「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の版間の差分

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== 作曲の経緯 ==
== 作曲の経緯 ==
[[1845年]]に『[[タンホイザー]]』を完成したワーグナーは、喜劇的なオペラを計画、ゲルヴィヌス『ドイツ国民文学史』を読んでニュルンベルクやハンス・ザックスについて興味を持って草稿を書いたが、この時点では、『タンホイザー』と同じく歌合戦を題材にした「軽い喜劇」であった。しかし、次第に構想が膨らみ、[[1861年]]から台本執筆にとりかかり、全曲が完成したのは[[1867年]]であった。前作『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』と同じく、『[[ニーベルングの指環]]』の『[[ジークフリート (楽劇)|ジークフリート]]』の作曲が中断されている間に作曲された。
[[1845年]]に『[[タンホイザー]]』を完成したワーグナーは、喜劇的なオペラを計画、ゲルヴィヌス『ドイツ国民文学史』を読んでニュルンベルクやハンス・ザックスについて興味を持って草稿を書いたが、この時点では、『タンホイザー』と同じく歌合戦を題材にした「軽い喜劇」であった。しかし、次第に構想が膨らみ、[[1861年]]から台本執筆にとりかかり、全曲が完成したのは[[1867年]]であった。前作『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』と同じく、『[[ニーベルングの指環]]』の『[[ジークフリート (楽劇)|ジークフリート]]』の作曲が中断されている間に作曲された。初期作品を別にした主要作では、唯一の喜劇的、ハッピーエンディングの作品である


== マイスター歌曲とは ==
== マイスター歌曲とは ==

2010年11月19日 (金) 12:09時点における版

ニュルンベルクのマイスタージンガー』(Die Meistersinger von Nürnberg)は、リヒャルト・ワーグナーが作曲した楽劇。台本も作曲者自身による。16世紀中ごろのドイツニュルンベルクが舞台。マイスタージンガーとは、職人の親方が歌手を兼ねている、いわば「親方歌手」で、「名歌手」という日本語訳もあるが、現在ではあまり使われない。

初演

1868年6月21日ミュンヘン宮廷歌劇場ハンス・フォン・ビューローの指揮による。ウィーン初演は1899年で指揮はグスタフ・マーラー。日本初演は1960年日比谷公会堂にて。指揮はマンフレート・グルリット、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団

演奏時間

約4時間20分(各幕80分、60分、120分)。

楽器編成

フルート2、ピッコロオーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、バスチューバティンパニ1対、シンバル一対、大太鼓トライアングルグロッケンシュピールハープリュート(音が小さくて聞こえないので小型のハープを使うことが多い)、弦五部(14型)。

バンダ:オルガン、シュティールホルン、中太鼓(複数)、少なくとも2トランペット。

主な登場人物

  • ハンス・ザックスバス)靴屋の親方。男やもめ。
  • ヴァルター・フォン・シュトルツィング(テノールフランケン地方からきた若い騎士。
  • エーファ・ポーグナー(ソプラノ)ポーグナーの娘。歌合戦の「賞品」にされる。
  • ダーヴィット(テノール)ザックスの徒弟。マクダレーネに思いを寄せる。
  • マクダレーネ(アルト)エーファの世話係。
  • ファイト・ポーグナー(バス)金細工職人。エーファの父。
  • フリッツ・コートナー(バス)パン職人。
  • ジクストゥス・ベックメッサー(バリトン)市の書記。
  • クンツ・フォーゲルザンク(テノール)毛皮職人。
  • コンラート・ナハティガル(バス)ブリキ職人。
  • バルタザル・ツォルン(テノール)錫細工職人。
  • ウルリヒ・アイスリンガー(テノール)香料屋の親方。
  • アウグスティン・モーザー(テノール)仕立屋。
  • ヘルマン・オルテル(バス)石鹸職人。
  • ハンス・シュヴァルツ(バス)靴下職人。
  • ハンス・フォルツ(バス)銅細工職人。
  • 夜警(バス)

構成とあらすじ


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


第1幕

前奏曲のあと、教会の礼拝でヴァルターが昨晩一目惚れをしあったエーファに声をかける。しかしヴァルターはエーファが明日のヨハネ祭の歌合戦の優勝者によって求婚されることを、しかも歌合戦の参加にはマイスタージンガーの資格が要ることをマクダレーネから聞かされる。ヴァルターはダーヴィットにマイスター歌の作法を聞くが、あまりの煩雑さにうんざりする。そこにポーグナーやザックス、ベックメッサーなどのマイスター一同が集まってくる。始めにポーグナーが芸術の誉れを説き、娘のエーファと自らの財産を明日の歌合戦の優勝者に渡すことを公式に宣言する(ポーグナーの演説)。一同は歓迎するが、ザックスだけは憂慮する。そこにエーファの想い冷めやらぬヴァルターが現れ、ポーグナーの知己を利用して親方たちの歌試験に挑む。

試験審査を務める記録係のベックメッサーもエーファとの結婚を望んでいた。ヴァルターは自らの感性のままに歌う(ヴァルターの試験の歌)が、ベックメッサーはマイスター歌の規則に照らし片っ端からチェックを入れ、歌を途中で止めさせようとする。ザックスはベックメッサーの公平性に嫌疑を投げかけるが、ヴァルターの奔放な歌いぶりは他のマイスター達の支持も得られない。ザックスがヴァルターをかばい、ヴァルターも自棄になって歌い続ける大混乱の中、「間違いだらけで落第」が宣告される。

第2幕

夜の街角、徒弟達が明日の祭りの準備をしている。マクダレーネがダーヴィットにヴァルターの結果を聞き、役に立たないとダーヴィットに八つ当たりをして去ってしまう。ポーグナーがエーファを連れ添って現れる。ポーグナーは自らの決断が正しかったのかどうか悩み、ザックスに相談しようとするが、エーファに促されるままに帰宅する。

ザックスが夜の仕事のために外に出てくる。ニワトコの香りの中ザックスはヴァルターの歌が頭から離れず、「感じるが、理解できない」とその捉えがたい魅力を歌う(ニワトコのモノローグ)。エーファがザックスの歌試験の結果を聞きにくる。エーファは密かにザックスを慕い続けていたことも仄めかし、明日の歌合戦への参加を促す。二人の間に微妙な空気が流れるが、ザックスにあしらわれ、さらにヴァルターはマイスターの資格を得られないと言われ、エーファは失望し、家に去っていく。さらにベックメッサーがエーファの窓辺でセレナーデを歌うつもりであることを知ったエーファは、服を交換しマクダレーネを部屋にやり、自分はヴァルターと出会う。ヴァルターとエーファはこのまま駆け落ちしようとするが、ザックスが路上に明かりを灯して靴の仕事を始め、歌に暗に非難を込めながら二人を阻む。

そこにリュートを持ったベックメッサーが登場、エーファの部屋にいるマクダレーネをエーファと信じて、歌い始めようとするが、ザックスが大声で歌っているのが邪魔になる。さんざんやり取りをしたあげく、ベックメッサーの歌をザックスが靴の仕事で試験するという珍妙な妥協が成立し、ベックメッサーはセレナーデを歌い始める。たちまちザックスは槌を打ちまくって「採点」する。苦り切りながらも大声で歌い続けるベックメッサー。やがて、この騒動に近所の人が起きだしてくる。エーファの部屋にいるのがマクダレーネだと気がついたダーヴィットが、ベックメッサーがマクダレーネに言い寄っていると思いこんで、ベックメッサーを殴りつける。これがきっかけとなって、町中の人間が大げんかを始める。騒ぎのなかで、ザックスはエーファをポーグナーに引き渡し、ヴァルターとダーヴィットを自宅に引きずり込む。夜警が笛を吹かすと人々も一斉に家に引っ込み、静寂の中11時が知らされ幕。

第3幕

翌日の早朝、ザックスの仕事部屋。前奏曲では、ザックスの「諦念の動機」が扱われる。ダーヴィットは、夕べの騒ぎの件でザックスに叱られるかとびくびくしながら帰宅する。ザックスはどこか心ここにあらず。しかし怪訝そうにしているダーヴィットを認めると、彼にヨハネ祭を題材に新しい歌を歌わせ、彼を徒弟から職人へ格上げする意を固める。ザックスは昨晩の異様な大騒動を思い起こし、人の迷いについて思いを巡らす(迷いのモノローグ)。

やがてヴァルターが起き出してくる。ヴァルターは不思議な夢を見て新たな歌の着想を得たと言う。ザックスはこれを素材に、マイスター歌の規則を伝授する。ヴァルターが着替えのために退場すると、ザックスの家にやってきたベックメッサーが、この歌の書き付けを発見、ザックスがエーファへ求婚の歌を歌うつもりと思い、現れたザックスを非難する。ザックスは一計を案じて、ベックメッサーに書き付けを進呈、喜び勇んだベックメッサーは去る。エーファが着飾ってザックスを訪ねてくる。靴の調子が悪いと言うが、ヴァルターの様子と、またザックスが本当に参加してくれないのかが気になっているのだ。

そこへやはり着替えをすませたヴァルターが現れ、夢の歌の続きを歌う。二人が幸せなカップルだと知ったザックスは、自分にも残っていたエーファへの思慕を絶つ。エーファは自分もザックスを慕っていたことを告白することで彼を慰め、諦念の行為に感謝の言葉を述べる。ここで『トリスタンとイゾルデ』が引用される。ザックスは若い二人を抱き合わせ、ヴァルターの歌を「聖なる朝の夢解きの調べ」として命名する。さらに現れたダーヴィットに洗礼の儀式を挙げ、徒弟から職人へ格上げする。マクダレーネも交え、エーファ、ヴァルター、ザックス、ダーヴィットはそれぞれの思いを歌い上げ、五重唱となる(愛の洗礼式)。

舞台転換してヨハネ祭が行われる野原。祭りのファンファーレとともに、靴屋、仕立屋、パン屋の組合の歌、隣町から来た娘達と徒弟達の踊り(徒弟達の踊り)、マイスタージンガーの堂々たる入場と続く。人々がザックスを認めると「目覚めよ、朝は近づいた」のコラール(これは実在のハンス・ザックスの歌詞に基づく)を合唱し、讃える。ザックスはこれに感謝し、今日の歌合戦にポーグナーが娘を捧げた行為を歓迎するように演説する。ポーグナーは胸をなで下ろす。

歌合戦が始まり、ベックメッサーがザックス書き付けの歌詞を自分のセレナーデに当てはめて歌おうとするが、うろ覚えもあって、大失敗に終わる。聴衆の笑いに怒ったベックメッサーは、これはザックスの歌だと叫び、退散する。ザックスは、歌の本当の作者としてヴァルターを紹介し、自らの証人と称し歌合戦に参加させる。ヴァルターは「朝はバラ色に輝いて」(ヴァルターの懸賞の歌)を見事に歌う。人々、親方たち、エーファ、全員がヴァルターの歌に聴き惚れ、これを大喝采と共に讃える。

ポーグナーはヴァルターにマイスターの称号を授与しようとする。しかし、マイスターに怒りと疑念を拭いきれないヴァルターはこれを拒否する。ザックスは「マイスターを侮ってはいけない」とヴァルターを諫め、「神聖ローマ帝国はもやと消えても、聖なるドイツ芸術は我らの手に残るだろう。」と歌い、その価値を説く。ヴァルターも納得して称号を受け、晴れて優勝者となりエーファと結ばれる。全員がこの結末を導いたザックスと「ドイツ芸術」を讃えて幕。

第1幕への前奏曲

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲として、ワーグナーの楽曲のなかでもよく親しまれ、演奏会で採り上げられる機会が多いだけでなく、祝祭的なイメージから、式典(大学の入学式など)での演奏機会も多い。冒頭はハ長調の堂々たる開始、終わりは直接教会のコラールにつながっている。「マイスタージンガーの動機」、「芸術の動機」、「愛の動機」など、オペラ中に使用されるライトモティーフの代表的なものが扱われる。ソナタ形式によるが、再現部ではこれまで提示してきた各種旋律が同時進行する。この手法は、のちにブルックナー交響曲第8番第4楽章の結尾で使用している。

作曲の経緯

1845年に『タンホイザー』を完成したワーグナーは、喜劇的なオペラを計画、ゲルヴィヌス『ドイツ国民文学史』を読んでニュルンベルクやハンス・ザックスについて興味を持って草稿を書いたが、この時点では、『タンホイザー』と同じく歌合戦を題材にした「軽い喜劇」であった。しかし、次第に構想が膨らみ、1861年から台本執筆にとりかかり、全曲が完成したのは1867年であった。前作『トリスタンとイゾルデ』と同じく、『ニーベルングの指環』の『ジークフリート』の作曲が中断されている間に作曲された。初期作品を別にした主要作では、唯一の喜劇的、ハッピーエンディングの作品である。

マイスター歌曲とは

ニュルンベルクでは、手工業が発達し、各手工業の代表者たちが芸術(歌唱)に携わり、マイスタージンガーと呼ばれていた。これには厳しい修行過程があり、「見習い」、「弟子」、「歌手」、「詩人」、「親方」という段階があった。マイスター歌曲は、中世の騎士歌人の伝統を継ぐ「バール形式」をとる。これは、3つのバールで構成され、一つのバールはまた3節からなり、第1節(シュトレン)と第2節は同じ旋律、同じ長さ、第3節は新しい旋律を用いてより長いという規則がある。このほか、さまざまな名前を持つ定まった旋律があり、これに装飾を施し詩に当てはめるための煩雑な規則がある。これらは、オペラのなかでも第1幕でダーヴィットやコートナーの歌に出てくるものである。これらの煩雑で硬直した「規則性」と、革新的な音楽の軋轢・対決の構図には、現実面でのワーグナー自身の葛藤が表されており、第3幕でザックスが規則を教えながらヴァルターの歌をともに作り上げていく過程には、ワーグナーにとっての音楽の一つの理想が描かれていると解釈されている。

作中人物のモデル

ハンス・ザックス
主人公のハンス・ザックスは実在の人物である(1494年–1576年)。実在のザックスもまたニュルンベルクのマイスタージンガーであり、第3幕のコラール「目覚めよ、朝は近づいた」はザックスの詩に基づく。オペラのザックスは男やもめという設定であるが、実在のザックスも妻に先立たれ、子供もなくして男やもめとなったが、のちに若い女性と再婚したという。
ベックメッサー
喜劇的なオペラにおいて権威的な悪役がしてやられる展開はつきものであるが、ベックメッサーに対する仕打ちはいささか度が過ぎている感もある。これは当時ワーグナー派を徹底して攻撃する論陣を張っていた音楽批評家エドゥアルト・ハンスリックがモデルであることに起因している。ワーグナーは、当初ベックメッサーの名前をハンスリッヒとしており、それほどこの当てつけには意図的なものがある。ワーグナーの自伝では、オペラの台本朗読会に招かれたハンスリックは、次第に不機嫌になり、終了後に怒って帰ったとされる。当のハンスリックによる『マイスタージンガー』評が残っているが、ワーグナーのユーモアの欠如は救いがたいとしつつ、一方で第1幕でのポーグナーの演説やヴァルターの歌、第3幕の五重唱など喜劇的でない部分では賞賛を惜しまないなど、その批評内容は現代に通じるものとなっている。またアドルノは、ベックメッサーにはユダヤ人がカリカチュアされているという指摘を残している。なお、ベックメッサーという直接の名前は他のマイスターと同じく、ニュルンベルクに実在したマイスタージンガーからとられている。彼の正確な職種は分かっていないが、少なくとも市の書記ではなかった。

ナチス・ドイツの利用問題

『マイスタージンガー』は、ザックスが「ドイツ芸術」を称揚するラストを持っており、ワーグナー自身が反ユダヤ主義思想の持ち主だったことに加えて、後世にナチス・ドイツが国家主義思想の高揚のために、ニュルンベルク党大会に際してこのオペラが上演されるなど、最大限利用された。このため、現在でもこのオペラがそうした思想の産物あるいはそれらを呼び起こすものとして疎んじられる傾向があり、「ドイツ芸術」を讃えるラストのザックスの演説などは戦後、頻繁にカットされ上演された。一方この演説は、ドイツ語圏が育んだ芸術や文化、風土を愛する宣言であって、特定の政治体制、国家的な枠組みの無意味さを表明しているという見解もある。

なお、『マイスタージンガー』は第二次世界大戦により規模縮小を余儀なくされたバイロイト音楽祭において、1943年・1944年の唯一の演目であった(1943年のフルトヴェングラー指揮によるライブ録音が発売されている)。

外部リンク