「貴賤結婚」の版間の差分
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2010年12月5日 (日) 21:01時点における版
貴賤結婚(きせんけっこん、英語:morganatic marriage)とは、配偶者同士の間で、所属する社会的・経済的階層ないし法的身分という観点から見た場合、大きく上下の隔たりが存在する婚姻の形態。卑賤結婚、左手結婚[1]の呼称も散見する。特に彼らが属する社会において、一般に対等だと認められないため、夫婦の両方又は一方、ないし夫婦の間に出生する子供には法的・社会的ペナルティが科せられる。
貴賤結婚が大きな問題となるのは、君主国において王位継承権者の配偶者の身分を厳しく制限する法律が存在する場合である。特に、キリスト教文明圏であるヨーロッパの君主国での結婚形態は一夫一婦制であるため、君主やその親族の身分の釣り合いのとれた対等結婚が重視されていた。しかし19・20世紀になると、ヨーロッパでは王族や貴族階級の間に友愛結婚の概念が浸透するようになり、君主や王族が身分の低い相手を配偶者に選ぶ例が続出した。20世紀後半までに、君主国の多くで身分制度が弛緩するとともに、王族の配偶者の身分上の資格が問題になることは少なくなった。
ヨーロッパ諸国の例
フランス・ドイツ・オーストリア・ロシアなどでは、時代にもよるが、皇族・王族と臣下との間の結婚が禁じられていたため、貴賤結婚をした皇族・王族は一般に皇位・王位継承権を失った。イングランド・スコットランドにおいてはこのような規制がないため、皇族・王族と貴族(臣下)との間の結婚は許されていた。
日本
日本において、明治時代から昭和時代の半ばまで施行された旧皇室典範では、天皇及び皇族と婚姻できるのは、皇族または勅旨により特に認許された華族に限られた(旧典範39条、皇室親族令7条)。後に、皇族女子の婚姻相手の範囲は、王族または公族まで広げられた。
天皇または皇族男子と婚姻した皇族以外の女子は、皇族となった(旧典範30条)。皇族以外の者と婚姻した皇族女子は、皇族でなくなった(臣籍降嫁、旧典範44条)。ただし、特旨により、なお内親王・女王の称を有するとすることもできた(同条但書)。
天皇の子(皇子)であって嫡出でない者は「皇庶子」とされた(皇室親族令41条)。皇庶子も男は親王、女は内親王となり、皇族となった(旧典範31条、30条)。皇族男子の子であって嫡出でない者は「庶子」とされた(皇室親族令46条)。庶子も、男は親王または王、女は内親王または女王となり、皇族となった(旧典範31条、30条)。嫡出の子には劣後するものの、皇庶子・庶子も皇位継承権を有した(旧典範4条、8条)。
1947年(昭和22年)に施行された現行の皇室典範では、皇族の婚姻相手に関する規制はなくなった。しかし、庶子による皇位継承は認められなくなった。
関連項目
- バッテンベルク家
- ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ
- フランツ・フェルディナント・フォン・エスターライヒ=エステ
- アルフォンソ・デ・ボルボーン・イ・バッテンベルグ
- レオポルト (バーデン大公)
- ルイス・アントニオ・デ・ボルボーン・イ・ファルネシオ
- コンスタンティン (ホーエンツォレルン=ヘヒンゲン侯)
脚注
- ^ 通例では婚礼において花婿が指輪を花嫁の右手に嵌めるが、身分違いの結婚の場合は逆の左手に嵌める決まりである。