米津政武
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永15年(1638年) |
死没 | 宝永5年6月26日(1708年8月12日) |
改名 | 大助(幼名)、政武 |
戒名 | 雨施澤翁雲行院 |
墓所 | 東京都東久留米市前沢の米津寺 |
官位 | 従五位下・伊勢守、出羽守 |
幕府 | 江戸幕府 寺社奉行 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 武蔵久喜藩主 |
氏族 | 米津氏 |
父母 | 米津田盛 |
兄弟 | 政武、田賢 |
妻 | 植村忠朝娘 |
子 | 政矩、政容、伊沢政周、大久保教寛正室、青木直宥正室 |
米津 政武(よねきつ まさたけ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。武蔵国久喜藩初代藩主。官位は従五位下・伊勢守、出羽守。
経歴
[編集]寛永15年(1638年)、米津田盛の長男として誕生した。貞享元年(1684年)、父の死去により家督を継ぐ。このとき、父から相続した1万5000石の所領のうち、3000石を弟の田賢に分与したため、1万2000石の大名となる。政武は武蔵埼玉郡久喜に藩庁を置いたことから、久喜藩初代藩主となった。
貞享4年(1687年)5月、寺社奉行に任じられるが、元禄元年(1688年)10月、勤務怠慢などを理由に罷免された。元禄11年(1698年)11月11日、長男・政矩に家督を譲って隠居する。