「フランツ2世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分
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2010年9月12日 (日) 09:25時点における版
フランツ2世/フランツ1世 Franz II./I. | |
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神聖ローマ皇帝 オーストリア皇帝 | |
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在位 |
神聖ローマ皇帝: 1792年3月1日 - 1806年8月6日 オーストリア皇帝: 1804年8月11日 - 1835年3月2日 |
別号 |
ハンガリー王 ボヘミア王 イタリア王 クロアチア・スラヴォニア王 オーストリア大公 |
全名 | フランツ・ヨーゼフ・カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン |
出生 |
1768年2月12日 トスカーナ、フィレンツェ |
死去 |
1835年3月2日(67歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
配偶者 | エリーザベト・ヴィルヘルミーネ・フォン・ヴュルテンベルク |
マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン | |
マリア・ルドヴィカ・フォン・エスターライヒ=エステ | |
カロリーネ・アウグステ・フォン・バイエルン | |
子女 |
マリア・ルイーゼ フェルディナント1世 マリア・レオポルディーネ マリア・クレメンティーネ マリア・カロリーネ フランツ・カール マリア・アンナ |
家名 | ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
父親 | レオポルト2世 |
母親 | マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン |
フランツ2世(Franz II.、1768年2月12日 - 1835年3月2日)は、最後の神聖ローマ皇帝(在位:1792年 - 1806年)であり、オーストリア帝国の最初の皇帝フランツ1世(在位:1804年 - 1835年)である。父は神聖ローマ皇帝レオポルト2世。母はスペイン王カルロス3世の娘マリア・ルドヴィカ。父方の叔母はマリー・アントワネット。
生涯
父レオポルト2世は、祖父フランツ1世が1765年に死去した際、祖父のトスカーナ大公位を継承していた。フランツ2世はトスカーナ大公国の宮廷が置かれたフィレンツェで生まれた。祖父の帝位を継いだ伯父ヨーゼフ2世に子供がなかったことから、フランツ2世は未来の帝位継承者と見なされ、成長するとウィーンで教育を受けた。伯父ヨーゼフが1790年に、帝位を継承した父レオポルトが2年後の1792年に死去したため、フランツ2世が帝位についた。トスカーナ大公位は弟フェルディナンド3世が1790年に継いでいる。
父の死により帝位を継承した際、フランス革命が進行中であった。レオポルト2世は前年の1791年にピルニッツ宣言を行って革命への介入を宣言していたが、フランツ2世の即位から間もない1792年4月20日、フランス革命政府はオーストリアに宣戦布告し、フランス革命戦争が勃発する。翌1793年にルイ16世が処刑されると、第一次対仏大同盟が結成されるが、その一方でオーストリアはポーランド分割にも関与する(1795年)。
その後ナポレオン戦争に巻き込まれ、三帝会戦(アウステルリッツの戦い)で惨敗し、フランツ2世は神聖ローマ皇帝の称号を自ら放棄して、神聖ローマ帝国は名実ともに消滅した。しかし皇帝は、自らの支配領域オーストリアとハンガリー王国を中心としてオーストリア帝国を再編し、オーストリア皇帝フランツ1世として君臨した。また、クレメンス・メッテルニヒを登用し、ウィーン会議で失地を回復する。
皇帝フランツは国家運営をすべてメッテルニヒら臣下に任せる場合が多かった。しかしながら、質素な生活を好み、その在位も40年の長きにわたったため、晩年は国民からも親しみを込められて「善き皇帝フランツ」と称された 。
子女
フランツは生涯に4度結婚した。
- 妃:エリーザベト・ヴィルヘルミーネ(ヴュルテンベルク公フリードリヒ2世オイゲンの娘)
- ルドヴィカ(1790 - 1791)
- 皇后:マリア・テレジア(イタリア名マリーア・テレーザ、両シチリア王フェルディナンド1世の王女)
- マリア・ルイーゼ(1791 - 1847) - フランス皇帝ナポレオン1世の皇后、後にナイペルク伯アーダム・アーダルベルト(1784 - 1829)と再婚。
- フェルディナント(1793 - 1875) - オーストリア皇帝
- カロリーネ・レオポルディーネ(1794 - 1795)
- カロリーネ・ルイーゼ(1795 - 1799)
- マリア・レオポルディーネ(1797 - 1826) - ブラジル皇帝ペドロ1世の皇后
- マリア・クレメンティーネ(1798 - 1881) - サレルノ公レオポルド妃
- ヨーゼフ・フランツ・レオポルト(1799 - 1807)
- カロリーネ・フェルディナンダ(1801 - 1832) - ザクセン王フリードリヒ・アウグスト2世妃
- フランツ・カール・ヨーゼフ(1802 - 1878) - オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、メキシコ皇帝マクシミリアンの父
- マリア・アンナ(1804 - 1858)
- ヨーハン・ネポムク(1805 - 1809)
- アマーリア・テレジア(1807:流産)
- 皇后:マリア・ルドヴィカ・ベアトリクス(オーストリア=エステ大公フェルディナント・カール・アントンの公女)
- 皇后:カロリーネ・アウグステ(バイエルン王マクシミリアン1世の王女)
関連項目
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