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藤原経通 (鎌倉時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原経通
時代 平安時代末期-鎌倉時代前期
生誕 安元2年(1176年
死没 延応元年10月13日1239年11月10日
別名 高倉大納言
官位 正二位権大納言
主君 後白河法皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇
氏族 藤原北家中御門流
父母 父:藤原泰通、母:四条隆季の娘
兄弟 経通国通、朝通、広通、覚愉、寛俊、道寛、信宗、女子(藤原兼良の室)、女子(三条公氏の室)
氏通、成恵、女子(藤原高実の室)
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藤原 経通(ふじわら の つねみち)は、平安時代末期から鎌倉時代の公卿。正二位権大納言高倉大納言と号す。父は権大納言按察使藤原泰通、母は権大納言藤原隆季の娘。子には氏通、成恵、女子(藤原高実の室)がいる。家門として氏通以後は続かなかった。

経歴

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以下、『検非違使補任別巻』、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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「中殿御会」に参加を許される

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建保6年(1218年)8月に行われた「中殿御会」に経通は参加を許されていて[5]、歌人としての評価を受けていたと考えられる。この時の経通の詠歌は次の歌である。

  • 幾千代を秋に任せて池水も雲井の月の影宿すらん

脚注

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  1. ^ 殷富門院元暦元年大嘗会御給による。
  2. ^ 中宮御給による。
  3. ^ 前皇太后宮による長寛2年朔旦御給。
  4. ^ 父泰通が薨去して喪に服していたためと考えられる。
  5. ^ 『続日本の絵巻』第12巻所収、「中殿御会図」、中央公論社。

参考文献

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  • 検非違使補任 別巻』宮崎康充 編、続群書類従完成会、2006年。ISBN 4-7971-0724-3
  • 公卿補任黒板勝美・国史大系編修会 編、吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉。 ※建保2年(1214年)に経通が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』黒板勝美・国史大系編修会 編、吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉。 ※「藤原経通」および「藤原泰通」の項。
  • 『続日本の絵巻 12 : 随身庭騎絵巻・中殿御会図・公家列影図・天子摂関御影』中央公論社、1991年。