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[[1994年]]に世宗研究所に入ると、さらに専門的に北朝鮮の政治と南北関係を研究し、この頃から対北宥和政策を[[メディア]]で本格的に主張するようになり、[[1995年]]には[[大韓民国統一部|統一院]]の政策諮問委員となった。[[2000年]]には『現代北朝鮮の理解』を発表している。[[金大中]]政権が誕生すると、韓国政府が採用している[[太陽政策]]を強く支持したことから韓国政府に起用されるようになり、[[2000年]]の南北首脳会談では金大統領に同行して[[平壌]]を訪れた。その後、[[盧武鉉]]によって[[韓国国家安全保障会議|国家安全保障会議]](NSC)事務次長に任命された。[[2006年]]2月には統一部長官に任命されており、対北朝鮮政策を取り仕切る立場に立っていたが、2006年10月に行われた北朝鮮の核実験及び、その後の[[国際連合安全保障理事会|国連安全保障理事会]]の全会一致の採択による対北朝鮮経済制裁に直面し、太陽政策の破綻が明らかになってきたため、職を辞することになった。
[[1994年]]に世宗研究所に入ると、さらに専門的に北朝鮮の政治と南北関係を研究し、この頃から対北宥和政策を[[メディア]]で本格的に主張するようになり、[[1995年]]には[[大韓民国統一部|統一院]]の政策諮問委員となった。[[2000年]]には『現代北朝鮮の理解』を発表している。[[金大中]]政権が誕生すると、韓国政府が採用している[[太陽政策]]を強く支持したことから韓国政府に起用されるようになり、[[2000年]]の南北首脳会談では金大統領に同行して[[平壌]]を訪れた。その後、[[盧武鉉]]によって[[韓国国家安全保障会議|国家安全保障会議]](NSC)事務次長に任命された。[[2006年]]2月には統一部長官に任命されており、対北朝鮮政策を取り仕切る立場に立っていたが、2006年10月に行われた北朝鮮の核実験及び、その後の[[国際連合安全保障理事会|国連安全保障理事会]]の全会一致の採択による対北朝鮮経済制裁に直面し、太陽政策の破綻が明らかになってきたため、職を辞することになった。

== 和田春樹との関係 ==
[[和田春樹]]と深い関係にあることが度々報道されており<ref name="週刊文春">『[[週刊文春]]』2004年3月25日号、[[加藤昭 (ジャーナリスト)|加藤昭]]「韓国親北政権の罪第二弾 盧武鉉弾劾の真実大統領府に北のスパイが浸透していた」</ref><ref name="NewDaily">{{Cite news|url=http://www.newdaily.co.kr/news/article_s.html?no=190868&rvw_no=1559|title=때가 되면 등장하는 日좌익 '와다 하루키(和田春樹)'|newspaper=[[NewDaily]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161124173722/http://newdaily.co.kr/news/article_s.html?no=190868&rvw_no=1559|archivedate=2016年11月24日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>、和田の[[朝鮮戦争]]史観に影響を受けているという<ref name="NewDaily"/>。それによると、和田と李の関係について[[大韓民国国家情報院|国情院]]スタッフは「李は九二年、和田の著作『金日成と満州抗日戦争』を翻訳している。また、『北韓の住居移転、旅行の自由の制限は、社会主義の特性であり、南北軍事対立のもとで選択せざるを得なかった防衛的措置だ』、『金正日はオーケストラの演奏中、ある演奏者の半音の間違いまで聞き分けるほど音楽に造詣が深い』など、数多くの北賛美の発言をしてもいます」とコメントしており、国情院スタッフは「徐(注:{{仮リンク|徐東晩|ko|서동만}}[[大韓民国国家情報院]]室長)、李を中心とするグループが北主導の統一憲法草案を準備しているが、和田が知恵をつけているのではないか」として「和田黒幕説」を主張している<ref name="週刊文春"/>。


== 発言 ==
== 発言 ==

2019年5月22日 (水) 02:56時点における版

李鍾セキ
各種表記
ハングル 이종석
漢字 李鍾奭
発音: イ・ジョンソク
ローマ字 Lee Jong-seok
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李 鍾イ・ジョンソク1958年5月11日 - )は韓国の政治家、学者。

略歴

1958年京畿道楊州郡に生まれる。龍山高等学校を経て、成均館大学校行政学科に入り、学生運動に身を投じる。80年代学生運動の指導者として、幾度も逮捕された経験がある。

大学を卒業すると、そのまま成均館大学校大学院政治外交学科へと進み、そこで朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に親しみを持つ。定型化された北朝鮮論を改め、北朝鮮のありのままを知ろうと言う「独立門研究会」の一員として主体思想金日成や北朝鮮の革命史等を学び、『北韓指導集団の抗日武装闘争の歴史的経験についての研究』や『朝鮮労働党の指導思想と構造変化に関する研究』等を著した。

1994年に世宗研究所に入ると、さらに専門的に北朝鮮の政治と南北関係を研究し、この頃から対北宥和政策をメディアで本格的に主張するようになり、1995年には統一院の政策諮問委員となった。2000年には『現代北朝鮮の理解』を発表している。金大中政権が誕生すると、韓国政府が採用している太陽政策を強く支持したことから韓国政府に起用されるようになり、2000年の南北首脳会談では金大統領に同行して平壌を訪れた。その後、盧武鉉によって国家安全保障会議(NSC)事務次長に任命された。2006年2月には統一部長官に任命されており、対北朝鮮政策を取り仕切る立場に立っていたが、2006年10月に行われた北朝鮮の核実験及び、その後の国連安全保障理事会の全会一致の採択による対北朝鮮経済制裁に直面し、太陽政策の破綻が明らかになってきたため、職を辞することになった。

発言

李の政治思想は、米韓関係と南北関係を韓国の2軸と規定し、それが敵対的であることは韓国にとって望ましくないとし、2軸を分離させるのではなく政権内側からのアプローチにより軸を調節・管理し、最終的に米韓関係と南北関係を等しい関係として軸を同一にすべきと説く、北朝鮮への宥和政策である。その実現のために、南北の活発な交流を行い、相互の政府内の構造を把握し、政府間相互の親和性を高めなければならないとする。さらに、それを実現するためには北朝鮮にただ闇雲に体制変化を求めるだけではなく、韓国政府内部の構造変化も必要であるとして、旧来の保守・革新のイデオロギー対立からの決別、反共的な法令の改廃、北朝鮮と対立的であった諸々の変革及び過去史の清算を唱えている。アメリカ合衆国および日本に対しては、外形的なものにこだわってむやみに不協和音を生じさせているとし、それが韓国の国益を損なっているとして、きわめて厳しい論調をとっている。

日本の拉致被害者を巡る議論において、70年代に新潟県で拉致された中学生の父親が韓国を訪れた際には「(父親と)会う必要はない。」「一体何しに来るのか?」と冷淡な言葉を述べ、さらに「金総書記は拉致を告白するという歩み寄りを見せたが、日本はこの譲歩を過小評価している」と国際世論とかけ離れた言葉を述べた[1]。2006年7月の北朝鮮によるミサイル発射後には、直ちに経済制裁発動を発表した日本の対応を厳しく批判し、さらにこの原因がアメリカ合衆国の誤った外交政策に起因していると述べて与野党双方から大きな批判を浴びた[2]。米政府高官は2006年9月に盧大統領が訪米した際、「韓国が北朝鮮のミサイル発射時に北朝鮮を非難するのでなく日本を真っ先に批判したのは理解しがたい」と発言している。

2018年2月に、北朝鮮が平昌五輪開幕式前日の8日に軍事パレードを行うことを予告したことについて、「金正恩が正常国家へと進む一連の過程の中で行うもの」「日を移動させた背景には実用主義的なスタイルが働いている」と発言し、自由韓国党申普羅韓国国会議員から「北朝鮮報道官も顔負けの金正恩称賛」「民主党の重鎮に続いて文在寅大統領のメンターであるという丁世鉉、李鍾ソク元統一部長官までもが北朝鮮報道官を自任して国に恥をかかせている」「この政権には北朝鮮報道官がなぜこんなにも多いのか」「同盟国・米国の副大統領(マイク・ペンス)と隣国の首相(安倍晋三)に対して侮辱的な言動をはばからない一方で北朝鮮の肩を持つ様子にはただあきれる」と批判されている[3]

脚注

  1. ^ 李統一部長官「脱北者ソ氏の米亡命はナンセンス」, 朝鮮日報, 2006/05/04
  2. ^ 北朝鮮ミサイル問題 韓国統一相の米批判発言を擁護 盧大統領に集中砲火, 西日本新聞, 2006/07/26
  3. ^ “韓国党、安倍批判を浴びせた与党要人の発言に「国の恥さらし」”. 中央日報. (2018年2月7日). オリジナルの2018年2月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180210204329/http://japanese.joins.com/article/381/238381.html 

外部リンク

公職
先代
鄭東泳
大韓民国の旗 大韓民国統一部長官
第32代:2006
次代
李在禎 (ko)