「ミシルルー」の版間の差分

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[[1930年代]]以降、[[アメリカ合衆国]]に移民したギリシャ人とともにこの曲もアメリカに持ち込まれ、[[1940年代]]以降[[ジャズ]]や[[イージーリスニング]]の様々な楽団が独自の英語歌詞をつけて演奏するようになった。S. Russell、N. Wise、M. Leedsが英語の歌詞を書いている。
[[1930年代]]以降、[[アメリカ合衆国]]に移民したギリシャ人とともにこの曲もアメリカに持ち込まれ、[[1940年代]]以降[[ジャズ]]や[[イージーリスニング]]の様々な楽団が独自の英語歌詞をつけて演奏するようになった。S. Russell、N. Wise、M. Leedsが英語の歌詞を書いている。


1941年に、ニック・ルーバニスNick Roubanis(Nikos Roubanis, Νίκος Ρουμπάνηςとも,ギリシア系アメリカ人の音楽のインストラクター)は作曲家として自分をクレジット表記しながら、この歌のジャズのインストゥルメンタル版をリリースした。1927年にテトス・ディミトゥリアデス(ギリシア語:Τέτος Δημητριάδης,ラテン文字転記:Tetos Dimitriades)によって歌われニューヨークで録音された音源があるため、ギリシアでは作曲者としてパトゥリノス以外にルーバニスの名もあがる。
1941年に、ニック・ルーバニスNick Roubanis(Nikos Roubanis, Νίκος Ρουμπάνηςとも,ギリシア系アメリカ人の音楽のインストラクター)は作曲家として自分をクレジット表記しながら、この歌のジャズのインストゥルメンタル版をリリースした。1927年にテトス・ディミトゥリアデス(ギリシア語:Τέτος Δημητριάδης,ラテン文字転記:Tetos Dimitriades)によって歌われ、作詞・作曲がニック・ルーバニスとクレジットされ、ニューヨークで録音された音源があるため、ギリシアでは作曲者としてパトゥリノス以外にルーバニスの名もあがる。


特に[[1950年代]]以降は「[[エキゾチカ (音楽)|エキゾチカ]]」と呼ばれる、異国調を前面に出した[[ラウンジミュージック]]の一種におけるスタンダードナンバーとなった。[[1962年]]には[[ディック・デイル|ディック・デイル&デルトーンズ]]の演奏による[[サーフミュージック]]アレンジのミシルルーが全米でヒットしており、このバージョンが(「ミザルー」(Miserlou)のタイトルで)今日よく知られている。ディック・デイル版は各国のサーフロック・バンドにカバーされたほか、[[1994年]]の映画『[[パルプ・フィクション]]』で主題曲となり再び広く知られるようになった。
特に[[1950年代]]以降は「[[エキゾチカ (音楽)|エキゾチカ]]」と呼ばれる、異国調を前面に出した[[ラウンジミュージック]]の一種におけるスタンダードナンバーとなった。[[1962年]]には[[ディック・デイル|ディック・デイル&デルトーンズ]]の演奏による[[サーフミュージック]]アレンジのミシルルーが全米でヒットしており、このバージョンが(「ミザルー」(Miserlou)のタイトルで)今日よく知られている。ディック・デイル版は各国のサーフロック・バンドにカバーされたほか、[[1994年]]の映画『[[パルプ・フィクション]]』で主題曲となり再び広く知られるようになった。

2011年3月4日 (金) 06:00時点における版

ミシルルー』(Μισιρλού, ラテン文字転記:Misirlou)は、元々ギリシャの大衆音楽の歌であった。今日、5つのスタイルの音楽で知られている:ギリシアのレベティコrebetiko、中東のベリーダンス、ユダヤのクレツマーKlezmer、アメリカのサーフロックsurf rock、最後にイージー・リスニングeasy listening(エキゾティカExotica)。ミシルルーは「エジプトの少女」という意味である。本来は歌詞が存在するが、インストゥルメンタル化したものが有名である。

語源

アラビア語でエジプトの事をミスル(アラビア語:مصر, ラテン文字転記:Miṣr)と言う。このアラビア語がトルコ語に入り、ムスル(トルコ語:Mısır,「エジプト」の意)となった。トルコ語で「~出身」を意味する接尾辞~ル(-lı)がついたものがムスルル(トルコ語:Mısırlı,「エジプト出身」の意)である。ギリシャ語で表記したものがミシルルー(ギリシア語:Μισιρλού, ラテン文字転記:Misirlou、「エジプト出身」の意)となる。歌詞は少女のことを歌っているのでΜισιρλούだけでは「エジプト出身」という意味になるが、略されている部分を補うと「エジプト出身(の少女)」→「エジプト(出身)の少女」→「エジプトの少女」という意味となる。アメリカでは『ミザルー』(Miserlou)とも表記することもある。

歴史

この歌は1927年ギリシアのアテネでレベティコ(レンベティコ/レベティカ/レンベティカ)というギリシアの大衆音楽を演奏していたミハリス・パトゥリノス(ギリシア語:Μιχάλης Πατρινός,ラテン文字転記:Michalis Patrinos)の楽団によって最初に演じられた。ほとんどの初期のレベティカ(この音楽の様式はトルコの小アジア出身のギリシア移民に起源を持つ)の歌と同様に歌の実際の作曲家は判明していない。そしてその所有権は楽団のリーダーにあった。旋律はおそらく楽団のメンバー達によって協力して作曲された。それはその時代よくあることだった。最初の歌詞はパトゥリノス自身によって書かれたと見られる。パトゥリノス(元々スミルナに住んでいた)は歌をエジプト人の少女を意味するムスルルMısırlıあるいはミシルルーΜισιρλούと命名した。元々、歌はレベティコの様式で、より遅いテンポと異なったキーで、トルコの(あるいはギリシアの)テンポのゆったりしたダンスであるチフテテッリの舞踊のための歌として作曲された。1920年代のギリシャの都市部には西欧の大衆音楽が流入する一方で、トルコ領となった小アジアから住民交換によりギリシャに移住してきたギリシャ人がオスマン帝国の様々な音楽的伝統を持ち込んでおり、こうした音楽の交配からレベティコという新しい音楽が芽生えた。ミシルルーも他のいくつかの歌と同じくレベティコの勃興と共に生まれた曲のひとつである。

1930年代以降、アメリカ合衆国に移民したギリシャ人とともにこの曲もアメリカに持ち込まれ、1940年代以降ジャズイージーリスニングの様々な楽団が独自の英語歌詞をつけて演奏するようになった。S. Russell、N. Wise、M. Leedsが英語の歌詞を書いている。

1941年に、ニック・ルーバニスNick Roubanis(Nikos Roubanis, Νίκος Ρουμπάνηςとも,ギリシア系アメリカ人の音楽のインストラクター)は作曲家として自分をクレジット表記しながら、この歌のジャズのインストゥルメンタル版をリリースした。1927年にテトス・ディミトゥリアデス(ギリシア語:Τέτος Δημητριάδης,ラテン文字転記:Tetos Dimitriades)によって歌われ、作詞・作曲がニック・ルーバニスとクレジットされ、ニューヨークで録音された音源があるため、ギリシアでは作曲者としてパトゥリノス以外にルーバニスの名もあがる。

特に1950年代以降は「エキゾチカ」と呼ばれる、異国調を前面に出したラウンジミュージックの一種におけるスタンダードナンバーとなった。1962年にはディック・デイル&デルトーンズの演奏によるサーフミュージックアレンジのミシルルーが全米でヒットしており、このバージョンが(「ミザルー」(Miserlou)のタイトルで)今日よく知られている。ディック・デイル版は各国のサーフロック・バンドにカバーされたほか、1994年の映画『パルプ・フィクション』で主題曲となり再び広く知られるようになった。

歌詞

歌っている歌手(歌詞があるもの)

演奏したアーティスト

その他多数

BGMとしての使用例

映画
ゲーム
その他

他にも数多くのテレビ番組で使用されている。