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田中麻衣美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 麻衣美
Maimi Tanaka
基本情報
本名 安孫子 麻衣美
あびこ まいみ
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1982-08-11) 1982年8月11日(42歳)
身長 166.0cm
体重 57.5kg
選手情報
期別 102期
登録地
2012年 - 2022年 日本競輪選手新潟県支部
■最終更新日:2022年7月25日  テンプレートを表示

田中 麻衣美(たなか まいみ、1982年8月11日 - )は、元女子競輪選手、元モデル[1]。血液型はB型。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生(ガールズケイリン1期生)。現役時代は日本競輪選手会新潟支部所属、ホームバンクは弥彦競輪場。師匠は池端将巳(79期)。夫は元競輪選手の安孫子裕(85期)[2]

来歴

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新潟県新潟市出身。

新潟青陵高校を卒業後、エステティシャンやウエディングモデルを経て[1]、弥彦競輪PRユニット・すぴRits畑中まいみとして活動[3]。2010年、弥彦競輪場が「CLUB SPIRITS」というサイクリングクラブを発足したことを受け加入と同時に、2012年7月開始予定のガールズケイリン選手を目指すことになり、同じ志を持った加瀬加奈子藤原亜衣里中川諒子の3人とともに共同生活をスタートさせた。

2011年2月25日、加瀬、藤原、中川の3名とともに、競輪学校第102回生入学試験に合格[4]。在校競走成績は25位(3勝)[5]

2012年5月1日、日本競輪選手会新潟支部所属の競輪選手として登録された。同年7月6日京王閣競輪場でデビューし6着。同年11月25日には初の決勝進出を果たした[6]。デビュー後はガールズケイリンPRポスター『顔より太もも。』の第1弾、第2弾のモデルにも選ばれるなど、ガールズケイリンPR活動にも一役買った。

2013年4月21日平塚競輪場で初勝利を挙げた[7]

2017年1月15日、元競輪選手の安孫子裕と入籍(報道では『新潟在住の一般人の男性』とされた[8][2]

晩年は競走成績不振で代謝制度の対象となり[2]2022年6月23日西武園FII(モーニング)最終日第5レース一般戦での3着がラストレースとなった。最後のレースを走り終えたあと、同じく西武園での競走に参加したガールズケイリン選手仲間から花束を渡され感謝の意を述べた[9]

2022年7月21日、選手登録消除。通算戦績は、751戦4勝。9月23日、同年1月に引退した阿部康雄とともに弥彦競輪場にて引退セレモニーが行われた[10]

引退後は、弥彦競輪の公式YouTubeチャンネルに出演、レース予想を行っている[10]

脚注

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  1. ^ a b 楽しくストイックに努力する。元モデル、田中麻衣美の夢を追い続ける原動力
  2. ^ a b c 【飯塚朋子・田中麻衣美】駆け抜けた10年 代謝制度で競輪界を去った1期生ふたりが今思うこと”. netkeirin (2022年7月23日). 2022年7月25日閲覧。(夫が元競輪選手である件はnetkeirinアプリでのみ閲覧可能)
  3. ^ SPIRITS of JAPAN 第1戦 PHOTOレポート 2008年7月20日
  4. ^ 日本競輪学校女子第1回生徒入学試験合格者名簿 (PDF)
  5. ^ 競走成績戦法別一覧表総合 (PDF)
  6. ^ 元モデル田中麻衣美が初の決勝進出/平塚
  7. ^ 選手情報: 田中 麻衣美
  8. ^ “田中麻衣美が結婚 元モデル、ガールズ美人レーサー”. 日刊スポーツ(nikkansports.com) (日刊スポーツ新聞社). (2017年3月2日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/1786207.html 2017年5月11日閲覧。 
  9. ^ “ガールズケイリン1期生・田中麻衣美「10年間はあっという間」ラストランで健闘3着/西武園”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年6月23日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/202206230000352.html 2022年6月23日閲覧。 
  10. ^ a b “【競輪】阿部康雄と田中麻衣美が弥彦で引退セレモニー 「これから予想を頑張りたい」”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2022年9月24日). https://www.daily.co.jp/horse/2022/09/23/0015663757.shtml 2022年9月24日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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