青山彦太郎

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青山 彦太郎(あおやま ひこたろう、1863年9月14日(文久3年8月2日) - 1944年(昭和19年)12月21日)は、日本の牧師である。

来歴[編集]

岡崎藩青山昇三郎(後の日本基督教会牧師)の長男として岡崎に生まれる。明治維新になり、1875年明治8年)8月に父と共に東京に移住する。東京市築地新栄教会デイヴィッド・タムソン小川義綏の薫陶を受け、1877年(明治10年)1月に受洗する。

1880年(明治13年)に築地大学校に入学する。ジェームス・ハミルトン・バラらに薫陶を受ける。後に東京一致英和学校に移る。1885年(明治18年)に明治学院の最初の卒業生となる。卒業と同時に、神学部に入学する。

しばらく四国大洲伝道をしたのち、1888年(明治21年)に渡米し、マコーミック神学校で学ぶ。1889年(明治22年)に帰国したのち、1892年(明治25年)より長崎東山学院神学部の教授を務める。1895年(明治28年)に長崎で和田秀豊の長女チマ子と結婚する。1897年(明治30年)に神学校が閉鎖されると、小倉横浜で伝道する。

1899年(明治32年)より1910年(明治43年)まで大阪浪華女学校の主幹を務めて、1910年より須崎高知で伝道した。

1916年大正5年)にルーテル教会に移籍し、博多教会、九州学院神学部教授を歴任する。1921年(大正10年)ルーテル教会神戸教会の牧師になる。1935年(昭和10年)に牧師を引退する。戦時中は長野県軽井沢町疎開するが、1944年(昭和19年)大東亜戦争が終結する前に同地で死去する。

家族[編集]

参考文献[編集]

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館1988年
  • 『長老・改革派教会来日宣教師事典』新教出版社2003年
  • 『土器と黎明』青山四郎著、グロリア出版
  • 『青山四郎先生の召天』大柴譲治著