示第475号)。ついで1923年(大正12年)3月1日からは休日に関する規定が加えられ、一等、二等及び特定三等郵便局においては平日は午前8時から午后10時まで、日曜日、休日及び12月29日から12月31日までは午前8時から午后3時まで、特定三等郵便局を除く三等郵便局においては平日は午前8時から午后8時まで、日曜日、休日及び12月29日から12月31日までは午前8時から正午までと定められ、集配事務の取扱の有無による取扱時間の規定は特に定める郵便物を除いて消え、大正7年逓信省告示第475号は廃止された(大正12年逓信省告示第319号)。本文中にいう1938年(昭和13年)5月1日からの改正は、大正12年逓信省告示第319号を廃止し、一等郵便局及び二等郵便局と同様の取扱時間を行う三等郵便局は、それまでのように特定三等郵便局一般にわたるとする規定を改め、別に局名を挙げてこれを規定するようになったもので、その取扱時間は平日は午前8時から午后10時まで、休日及び休暇日は午前8時から午后3時までと定められ、また告示中に特に局名を掲げない三等郵便局については午前8時から午后8時まで、休日及び休暇日は午前8時から午前12時までと定められた(昭和13年逓信省告示第980号)。
  26. ^ 昭和14年逓信省告示第1896号(『官報』、1939年(昭和14年)6月27日、内閣印刷局)
  27. ^ 昭和16年勅令第95号(『官報』、1941年(昭和16年)1月28日、内閣印刷局)
  28. ^ 指定郵便局とは、昭和16年逓信省公達第73号「公達、通牒、告知等ニ使用スル郵便局ノ称呼」別表第ニによって旧来の特定三等郵便局を改称した局のことであって(郵政大臣官房文書課編、『郵政法規類集 庶務編』(633頁)、1949年(昭和24年)12月、郵政省)、1941年(昭和16年)の通信官署官制改正に伴う等級制廃止にあたり、「内部的には実態上の区別がある」ために設けられた区分であった(官房秘書課、「通信官署の等級制度の廢止」、『逓信協会雑誌』昭和16年3月第391号所収(85頁)、1941年(昭和16年)3月、逓信協会)
  29. ^ 昭和16年逓信省告示第882号(『官報』、1941年(昭和16年)3月31日、内閣印刷局)
  30. ^ 昭和17年逓信省告示第290号(『官報』、1942年(昭和17年)2月25日、内閣印刷局)
  31. ^ 昭和18年通信院告示第41号(『官報』、1943年(昭和18年)11月27日)
  32. ^ a b 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』(391及び397頁)、1972年(昭和47年)3月、魚津市役所
  33. ^ 昭和24年電気通信省告示第72号(『官報』、1949年(昭和24年)10月18日)
  34. ^ 昭和28年郵政省告示第54号(『官報』、1953年(昭和28年〉1月28日、大蔵省印刷局)
  35. ^ 昭和30年郵政省告示第1072号(昭和30年9月26日付官報第8621号掲載)
  36. ^ 昭和33年郵政省告示第89号(『官報』、1958年(昭和33年)5月30日、大蔵省印刷局)
  37. ^ 昭和33年郵政省告示第989号(『官報』、1958年(昭和33年)9月23日)
  38. ^ 昭和37年郵政省告示第235号(『官報』、1962年(昭和37年)3月24日、大蔵省印刷局)
  39. ^ 『広報うおづ 市制20周年記念特集号』(1972年4月1日発行)6頁。
  40. ^ 魚津市史編纂委員会編、『魚津市史 下巻 現代のあゆみ』(397頁)、1972年(昭和47年)3月、魚津市役所
  41. ^ 昭和46年郵政省告示第233号(『官報』、1971年(昭和46年)4月2日、大蔵省印刷局)
  42. ^ 昭和46年郵政省告示第193号(『官報』、1971年(昭和46年)3月20日、大蔵省印刷局)
  43. ^ 平成3年郵政省告示第617号(『官報』、1991年(平成3年)9月27日、大蔵省印刷局)
  44. ^ 平成10年郵政省告示第109号(『官報』、1998年(平成10年)3月25日、大蔵省印刷局)

外部リンク[編集]