長谷川久蔵
長谷川 久蔵(はせがわ きゅうぞう、永禄11年(1568年) - 文禄6年6月15日(1593年7月13日))は、安土桃山時代に活動した長谷川派の絵師。長谷川等伯の子。
略伝
[編集]能登国長谷川等伯の長男として、先妻妙浄(?-天正7年(1579年))との間に生まれる。江戸時代の画史『弁玉集』や『長谷川家系譜』などは、久蔵を長谷川信春(等伯若年時の名)の俗称と記すものがあるが、研究の進展で今日これは否定されている。同母弟に長谷川宗宅(等後)、異母弟に宗也・左近(等重)。また、同母姉妹が2人おり、等伯の弟子と思われる等秀、等学を婿に迎えている。
『太閤記』巻十三に名護屋城襖絵に触れた箇所に「山里御座の間、児童の色絵有、長谷川平蔵これを図す」とあり、この平蔵を久蔵の誤記だとすると、久蔵は狩野光信ら狩野派の絵師たちに混じって障壁画制作に参加したことになる。 『本朝画史』では、「画の清雅さは父に勝り、長谷川派の中で及ぶ者なし。父の画法を守り(中略)、人物・禽獣・花草に長じる」と高く評価されている。長男という立場と画技の高さから、次代の長谷川派の棟梁として将来を嘱望されていたと思われるが、父に先んじて26歳で早世した。墓は本法寺、法名は道淳(本法寺過去帳)。
現存作品
[編集]作品名 | 技法 | 員数 | 所蔵者 | 年代 | 備考 |
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智積院障壁画の「桜楓図」のうち「桜図」(桜図壁貼付) | 紙本金地著色 | 4面 | 総本山智積院 | 文禄元年(1592年)頃 | 国宝。楓図の部分は父・長谷川等伯筆。 |
大原御幸図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一隻 | 東京国立博物館 | ||
朝比奈草摺曳図絵馬 | 板地著色 | 1面 | 京都・清水寺 | 重要文化財
「願主信州諏訪休庵敬白 天正廿年(1592年)壬辰年卯月十七日」 古来より下記の「大原御幸図屏風」と並び久蔵の代表作として知られ、江戸期の絵馬集などしばしば取り上げている。戯曲家・俳人の井原西鶴の随筆集『織留』に、この絵馬を見た京都猪熊の織物屋の下女が「袴の舞鶴の紋が、襞を無視して描かれておりおかしい」と指摘したことが京都で評判になったため、久蔵はこれを一生気にかけた、という逸話が載っている。もっとも、襞や皺を無視して紋や模様を描くのは当時当たり前の表現技法であり、のち、文化人として知られた貴族の近衛家煕はこうした見方を批判していたと『塊記』に記されている。 | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 石川県立美術館 | 伝長谷川久蔵
石川県指定文化財[1] | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 三井記念美術館 | 伝長谷川久蔵
室町三井家伝来 | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 野村美術館 | 伝長谷川久蔵 | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 石水美術館 | 伝長谷川久蔵 | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 表千家・今日庵 | 伝長谷川久蔵 | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 泉屋博古館 | 伝長谷川久蔵 | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 個人蔵 | 伝長谷川久蔵 | |
祇園会図 | 紙本著色 | 1幅 | 個人蔵 | 伝長谷川久蔵 |
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “紙本著色祇園会図 伝長谷川久蔵筆 (1幅)”. 石川県. 2024年8月26日閲覧。
参考資料
[編集]- 藤本正行 『武田信玄像の謎』 吉川弘文館<歴史文化ライブラリー206>、2006年、165-178頁。ISBN 978-4-642-05606-9
- 展覧会図録