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[[1998年]]に出版された『[[檻のなかのダンス]]』や[[2000年]]に出版された共著『[[レイヴ力]]』では自らの[[レイブ]]体験から、「リズムに合わせて踊る=[[ダンス]]」というシンプルな動作を通して生の根拠としての[[身体]]に到達。生を肯定し自然界の一部であることを再認識するという方向に向かい始めた。最近の活動は[[ブログ]]や[[ネットラジオ]]が主であるが、そこでは自分たちを苦しめてきた生きにくい社会(人間界)のしくみへの批判(とくに競争社会、[[格差社会]]、[[新自由主義]]、[[右傾化]]、[[改憲]]論などへの批判)に比重を移すとともに、自分と人間界と自然界の関係をトータルにとらえる「総論」を提唱している。
[[1998年]]に出版された『[[檻のなかのダンス]]』や[[2000年]]に出版された共著『[[レイヴ力]]』では自らの[[レイブ]]体験から、「リズムに合わせて踊る=[[ダンス]]」というシンプルな動作を通して生の根拠としての[[身体]]に到達。生を肯定し自然界の一部であることを再認識するという方向に向かい始めた。最近の活動は[[ブログ]]や[[ネットラジオ]]が主であるが、そこでは自分たちを苦しめてきた生きにくい社会(人間界)のしくみへの批判(とくに競争社会、[[格差社会]]、[[新自由主義]]、[[右傾化]]、[[改憲]]論などへの批判)に比重を移すとともに、自分と人間界と自然界の関係をトータルにとらえる「総論」を提唱している。

[[1998年]][[2月]]、覚せい剤やLSDなどを所持していたとして逮捕、東京高裁で懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を受けている。



==著書==
==著書==

2009年1月31日 (土) 17:11時点における版

鶴見 済(つるみ わたる、1964年 - )は、東京都出身のフリーライター。東京大学文学部社会学科卒業。 

人物

大学時代に社会学者・見田宗介に出会い、その思想に影響を受ける。卒業後、大手電機メーカー、出版社勤務を経てフリーライターとなる。1993年完全自殺マニュアル』(太田出版)がベストセラーとなったことで一躍有名となった。

鶴見は一貫して、現代日本社会における「生きづらさ」の問題にこだわってきた。デビュー作の「完全自殺マニュアル」では、生きづらさからの究極の脱出法としての「自殺」をテーマにして物議をかもしたが、この社会がこれほどまでに生きづらいのだとアイロニカルに訴えた本でもあった。また1996年に出版された『人格改造マニュアル』(太田出版)では、薬物(違法薬物·向精神薬·市販薬等)·自己啓発セミナー·催眠·自己暗示等により「生まれ持っている人格を変革させる」ことで生きづらさを解消するという斬新な選択肢を提示した。(それから時間を経た現在、自らのブログで、薬物について「(リタリンについて)依存性が無い薬だと書いたのは間違いだった」また「覚醒剤についても肯定的に書いたことを今は後悔している」と書いている。)

1998年に出版された『檻のなかのダンス』や2000年に出版された共著『レイヴ力』では自らのレイブ体験から、「リズムに合わせて踊る=ダンス」というシンプルな動作を通して生の根拠としての身体に到達。生を肯定し自然界の一部であることを再認識するという方向に向かい始めた。最近の活動はブログネットラジオが主であるが、そこでは自分たちを苦しめてきた生きにくい社会(人間界)のしくみへの批判(とくに競争社会、格差社会新自由主義右傾化改憲論などへの批判)に比重を移すとともに、自分と人間界と自然界の関係をトータルにとらえる「総論」を提唱している。

1998年2月、覚せい剤やLSDなどを所持していたとして逮捕、東京高裁で懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決を受けている。


著書

単独での著書

共同での著書

関連項目

  • 下山芳晴 (鶴見の覚せい剤取締法違反の第一審を裁いたストーカー判事)


外部リンク