「合言葉」の版間の差分
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2014年5月26日 (月) 22:59時点における版
合言葉(あいことば)は、共同体や仲間内で用いられる言葉の問答による合図の一種であり、互いが仲間であると認証するために、前もって問答を定めておいた言葉を指す。合い言葉とも記し、日本では、「山」と問われたら、「川」と答える合言葉が有名[1]。合詞という表記も中世には見られる(例として、上泉信綱伝の『訓閲集』巻四、近世では『常山紀談』)。あるいは、仲間同士の主張を端的に表した標語、すなわちモットーも合言葉という。
歴史および使用例
日本の文献上、合言葉の使用例が初めて確認されるのは、『日本書紀』が記す壬申の乱の戦闘である[2]。その記述によると、田辺小隅が倉歴道の守備兵に夜襲をかけたとき、「金(かね)」と問われたら、「金」と答えるという合言葉を決めたという。この記述からも、7世紀末の飛鳥時代の頃から戦闘時の混乱に備えてあらかじめ合言葉が考えられていたことがわかる。
上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家の兵法書を戦国風に改めた)巻四「戦法」の夜戦の項に、「合詞(あいことば)定め置くべし」と記述がある(表記は原文ママ)。また、船戦の項にも、「夜は拍子木を打ち、合詞(以下略)」と記されていることからも、水軍も合言葉の使用が必要とされたことがわかる。
『常山紀談』の三津浜刈屋口の戦いにおいて、慶長5年(1600年)9月16日に、松前城家老の佃十成が夜討ちに際し、合詞を定めさせる記述が見られる[3]。
江戸時代、元禄赤穂事件において、吉良邸の討ち入り計画で大石良雄は前もって合言葉を定めたとされる[注 1]。
- 機械的な認証技術が進歩していなかった時代では、門番等は警戒状況が高まった時には合言葉が決められた。
- 田邊小隅は夜襲時の混乱に備え、合言葉を定めたが、戦国期の兵法書も夜戦を想定し、大石良雄の討ち入りも未明であり、いずれも視界の悪い、夜襲時に備えて定められたという共通点がある。
21世紀初頭、被害が増加している振り込め詐欺の防止策として、家族間での合言葉(例えば、家族でしか知りえないペットの名前など)を定めることが警察によって民間に推奨されている[4][注 2]。現代では、共同体において財産を守るために電話内でも合言葉が必要となってきており、絆を確かめる手段としても合言葉が求められている(共同体でも用いられる一例)。
アメリカ陸軍では「サンダー」に対して「フラッシュ」と返すものがあった[5]。
BBCのドラマ『バンド・オブ・ブラザーズ』では「フラッシュ」に対して「サンダー」となっているが、こちらが一般的である。
アメリカドラマ『ザ・パシフィック』では、ガダルカナル島の戦い時、米軍が合言葉を「ローレライ」とする場面が見られる。
欠点
- 誰かに答えを聞かれた場合、仲間でない者の潜入を許してしまう。これを防ぐ方法として、時間ごとに合言葉を変えていくという手がある(その日、その時間帯によって複数定めておく)。
- 国内世間一般で有名かつ常識となった合言葉は用いる事ができない(容易に答えられる為)[注 3]。
- 敵前で多用し過ぎると勘付かれる。これは『日本書紀』壬申の乱時に例が記述されており、結果、敵将が合言葉を唱え、逃亡している。
備考
- 合言葉を多様・複雑化する工夫としては、地方でしか通じないキャッチフレーズ(ローカルTV局のCMや店の名文句)や方言・訛りといった、その出身でないと発音できない言葉を組み込むことが挙げられる。
- 漢字の場合、問答の文字自体を組み合わせることで一つの意味を生み出すことも可能で、例として、「日」と「月」で「明」などがあげられる。
脚注
注釈
出典
- ^ 『広辞苑 第五版』岩波書店 一部参考。
- ^ 亀井輝一郎「近江遷都と壬申の乱」11頁。
- ^ 『戦国最強の水軍 村上一族のすべて』 『歴史読本』編集部 編 新人物文庫 2014年 ISBN 978-4-04-600264-8 p.104.なお当合戦は、「海の関ヶ原」とも称される(当著より)。
- ^ 朝日新聞2012年11月5日(月曜)付 埼玉版の記事を一部参考。
- ^ 「メダル・オブ・オナー アライドアサルト」
参考文献
- 亀井輝一郎 「近江遷都と壬申の乱」、『日本書紀研究』第22冊、1999年。