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芦屋鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
芦屋鉄道
概要
現況 廃止
起終点 起点:遠賀川駅
終点:西芦屋駅
駅数 6駅(廃線時)
運営
開業 1915年4月13日 (1915-04-13)
廃止 1932年4月25日 (1932-4-25)
所有者 芦屋鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 6.0 km (3.7 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
STRq eABZq+r
国鉄鹿児島本線
exSTR3
0.0 遠賀川駅
exABZg+1
国鉄:芦屋線経路
exBHF
1.7 松ノ元駅
exBHF
2.6 鬼津駅
exBHF
3.5 島津駅 -1918
exBHF
4.2 浜口駅 (II) 1917-
exBHF
4.4 浜口駅 (I) -1917
exBHF
5.3 東芦屋駅
exHST
筑前芦屋駅*
exKBHFe
6.0 西芦屋駅

*筑前芦屋駅は国鉄芦屋線の駅

芦屋鉄道(あしやてつどう)は、かつて福岡県遠賀郡遠賀村(現・遠賀町)の鉄道省鹿児島本線遠賀川駅より分岐し、同郡芦屋町の西芦屋駅までの間を結んでいた鉄道路線を有していた鉄道事業者である。本項ではその鉄道路線についても記す。

概要

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それまで遠賀川の水運を利用していた筑豊地方の石炭の運搬を目的として建設された鉄道であり、芦屋町内の有志桑原伝次郎ほか9人の発起により鉄道免許状(当初は軌道特許状)が下付された。会社の本社は芦屋町市場街光明寺下に置かれた。

1915年(大正4年)開業した路線は、客車1両、貨車1両の混合列車を小さな蒸気機関車が牽引して運行された。 しかし資本金65,000円を上回る建設費99,741円[1]の不足分は借入金にたより、高利の利子は経営を圧迫した。さらに筑豊石炭の輸出港の地位を若松港に奪われた芦屋では輸送量も限られており、開業時より経営は厳しかった。 そのため鉄道財団を担保とした低利の借り換えや政府補助金の獲得など欠損の圧縮につとめていたが路線バスの発達により乗合自動車業者が若松、折尾、遠賀川、海老津各方面から芦屋に連絡するようになり、芦屋鉄道も乗合自動車路線を芦屋-折尾間で6人乗り自動車2台で運転回数10回で対抗していたが、昭和の初頭に運休となり、1932年(昭和7年)廃止された。

廃線後、この鉄道の跡地のほとんどが進駐軍専用側線として建設された日本国有鉄道(国鉄)芦屋線に利用されたが、1961年(昭和36年)に米軍芦屋基地が返還されるとともに芦屋線も廃止となり、芦屋町から鉄道は消えた。

路線データ

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駅一覧

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遠賀川 - 松ノ元 - 鬼津 - 島津 - 浜口 - 東芦屋 - 西芦屋

起点は西芦屋

西芦屋、東芦屋、遠賀川各駅のみ駅員配置

接続路線

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路線沿革

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  • 1911年(明治44年)
    • 5月20日芦屋軌道に対し軌道特許状下付(遠賀郡芦屋町-同郡島門村度渡間)[2]
    • 11月27日[1] 芦屋軌道設立[3]
  • 1912年(大正元年)
    • 9月3日 芦屋軌道に対し鉄道免許状下付[4]
    • 11月13日 軌道特許状を返納
    • 12月25日 芦屋鉄道に改称[1]
  • 1915年(大正4年)4月13日 西芦屋 - 遠賀川間開業、西芦屋・東芦屋・浜口・島津・鬼津・松ノ元・遠賀川の各駅開業[5]
  • 1917年(大正6年)1月10日 浜口駅を島津寄りに0.2km移転[6]。1916年12月18日認可[7]
  • 1918年(大正7年)11月15日 島津駅廃止[7][8]。 
  • 1931年(昭和6年)
  • 1932年(昭和7年)4月25日 全線廃止[7][9]

輸送・収支実績

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年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円) 政府補助金(円)
1915 79,792 695 6,466 10,866 ▲ 4,400 6,469 4,632
1916 93,339 909 7,901 10,049 ▲ 2,148 6,671 5,093
1917 126,735 1,354 13,810 12,815 995 4,275 4,485
1918 108,110 684 11,635 19,460 ▲ 7,825 4,051 4,962
1919 107,051 694 16,764 29,321 ▲ 12,557 未収入株金諸費用721 4,252 5,367
1920 148,974 1,095 39,607 31,648 7,959 2,036
1921 161,018 774 38,063 30,238 7,825
1922 156,122 791 38,218 30,963 7,255 1,058
1923 157,671 890 37,917 29,616 8,301 1,137
1924 155,901 965 37,274 31,180 6,094 3 278 2,844
1925 132,786 767 31,194 28,374 2,820 雑損330 438
1926 111,751 774 23,487 24,184 ▲ 697 雑損268 786
1927 100,931 889 21,135 19,167 1,968 590 470
1928 93,381 823 19,323 20,152 ▲ 829 自動車13 218
1929 86,702 794 17,127 17,545 ▲ 418 自動車1,433 361
1930 66,552 809 12,217 21,646 ▲ 9,429 自動車644 513
1931 14,840 358 3,781 3,931 ▲ 150 自動車41 33
  • 鉃道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

車両

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開業時に用意された車両は石川鉄工所(東京市京橋区月島)製[10]の蒸気機関車(1,2)と客貨車6両。その後石川島造船所若松分工場から1919年製の蒸気機関車を購入し2代目2号機とした。旧2号機は千代田組九州支店に売却された。他には雨宮製作所(大日本軌道鉄工部)の蒸気機関車(3.4)、三等ボギー客車大阪加藤車両製作所製(3.4)、合資会社黒田商会製(5.6)や客車改造のガソリンカーが在籍していた。

車両数の推移

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年度 蒸気機関車 ガソリンカー 客車 貨車
有蓋 無蓋
1915 3 2 2 2
1916 3 4 2 2
1917-1918 2 4 2 2
1919-1922 3 4 2 2
1923 3 5 2 2
1924 3 6 0 2
1925-1927 3 6 2 2
1928-1929 3 2 6 2 2
1930-1931 3 2 4 2 2

廃止後の状況

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前述のとおり、廃線後の跡地は1947年(昭和22年)に開業された芦屋線に転用されている。詳細は芦屋線の項を参照。

終点だった西芦屋駅は芦屋町役場前の新町スポーツ広場付近、隣駅の東芦屋駅は芦屋線の筑前芦屋駅から南側200mほど離れた場所にあったらしい。

脚注および参考文献

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  1. ^ a b c d 『芦屋町誌』489-492頁
  2. ^ 『鉄道院年報. 明治44年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第20回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年4月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「軽便鉄道停留場位置変更」『官報』1917年1月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ a b c d e 今尾 (2009) による
  8. ^ 官報によれば1919年7月18日届出 「軽便鉄道停留場廃止」『官報』1919年7月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「鉄道運輸営業廃止」『官報』1932年5月7日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 確認されている機関車の製造実績は芦屋鉄道の2両と篠山鉄道初代1号と越後鉄道大和鉄道有田鉄道初代3号の4両のみ
  • 『芦屋町誌』1972年。 
  • 『福岡県百科辞典 下』西日本新聞社、1982年、433頁 担当執筆は谷口良忠
  • 『九州諸会社実勢. 第2次(大正6年刊)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  • 倉地英夫・大谷節夫『九州の鉄道』西日本新聞社、1980年。 
  • 今尾恵介(監修)『九州・沖縄』新潮社〈日本鉄道旅行地図帳 12〉、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2 
  • 臼井茂信『機関車の系譜図 3』交友社、364、417、419頁
  • 国立公文書館所蔵『第十門・私設鉄道及軌道・三、軽便・蘆屋鉄道株式会社・営業廃止・明治四十四年~大正五年』
  • 国立公文書館所蔵『第十門・地方鉄道及軌道・二、地方鉄道・蘆屋鉄道・営業廃止・大正六年~昭和七年』

関連項目

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