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2006年1月24日 (火) 17:02時点における版
辻佳紀(つじ よしのり, 1940年12月20日 - 1989年4月28日)は、福井県敦賀市出身。昭和後期(1960年代後半~1980年代)のプロ野球選手、野球解説者。
敦賀商業高校時代の1957年春、1958年夏の正キャッチャーとして活躍。明治大学を経て1963年に阪神タイガースに入団。1964年のリーグ優勝、1965年~1967年にオールスター3年連続出場を果たすなど、阪神の正捕手の座をほしいままにした。現役途中から口ひげがトレードマークとなり、同じ時期に阪神に在籍した辻恭彦と区別する意味もあって「ヒゲ辻」のニックネームが付く。
その後村山実に監督が代った1970年に本人の希望で近鉄バファローズ、1974年に大洋ホエールズに移籍し、吉田義男監督が就任した1975年に阪神の選手兼任バッテリーコーチとして復帰。現役選手としてはこの年で退き13年間の現役生活で960試合出場、2340打数486安打、87ホームラン、231打点、20盗塁、打率2割8厘を残した。1976年はコーチ専任でこの年を最後に退団する。
その後はその個性的なキャラクターから野球解説だけでなくタレントとしても活躍し、初期の頃はTBSのバラエティ番組「たまりまセブン生放送」のパンツマンというキャラクターを勤めたこともあった。その後は読売テレビの「ザ・プロ野球」→「週刊トラトラタイガース」のコメンテーター、ラジオ大阪、KBS京都の野球解説で知られたが、1989年癌により48歳の若さで永眠する。