「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」の版間の差分
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「特攻機」を操縦していたのは子役出身で映画『[[野良猫ロック]]』や[[日活ロマンポルノ]]に「[[前野霜一郎]]」の芸名で出演していた[[俳優]]の前野光保(当時29歳)だった。 |
「特攻機」を操縦していたのは子役出身で映画『[[野良猫ロック]]』や[[日活ロマンポルノ]]に「[[前野霜一郎]]」の芸名で出演していた[[俳優]]の[[前野光保]](当時29歳)だった。 |
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彼は児玉に敵対する[[左翼思想]]の持ち主ではなく、むしろその逆であった。かつては右翼の運動家であった児玉を尊敬し、[[三島由紀夫]]にも心酔していた。 |
彼は児玉に敵対する[[左翼思想]]の持ち主ではなく、むしろその逆であった。かつては右翼の運動家であった児玉を尊敬し、[[三島由紀夫]]にも心酔していた。 |
2019年7月22日 (月) 13:21時点における版
児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件(こだまよしおていセスナきとっこうじけん)とは、1976年(昭和51年)3月23日に児玉誉士夫の私邸に小型航空機が特攻したテロ事件である。別名を児玉誉士夫邸セスナ機自爆事件ともいう。
事件の概要
大物右翼のフィクサーと呼ばれていた児玉誉士夫(当時65歳)はアメリカ合衆国の航空機メーカーのロッキード(現在のロッキード・マーティン)の秘密代理人として暗躍しており、全日本空輸にロッキードの旅客機を購入させるために政治工作した、所謂ロッキード事件の首謀者の一人であった。そのため、事件の中心人物と目され、衆議院で証人喚問がおこなわれるはずであったが、直前に病気を理由に出席しなかった。なお、児玉は脱税などにより3月13日に起訴されていた。
そうした中、東京都世田谷区等々力にあった私邸で静養中の3月23日午前9時50分頃、PA-28-140型機(機体記号:JA3551)が自宅に突入し爆発炎上した。この火災で児玉邸の2階一部が類焼し、家政婦が負傷したが、別室で就寝していた児玉本人は無事だった。
突入したのは東京都の調布飛行場を離陸した2機の内の1機で、直前まで機長とカメラマンら3人が搭乗したセスナ172M型機(機体記号:JA3732)と編隊飛行をしており、新宿上空でJA3551機の写真撮影を行っていた。その撮影を終えた帰途に突入したものであった。この機体の残骸から操縦士の遺体が発見されたが、航空事故ではなく覚悟の特攻という自爆テロ行為であった。この行為に対しアメリカのメディアは「最後のカミカゼ」などと報道した。
当時、児玉が経営する企業の役員を務めていた日吉修二によると「私が行ったときはまだ飛行機が庭先に突っ込んでいて、操縦士というか何とかさん特攻隊の真似をして、そのままうつ伏すように死んでる奴を見た」と話していた。
事件の背景
「特攻機」を操縦していたのは子役出身で映画『野良猫ロック』や日活ロマンポルノに「前野霜一郎」の芸名で出演していた俳優の前野光保(当時29歳)だった。
彼は児玉に敵対する左翼思想の持ち主ではなく、むしろその逆であった。かつては右翼の運動家であった児玉を尊敬し、三島由紀夫にも心酔していた。
そうした中、ロッキード事件に絡んで起訴された児玉に対し裏切られたと感じた前野は、彼を「利権屋」と断じ、「天誅を下すべき」だとの思いから特攻に及んだものであった。事件前に犯行計画を知人に話していたという。また、警視庁は背後関係はなく前野の単独犯と断定している。
前野は調布飛行場から午前8時50分に離陸したが、その前に「映画のため」と言って記念撮影をしており、その際に神風特攻隊の特攻服を身に付けていた。また、離陸時には「七生報国」と書かれた日の丸の鉢巻をしていた。彼は特攻直前最期の無線通信では「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。
参考文献
- 昭和・平成 日本テロ事件史. 別冊宝島. 宝島社. pp. 79頁. ISBN 9784796642507