肥筑軌道

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肥筑軌道
概要
現況 廃止
起終点 起点:高尾
終点:崎村
駅数 8停留所
運営
開業 1923年5月24日 (1923-05-24)
廃止 1935年6月6日 (1935-6-6)
所有者 肥筑軌道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 6.6 km (4.1 mi)
軌間 914 mm (3 ft
電化 全線非電化
テンプレートを表示
停留所・施設・接続路線(廃止当時)
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0.0 高尾駅
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犬尾駅
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蓮池駅
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蓮池公園駅
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小松駅
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蒲田津駅
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小鹿駅
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6.6 崎村駅
城原川に残る橋台基礎[1]
地図外部リンク
1932年(昭和7年)発行の古地図に記載されている路線 - 今昔マップ
高尾駅付近
崎村駅付近

肥筑軌道(ひちくきどう)は、かつて佐賀県佐賀郡巨瀬村高尾(現・佐賀市巨瀬町大字高尾)と神埼郡千歳村崎村(現・神埼市千代田町崎村)の間を結んでいた軽便鉄道の路線、およびその運営会社である。

概要[編集]

1916年(大正5年)10月24日真崎照郷らにより佐賀市の国鉄佐賀駅を起点に高尾 - 蓮池 - 江見 - 豆津と結んで久留米に至る計画で、神戸の鈴木商店の後援[2]により肥筑軌道株式会社が佐賀市内に創立された。

これに先立ち1914年(大正3年)6月、三養基郡北茂安村大字江口(筑後川を挟んだ久留米市の対岸。現在のみやき町) - 佐賀郡神野村大字神野(佐賀駅付近)間12.2の軌道敷設の特許が下付された。さらに1917年(大正6年)10月、筑後川を渡り久留米市街地に乗り入れ筑後軌道と連絡するため、起点の江口から福岡県三潴郡までの延長線の特許も下付された。ただ佐賀駅側には急速な市街地化により用地取得が困難になっていたことや、延長区間の建設費59,000円うち橋梁費が44,000円をしめていた筑後川架橋の問題をかかえていた[3]

1923年(大正12年)5月24日には高尾 - 崎村間が部分開業したが、久留米市街地への延長線は1922年(大正11年)11月失効しており、株主間の意見の相違や第一次世界大戦後の不況により計画は頓挫した。そのため、一部工事が行われた崎村の先は未成線となっている。国鉄路線に接続しない孤立路線の上、沿線のほとんどが田園地帯であり収益は上がらず、1934年(昭和9年)には運行を休止し、1935年(昭和10年)に廃止された。なお乗合自動車も営業し1934年時点で3路線保有していた[4]

路線データ[編集]

廃線時

  • 路線距離:6.6km
  • 軌間:914mm
  • 停留所数:8
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化

沿革[編集]

停留所一覧[編集]

高尾 - 犬尾 - 蓮池 - 蓮池公園 - 小松 - 蒲田津 - 小鹿 - 崎村

輸送・収支実績[編集]

年度 乗客(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1923 76,827 140 10,733 8,488 2,245
1924 156,117 240 18,847 18,053 794
1925 128,381 32 18,163 17,599 564
1926 121,266 14 19,324 18,847 477
1927 106,170 28 15,357 15,088 269
1928 111,377 21 16,676 18,251 ▲ 1,575
1929 89,371 12 11,274 19,370 ▲ 8,096 3,251
1930 138,335 0 11,010 15,392 ▲ 4,382 2,692
1931 119,918 0 9,538 9,579 ▲ 41 車輌売却差損金10,044 99
1932 101,693 0 8,388 9,288 ▲ 900 償却金2,368 28
1933 93,517 0 8,961 10,217 ▲ 1,256 144
1934 58,148 0 5,401 7,253 ▲ 1,852 自動車536 23
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版より

車両[編集]

開業時は蒸気機関車3両、客車4両(総定員200人)、無蓋貨車1両。廃止時は蒸気機関車2両、客車2両(総定員100人)であった。

遺構など[編集]

遺構はほとんど残っていない。高尾駅跡には後年看板が建てられ、辛うじて場所を確認できる。また、蒲田津駅 - 小鹿駅間の城原川には石積みの橋脚の基礎が残されており[1]、低水位時に見ることができる。

肥筑軌道高尾駅ひちくきどうたかおえきあと

大正末から昭和初期にかけてここを始発駅として軌道きどう軽便鉄道けいべんてつどう)が蓮池を通り千代田まで走っていました。

大正の末ごろ真崎照郷まさきてるさとなどが発起人となり肥筑軌道株式会社が設立され、大正十二年にこの地を始発駅として営業開始して西分、東西、蓮池、千代田の崎村さきむらへと二両編成で営業していました。久留米まで延長される予定でしたが、第一次大戦後の不景気で倒産し昭和九年ごろ廃止されました。 — 高尾駅跡の看板より

脚注[編集]

  1. ^ a b 「鈴木商店のあゆみ 地域特集 8.肥筑軌道」、鈴木商店記念館、2017年12月29日閲覧。
  2. ^ 「大正初期九州における私有鉄道」25頁
  3. ^ 1917年(大正6年)当時の分析では佐賀と久留米を結べば国鉄線に比べ時間運賃の面で経済効果が見られ相応の営業を上げるであろうと予測している。「大正初期九州における私有鉄道」25頁
  4. ^ 『全国乗合自動車総覧』1934

参考文献[編集]

  • 三木理史『近代日本の地域交通体系』大明堂、1999年、101-104頁
  • 宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くⅨ』JTBキャンブックス、2002年
  • 三浦忍・加藤要一「大正初期九州における私有鉄道」『産業経営研究所報告』No34,九州産業大学産業経営研究所、2002年 - 投資家向けに作成された『九州諸会社実勢』(大正6年)を資料に九州各私鉄の経営状態を分析している。
  • 今尾恵介『日本鉄道旅行地図帳 12号 九州』新潮社、2009年
  • 高尾駅跡案内板 - さがの歴史・文化お宝帳

関連項目[編集]

外部リンク[編集]