コンテンツにスキップ

若月紫蘭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若月 紫蘭
誕生 若月保治
1879年2月10日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1962-07-22) 1962年7月22日(83歳没)
職業 劇作家翻訳家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京帝国大学
代表作青い鳥』(翻訳)
所属 新劇研究所
後に、紫蘭の号を捨てて人形浄瑠璃の研究を行う。
山口大学講師(1950年より)
テンプレートを表示

若月 紫蘭(わかつき しらん、1879年2月10日 - 1962年7月22日)は、日本の劇作家演劇研究家、翻訳家歌人。本名の若月 保治での著作も多い。

経歴・人物

[編集]

山口県出身。

山口高等学校を経て、1903年東京帝国大学卒業。兵庫県洲本中学校教諭、石川県七尾中学校校長代理ののち、1908年「万朝報」の記者となり、1921年「人と芸術」を創刊。1922年万朝報を辞職、新劇研究所を設立した。

千代田高等女学校教諭、1928年東洋大学教授として国文学を教え、1933年千代田女子専門学校および帝国女子専門学校教授を兼任。紫蘭の号を捨てて人形浄瑠璃の研究に専念した。

1945年戦災に遭い帰郷、1950年より山口大学講師。メーテルリンクの『青い鳥』を翻訳した。

著書

[編集]

若月保治名義

[編集]
  • 『夜叉の首 冒険怪譚』(本郷書院) 1907.12
  • 『英文手紙の書き方』(文成社、初等英文叢書) 1910.11
  • 『英文法の覚え方』(文成社、初等英文双書) 1911.3
  • 『英語練習ノート』(東亜堂) 1912
  • 蓄音器の話』(朝報社、児童理科叢書) 1912
  • 『自動車の話』(朝報社、児童理科叢書) 1912
  • 『電車の話』(朝報社、児童理科叢書) 1912
  • 活動写真の話』(朝報社、児童理科叢書) 1912
  • 『汽車の話』(朝報社、児童理科叢書) 1912.8
  • 『飛行機の話』(朝報社、児童理科叢書) 1912.8
  • 『アアヴィングスケッチ・ブック講義』(日進堂) 1914
  • 『軍神広瀬中佐の修養法』(新月社、修養叢書) 1920
  • 『努力成功の実例』(新月社、修養叢書) 1920
  • 『最新統一面白い手旗信号法 陸海軍商船及青年団用』(新月社) 1921
  • 『政治家の犯罪』(聚芳閣) 1924
  • 『近松人形浄瑠璃の研究』(第一書房) 1934
  • 『女子と文芸』(新月社) 1934
  • 十二段草子の研究』(新月社) 1938
  • 古浄瑠璃の新研究 慶長・寛文篇』(新月社) 1938
  • 『古浄瑠璃の新研究 延宝・享保篇』(新月社) 1939
  • 『古浄瑠璃の新研究 補遺篇』(新月社) 1940
  • 『人形浄瑠璃三百年史』(新月社) 1941、のち改題『人形浄瑠璃史研究』
  • 『操浄瑠璃年表と諸文庫目録』(新月社) 1941
  • 『新なる黎明 歌集』(新月社) 1942
  • 『春の影』(日大堂書店) 1943
  • 『近世初期国劇の研究』(青磁社) 1944
  • 『心の旅 俳諧紀行』(新月社) 1944
  • 『近松浄瑠璃の本質と綜合美的研究』(新月社) 1951
  • 『元禄歌舞伎と近松研究』(私家版) 1954
  • 『近松芸術と元禄歌舞伎』(私家版) 1957
  • 若月保治浄瑠璃著作集」全8巻(クレス出版) 1998

若月紫蘭名義

[編集]
  • 『東京年中行事』(春陽堂) 1911、のち平凡社東洋文庫、のち大空社
  • 『滅び行く家 社会劇』(極光社) 1921
  • 石田三成の死』(極光社、若月紫蘭戯曲集 第2) 1922
  • 『宗教史劇殉教者の群』(新月社、若月紫蘭戯曲集 第3) 1927
  • 『喜劇父の真似』(新月社、若月紫蘭戯曲集 第4) 1928
  • 光秀と三成』(新月社、若月紫蘭戯曲集 第5) 1928
  • 『銀鐘 短歌・俳句』(新月社) 1930
  • 『第二の扉 人生最高悲哀の体験記』(新月社) 1930
  • 『紫蘭句集』(新月社) 1934
  • 『短歌の道しるべ』(新月社) 1935

翻訳

[編集]

参考文献

[編集]
  • 「若月保治と英文学」(出来成訓、『英学史研究』) 1972