立石岬灯台
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立石岬灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] | 1047 [M7246][1] |
位置 | 北緯35度45分42秒 東経136度01分07秒 / 北緯35.76167度 東経136.01861度座標: 北緯35度45分42秒 東経136度01分07秒 / 北緯35.76167度 東経136.01861度 |
所在地 | 福井県敦賀市字立石エリヶ崎 |
塗色・構造 | 白色 塔形 石造[1] |
レンズ | LB-M30型灯器[1] |
灯質 | 単閃白光 毎10秒に1閃光 |
実効光度 | 150,000[1] cd |
光達距離 | 20.5海里(約38km)[1] |
明弧 | 60度から319度まで |
塔高 | 7.95 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 122[1] m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1881年(明治14年)7月20日[1] |
管轄 |
海上保安庁 第八管区海上保安本部 |
立石岬灯台(たていしみさきとうだい)は、福井県敦賀市にある立石岬の突端に立つ白亜塔形石造の中型灯台。周辺は、若狭湾国定公園に指定され、リアス式海岸の造形する風光明媚の地。また、敦賀市の市章のデザインにもなっている。
歴史
[編集]- 1880年(明治13年)4月 - 起工。
- 1881年(明治14年)6月 - 竣工、7月20日に初点灯した[2]が、当時は石油ランプを使用していた。全国の主要灯台のうち36番目、日本海沿岸では角島灯台(山口県)に次ぐ、2番目のもの[1]。また、日本人のみで建設された最初の西洋式灯台として知られる。総工費は当時のお金で22,600円かかり、石材は現地産の花崗岩。建設当初の名称は「立石岬灯台」だった。
- 1904年(明治27年) - 「立石埼灯台」と改称。
- 1914年(大正3年) - ガス灯(アセチレンガス)に変わる。
- 1938年(昭和13年) - 電化される。
- 1960年(昭和35年) - フランス製不動フレネル式レンズから、LB-40型の回転式灯器に交換される。それまでのレンズは、敦賀市立博物館に展示されている。
- 1961年(昭和36年) - 無人化される[3]。
- 2002年(平成14年)11月 - 再び「立石岬灯台」に名称が戻された。
- 2017年(平成29年)5月2日 - 灯台建屋と囲障が登録有形文化財に登録された[4][5][6]。
付属施設
[編集]- 沿岸域情報提供システム(MICS)による観測箇所
交通アクセス
[編集]福井県道141号竹波立石縄間線の終点から徒歩で500メートルとなるが、停留所はその手前にあるため、実際に徒歩で移動する距離はそれよりもやや長い。
- ※敦賀駅から立石まで約40分[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『灯台旅 -悠久と郷想のロマン-』(2023年11月18日、藤井和雄著、成山堂書店発行)77頁。
- ^ 明治14年7月1日工部省布達第10号(『法令全書 明治14年』内閣官報局、pp.889-890.)
- ^ ナギヒコ (2020年11月29日). “つい見に行ってしまった立石岬灯台の「かっこよさ」”. JBpress
- ^ “文化財詳細 立石岬灯台”. 福井の文化財. 福井県. 2022年7月20日閲覧。
- ^ 立石岬灯台 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 立石岬灯台囲障 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “立石岬灯台”. 敦賀観光協会. 2022年7月20日閲覧。
- ^ “敦賀市コミュニティバス 常呂線”. 敦賀市コミュニティバス. 敦賀市. 2022年7月20日閲覧。