藤原宗通
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 延久3年(1071年) |
死没 | 保安元年7月22日(1120年8月17日) |
改名 | 阿古丸(幼名)→宗通 |
別名 | 坊門大納言 |
官位 | 正二位、権大納言 |
主君 | 白河天皇→堀河天皇→鳥羽天皇 |
氏族 | 藤原北家中御門流 |
父母 | 父:藤原俊家、母:源兼長の娘 |
兄弟 | 基頼、寛慶、宗俊、師兼、基俊、全子、宗通、堀川殿、俊範、寛澄、済観 |
妻 | 藤原顕季の娘、春日殿(藤原師兼の娘) |
子 | 宗子、信通、伊通、季通、成通、重通、定通、良延、宗海、伊覚 |
藤原 宗通(ふじわら の むねみち)は、平安時代後期の公卿・歌人。藤原北家中御門流、右大臣・藤原俊家の子。官位は正二位・権大納言。坊門大納言と号した。
経歴
[編集]幼い頃から白河院の手元で育てられた。14歳で叙爵され、累進して白河院別当となり、近臣として権勢を振るった[1]。『金葉和歌集』(歌番号554)・『新勅撰和歌集』(歌番号274)に和歌作品が採録されている。
官歴
[編集]- 応徳元年(1084年) 侍従
- 応徳3年(1086年) 右少将、正五位下
- 寛治2年(1088年) 従四位下、従四位上
- 寛治3年(1089年) 正四位下、左中将
- 寛治6年(1092年) 兼伊予介、蔵人頭
- 寛治8年(1094年) 参議
- 嘉保2年(1095年) 従三位、兼備後権守、正三位
- 承徳2年(1098年) 権中納言
- 康和2年(1100年) 従二位、右衛門督、検非違使別当
- 康和3年(1101年) 正二位
- 天仁元年(1108年) 兼按察使
- 天永2年(1111年) 権大納言
- 永久3年(1115年) 兼民部卿
- 永久6年(1118年) 兼中宮大夫