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'''トニー・ベネット'''('''Tony Bennett''', [[1926年]][[8月3日]] - )は[[アメリカ合衆国]]の[[ポピュラー音楽]]の[[歌手]]。[[ニューヨーク州]][[クイーンズ]]生まれ。[[イタリア系アメリカ人]]で本名は''Anthony Dominick Benedetto''。芸名は本名を切り詰めたものである

[[アメリカ合衆国]]において最高の男性ヴォーカリスト、エンターテイナーと称される存在。
[[アメリカ合衆国]]において最高の男性ヴォーカリスト、エンターテイナーと称される存在。


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[[1950年]]に[[コロムビア・レコード]]と契約。[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけて「ビコーズ・オブ・ユー」、「コールド・コールド・ハート」、「霧のサンフランシスコ(I Left My Heart in San Francisco)」などの世界的な大ヒットで不動の人気を築いた。
[[1950年]]に[[コロムビア・レコード]]と契約。[[1950年代]]から[[1960年代]]にかけて「ビコーズ・オブ・ユー」、「コールド・コールド・ハート」、「霧のサンフランシスコ(I Left My Heart in San Francisco)」などの世界的な大ヒットで不動の人気を築いた。


朗々とした発声を得意とする豊かな声量の持ち主である一方、トーチ・ソングなどでの細やかな表現力にも優れるなど、ポピュラーシンガー、およびジャズ歌手としての評価は高い。先輩格の大スター歌手である[[フランク・シナトラ]]をして「金を払ってでも聴きたいのは彼の歌だけだ」と評せしめた逸話を持つ。
[[1990年]]代からは[[MTV]]世代にもファン層を広げ、コンスタントにアルバムをリリースし続けている。[[1994年]]には[[MTVアンプラグド]]・ライヴに出演、このライヴを収録したアルバム『MTVアンプラグド』でグラミー最優秀アルバムを受賞した。


実力派歌手としてロック全盛時代の最中にも中高年層から堅実な人気を保ってきたが、[[1990年]]代からは若年の[[MTV]]世代にもファン層を広げ、コンスタントにアルバムをリリースし続けている。[[1994年]]には[[MTVアンプラグド]]・ライヴに出演、このライヴを収録したアルバム『MTVアンプラグド』でグラミー最優秀アルバムを受賞した。
[[グラミー賞]]の常連的存在であり、最近では[[2003年]]にリリースした[[シェリル・クロウ]]、[[ダイアナ・クラール]]、[[ビリー・ジョエル]]、[[スティーヴィー・ワンダー]]らと共演したデュエット・アルバム『ウィズ・マイ・フレンズ』、[[2005年]]の「アート・オブ・ロマンス」でBest Traditional Pop Vocal Album部門を受賞した。

歌唱力と企画の両面に恵まれることから[[グラミー賞]]の常連的存在であり、最近では[[2003年]]にリリースした[[シェリル・クロウ]]、[[ダイアナ・クラール]]、[[ビリー・ジョエル]]、[[スティーヴィー・ワンダー]]らと共演したデュエット・アルバム『ウィズ・マイ・フレンズ』、[[2005年]]の「アート・オブ・ロマンス」でBest Traditional Pop Vocal Album部門を受賞した。


[[2006年]]には、生誕80年を記念したデュエット・アルバム『デュエッツ:アメリカン・クラシック』をリリース。[[バーブラ・ストライサンド]]、[[ポール・マッカートニー]]、[[エルトン・ジョン]]、[[ビリー・ジョエル]]、[[スティーヴィー・ワンダー]]、[[ディクシー・チックス]]、[[ジェームス・テイラー]]、[[フアネス]]、[[セリーヌ・ディオン]]、[[ダイアナ・クラール]]、[[エルヴィス・コステロ]]、[[k.d.ラング]]、[[マイケル・ブーブレ]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]、[[ジョン・レジェンド]]、[[ジョージ・マイケル]]らの大御所から若手まで、様々なジャンルの歌手とと共演した。
[[2006年]]には、生誕80年を記念したデュエット・アルバム『デュエッツ:アメリカン・クラシック』をリリース。[[バーブラ・ストライサンド]]、[[ポール・マッカートニー]]、[[エルトン・ジョン]]、[[ビリー・ジョエル]]、[[スティーヴィー・ワンダー]]、[[ディクシー・チックス]]、[[ジェームス・テイラー]]、[[フアネス]]、[[セリーヌ・ディオン]]、[[ダイアナ・クラール]]、[[エルヴィス・コステロ]]、[[k.d.ラング]]、[[マイケル・ブーブレ]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]、[[ジョン・レジェンド]]、[[ジョージ・マイケル]]らの大御所から若手まで、様々なジャンルの歌手とと共演した。

若い頃に美声で知られた歌手には、喉の酷使や[[飲酒]]・[[喫煙]]の影響から[[声帯]]を痛め、中年・高齢期に声の衰えが目立つ事例が少なくないが、ベネットは自身の喉を酷使しないよう発声や生活習慣に常々配慮しており、高齢に至っても第一線で歌えるだけの声質を維持し続けている。


==その他の活動==
==その他の活動==
「[[ブルース・オールマイティ]]」や「[[アナライズ・ミー]]」といった[[映画]]にも本人役で特別出演している。ベネットは[[画家]]としてもたびたび個展開いており、そ腕前は彼のCDのブックレットにも使用されている
「[[ブルース・オールマイティ]]」や「[[アナライズ・ミー]]」といった[[映画]]にも本人役で特別出演しているが、1965年の映画「オスカー」で劇中歌うことなく、主演の[[スティーブン・ボイド]]扮する[[アカデミー賞]]を狙う俳優マネージャーを訥々と演じた

プロの歌手になる前には商業[[イラストレーター]]として生計を立てていたこともあって画才に優れ、余技ながら[[画家]]としてもたびたび個展を開いている。その腕前は彼のCDのブックレットにも活かされており、アルバムで共演経験もあるピアニスト、[[ビル・エヴァンス]]のライブアルバムのジャケットにもベネットのペンになる肖像画が使われている。


== 日本公演 ==
== 日本公演 ==

2010年11月27日 (土) 03:59時点における版

Tony Bennett
トニー・ベネット
トニー・ベネット
本名 Anthony Dominick Benedetto
生年月日 (1926-08-03) 1926年8月3日(97歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 ニューヨーク州
国籍 アメリカ合衆国
民族 イタリア系アメリカ人
職業 俳優歌手、エンターテイナー
ジャンル ヴォーカル
活動内容  映画、歌手
配偶者 あり
公式サイト 公式サイト
主な作品
映画
ブルース・オールマイティ
アナライズ・ミー』 
 
受賞
グラミー賞最優秀アルバム
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トニー・ベネット(Tony Bennett, 1926年8月3日 - )はアメリカ合衆国ポピュラー音楽歌手ニューヨーク州クイーンズ生まれ。イタリア系アメリカ人で本名はAnthony Dominick Benedetto。芸名は本名を切り詰めたものである。

アメリカ合衆国において最高の男性ヴォーカリスト、エンターテイナーと称される存在。

来歴

1950年コロムビア・レコードと契約。1950年代から1960年代にかけて「ビコーズ・オブ・ユー」、「コールド・コールド・ハート」、「霧のサンフランシスコ(I Left My Heart in San Francisco)」などの世界的な大ヒットで不動の人気を築いた。

朗々とした発声を得意とする豊かな声量の持ち主である一方、トーチ・ソングなどでの細やかな表現力にも優れるなど、ポピュラーシンガー、およびジャズ歌手としての評価は高い。先輩格の大スター歌手であるフランク・シナトラをして「金を払ってでも聴きたいのは彼の歌だけだ」と評せしめた逸話を持つ。

実力派歌手としてロック全盛時代の最中にも中高年層から堅実な人気を保ってきたが、1990年代からは若年のMTV世代にもファン層を広げ、コンスタントにアルバムをリリースし続けている。1994年にはMTVアンプラグド・ライヴに出演、このライヴを収録したアルバム『MTVアンプラグド』でグラミー最優秀アルバムを受賞した。

歌唱力と企画の両面に恵まれることからグラミー賞の常連的存在であり、最近では2003年にリリースしたシェリル・クロウダイアナ・クラールビリー・ジョエルスティーヴィー・ワンダーらと共演したデュエット・アルバム『ウィズ・マイ・フレンズ』、2005年の「アート・オブ・ロマンス」でBest Traditional Pop Vocal Album部門を受賞した。

2006年には、生誕80年を記念したデュエット・アルバム『デュエッツ:アメリカン・クラシック』をリリース。バーブラ・ストライサンドポール・マッカートニーエルトン・ジョンビリー・ジョエルスティーヴィー・ワンダーディクシー・チックスジェームス・テイラーフアネスセリーヌ・ディオンダイアナ・クラールエルヴィス・コステロk.d.ラングマイケル・ブーブレスティングジョン・レジェンドジョージ・マイケルらの大御所から若手まで、様々なジャンルの歌手とと共演した。

若い頃に美声で知られた歌手には、喉の酷使や飲酒喫煙の影響から声帯を痛め、中年・高齢期に声の衰えが目立つ事例が少なくないが、ベネットは自身の喉を酷使しないよう発声や生活習慣に常々配慮しており、高齢に至っても第一線で歌えるだけの声質を維持し続けている。

その他の活動

ブルース・オールマイティ」や「アナライズ・ミー」といった映画にも本人役で特別出演しているが、1965年の映画「オスカー」では劇中歌うことなく、主演のスティーブン・ボイド扮するアカデミー賞を狙う俳優のマネージャーを訥々と演じた。

プロの歌手になる前には商業イラストレーターとして生計を立てていたこともあって画才に優れ、余技ながら画家としてもたびたび個展を開いている。その腕前は彼のCDのブックレットにも活かされており、アルバムで共演経験もあるピアニスト、ビル・エヴァンスのライブアルバムのジャケットにもベネットのペンになる肖像画が使われている。

日本公演

10月30日 ゆうぽうと簡易保険ホール、11月1日 北上市民会館、4日 愛知厚生年金会館、5日 高知県民文化オレンジホール、7日 岡山市民会館、8日 大阪フェスティバルホール、10日,11日 ゆうぽうと簡易保険ホール
8月21日,22日,23日,24日,25日 ブルーノート東京
3月25日,26日 Bunkamuraオーチャードホール
3月15日 大阪フェスティバルホール、19日 サントリーホール

マフィアとの関係

外部リンク

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