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結局、[[1992年]][[3月31日]]付けで全車廃車となった。さよなら運転などは行われなかった。本系列の車齢の若い車両は現在も使用されている[[秩父鉄道1000系電車|1000系]]の一部車両よりも新しいものだったが、両開き4扉の1000系に比べて乗降に手間取る片開き2扉車であったことなどが廃車を早くした原因だったとされる。
結局、[[1992年]][[3月31日]]付けで全車廃車となった。さよなら運転などは行われなかった。本系列の車齢の若い車両は現在も使用されている[[秩父鉄道1000系電車|1000系]]の一部車両よりも新しいものだったが、両開き4扉の1000系に比べて乗降に手間取る片開き2扉車であったことなどが廃車を早くした原因だったとされる。


廃車後は[[石原駅 (埼玉県)|石原駅]]構内などに留置されたのち、[[広瀬川原車両基地|広瀬川原駅]](熊谷工場)で順次解体された。しかし、クハ602のみこれを逃れ、現在も広瀬川原駅に留置されてい
廃車後は[[石原駅 (埼玉県)|石原駅]]構内などに留置されたのち、[[広瀬川原車両基地|広瀬川原駅]](熊谷工場)で順次解体された。クハ602のみ長らく留置さていたがこちらも現在は廃棄されてい。


==その他==
==その他==

2009年5月17日 (日) 02:48時点における版

秩父鉄道500系電車
主要諸元
軌間 1,067(狭軌
電気方式 架空電車線方式直流1,500V
編成定員 310(座席128)
車両定員 ・デハ500 - 160(座席66)
・クハ600 - 150(座席62)
車両重量 ・デハ500 - 36.5t
・クハ600 - 30.0t
編成重量 66.5t
全長 20,000
全幅 2,800
全高 ・デハ501~7 - 4,160mm
・デハ508・9 - 4,150
主電動機出力 110kW×4基
電動機形式:)
駆動方式 WN平行カルダン駆動方式
編成出力 440kw
制御装置 抵抗制御(形式: )
制動装置 自動空気ブレーキ
保安装置 未取り付け
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秩父鉄道500系電車(ちちぶてつどう500けいでんしゃ)は秩父鉄道に在籍していた通勤形電車である。

概要

1957年1962年日本車輌で、デハ500形とクハ600形による2両編成9本、合計18両が製造された。車体形状等は300系に準じているが、車内はロングシートである。このため側面の客用窓は小さくなり、窓割りが大きく異なっている。 前面は正面二枚窓のいわゆる湘南形であったが、前照灯が二灯化された為、300系との識別は容易であった。

なお、300系第2編成では空気バネ台車(NA301)に変更されたが、当形式では再びコイルバネ式台車のNA12が採用された。 また、電動車と制御車の2両編成になったことから主電動機の出力が300系に比べ増強された。 連結面側には便所・洗面所が設置されていたが、垂れ流し式であったために、昭和50年代には閉鎖されていた。

その後の変化

登場以来変化のなかった500系であったが、1985年頃には前面のサボを廃し助士席側に100形と同タイプの方向幕が取り付けられた(前面サボ受けには「秩父鉄道」のサボを表示)。1986年には黄色に茶帯のカラーになった。この際「秩父鉄道」のサボとサボ受けは撤去され、同位置に「秩父鉄道」のロゴが取り付けられた。白熱灯であった前照灯も、1980年代後半にシールドビーム化されている。

置き換えと現在

1991年11月、本形式の置き換え用として2000系が投入された。本来ならば1991年末までに全車廃車される予定だった。が、同年12月3日に2000系第2編成が寄居駅波久礼駅間で自動車との衝突事故を起こした。ステンレス車両であったことや台車の複雑さが修理を手間取らせ、急遽本形式の廃車が延期された。

結局、1992年3月31日付けで全車廃車となった。さよなら運転などは行われなかった。本系列の車齢の若い車両は現在も使用されている1000系の一部車両よりも新しいものだったが、両開き4扉の1000系に比べて乗降に手間取る片開き2扉車であったことなどが廃車を早くした原因だったとされる。

廃車後は石原駅構内などに留置されたのち、広瀬川原駅(熊谷工場)で順次解体された。クハ602のみ長らく留置されていたが、こちらも現在は廃棄されてない。

その他

1978年には、デキ6・7号電気機関車のさよなら運転の客車として利用され、6両もの編成を組んだ。(当初は4両の予定であった。)